親なら誰しも、自分の子どもに対する理想像を抱いていることだろう。

 

私ももちろん、書き出したらキリがない。

 

・だれからも慕われる

・弱い立場の人を率先して助けられる

・オープンマインドで誠実な対応が出来る

・テストはほぼほぼ100点満点

etc,etc......

 

だけれど、彼らを一人の人間として捉えた時、自分自身に立ち返ってみる。

 

すると、実際のところは、ただただ、

 

「あるがままを受け入れてもらえる安心感」

 

それこそが大人も何より心地良いものなのでは無いだろうか。

 

 

今でこそ、『多様性』が叫ばれ始めて久しいが

 

その社会が言っている『多様性』も、いわゆるただの枠決めだけな気がしていて

 

誰も彼も、”その人のままで居て良い”、と言うよりは

 

「あなたはこういう人ね」というラベリングが増えただけのような、

 

逆に言うと、

 

誰しも『ナニカ』に属して”いなきゃいけない”、

 

立ち位置を決めて”いなきゃいけない”、

 

そういう一種の、或いは変種の【同調圧力】的な何かは、やはり掛かり続けている世の中で。

 

 

『その人がその人として居て良い世の中』はまだ実質的には来ていないのではないかなーと。

 

 

そんな中で、唯一安心できるはずの場所である家庭内でまで

 

あらゆる『ナニカ』の属性を子どもに

 

いや

 

一人の人間に求めてはいけない

 

そんな気がしています。