私達の会社は末端なので、リーマンショックの波は

 

世間で騒いでいるよりも遅れてやってきました・・・・・タラー

 

 

右も左もわからない敵に、覚悟はしてたものの

 

本当にまったく電話が鳴らなくなりました・・・・・アセアセ

 

 

経費削減のため、引き取りなどもなるべくまとめていくように指示したり

 

用もないのに、うろうろ走り回ることも止めるように指示。

 

社内で新規開拓やHPなど、自分達にできることをするように促すけど

 

従業員AもBもやる気なし・・・もともとないが・・・・ガーン

 

 

 

本当に潰れる・・・・毎日そう思う日々が続きました・・・・

 

 

 

精神状態は最悪で、どんどん下がっているのが自分でもわかりましたゲッソリ

 

いなくなりたい…放り出してしまいたい・・・・ずっとずっとそう思っていて

 

借り入れの台帳を、毎日毎日見ていました・・・・

 

 

こんな思いをするなら、やっぱり義父を辞めさせずに

 

会社を潰して、責任を問わせた方が良かったかも・・・とか汗

 

 

 

 

 

旦那だけが一生懸命PCに向かって使える下請けや客先を探しているガーン

 

その姿を見て、自分を立ち直らせる。その繰り返し・・・・

 

 

 

そんな状況だったから、普段ほとんど会社にいない旦那が会社にいることを

 

どこかで聞きつけた義父チーン

 

 

 

 

今度は、私が会社に入って、(旦那が)腑抜けになった。と言いふらしはじめたガーン

 

要は、私が会社にいるから、仕事もせず会社にとどまっているという解釈。

 

バカがする発想です、もはやメラメラ

 

 

 

凄いわ…そこまでひねくれた考え・・・しかもそれを事実のごとく言いふらす義父。

 

その後も、同じように言いまわっていたようだけど

 

一年、二年、三年と経つうち…うちの会社は潰れなかったので

 

義父の言っていることを真に受ける人は、ほんの一部で私達とはかかわらない人たちだったと思いますニヤリ

 

 

 

関係のない話ですが・・

 

当時、取引のあった下請けの会社

 

その会社は、おじいさんが会長、孫が社長という会社で

 

息子と孫の違いだけで、うちとは似ている会社でした。

 

従業員も2~3人と、類似していましたし。

 

 

ただ、その会社は

おじいさんと孫だけは、社会保険に入っているけど従業員は入れていない状況で

 

旦那はそれをいつもどうなんだろう?と言っていましたガーン

 

自分たちだけ?それってどうよ?という意味です。

 

 

そして、ある時、その会社の社長である孫が旦那に相談してきたそうです。

 

「借りれが多くて・・・・」

「でも、会長は銀行からかりておけばいいんだ」と・・・・

 

・・・・・どこかで聞いた話です・・・・滝汗滝汗滝汗

 

そして、借り入れの額が膨らみ、どうしたらいいものか・・・・という相談ですガーン

 

旦那は「それでいいわけないだろう」と苦言を呈したそうですが

 

孫は結局、会長に意見を言う事が出来ず

 

とうとう・・・・維持が難しくなりました・・・・

 

 

幸い、その会社を拾ってくれる会社があり

 

孫と従業員は、機械と場所ごとその会社に吸収されていきました。

 

職を失うこともなく、借金も肩代わりしてもらえたわけですから、良かったのだとも思います。

 

その後、孫は旦那に「気が楽になりました」と言っていたそうですアセアセ

 

 

それなりの会社に吸収され、私達の会社は相手にされなくなり(笑)

 

今は、まったくお付き合いはありませんが、

 

当時私よりも年下の方でしたので、その若さで、会社経営は大変でしたでしょうし

 

お爺ちゃんが間違っているとわかっていても、もの申せず

 

色々なプレッシャーがあったと思いますから、良かったね。と思うべきなのでしょう。

 

 

たらればの、話をしても仕方ありませんが

 

やり方あっただろうな…と・・・もったいない…と思う事はありました。

 

 

何を選択するかは、人それぞれなので

 

私達の選択が間違っていると思う人もいると思いますタラー

 

結果、その選択が合っていたのか、間違っていたのか

 

それは経過ではわからないかもしれませんもやもや

 

結果がすべてだとも、思いませんもやもや

 

 

いま、義父個人の事で「こうしたらよかったのかも・・・・・」という考えが

浮かんでは消え・・・を繰り返しています

 

 

 

話を戻します

 

 何度も言いますが

 

本当に会社の立て直しは大変で

 

根抵当でがちがちに固められた借り入れをまず、何とかしなきゃと

 

試行錯誤して、新規の金融機関との取引を始めたり

 

10円100円を節約して考えて走りまわりました自転車

 

過ぎてみれば、過去の事と「今は」いえるけど

 

長く苦しい年月でした(何度も言う)

 

 

 

 

自分で決断したこととは言え、潰れたらすべて私のせいになって

 

面白おかしく言われるのは、わかっていたから

 

死に物狂いで日々過ごしていましたえーん

 

 

毎日眠れなくて四六時中借金返済のことばかり考えていた。

 

考えても解決しないのに、ずっと考えてる

 

追い詰められて「もうだめだ」と思うことも何度もありましたダウン

 

 

 

 

嫌がらせに負けそうになることもありましたダウン

 

でも、「大丈夫、私達はわかっているから」

 

と創業当時から税理を見てきた二人がいつも励ましてくれましたお願い

 

「もう、無理・・・」といつも弱音を吐く私に「大丈夫!」と・・・・・・

 

一年一年決算が来るたびに、「すごいね、一年でこれだけかえしたよ!」と・・・・・・

 

いつもいつも励ましてくれて、前を向かせてくれました

 

今、思い返しても涙が出てきますえーん

 

この二人がいなかったら、私達は今、ここにはいない。

 

二人では乗り切れませんでした。

 

 

どうしたら、この感謝をカタチに出来るのか・・・・・

 

そんな風に考えられる余裕が出てきたのは、本当にこの2,3年です

 

 

・…と言っても、今現在、借金完済はしていませんが・・・^^;