D社の仕事をしないと決めた旦那
私は、「今」はしないという風にとっていた
他の会社の仕事に手がかかって、D社の見積もり今はできないのだろうと
時間があるときにやるんだと勘違いしていたら、D社から督促の電話が
私が受けたので「督促の電話が来たよ」と伝えると
「やらないよ」という
この時は一度目の督促で、早く見積もり出してくれ程度でした
正直・・・・少しでも売り上げを上げてほしかった私は
従業員Aにでもやらせて、利益あげようよ~とか思っていました
そんな風に、旦那にも言いました
「本当にやらないの?」というと
「もう絶対にやらない」という
でもな~‥‥督促の電話取るの私なんだよな~・・
そして二度目の督促の電話が鳴った
旦那がいたので、代わりました相手がイライラしていたのはわかっていたので・・・
旦那は淡々と「できませんね・・・はいできません」と答えていて
相手は怒っていたようですが(当たり前)電話を切り・・・
そっか・・・・
私にはわからない、つもり積もったことがあるんだよな・・・・と思い
それ以上は何も言いませんでした。
勿論、売り上げが少しでも上がれば、借金返済が楽になるわけです。
それを一番わかっているのは旦那自身です。
それをわかっていても、リーマンショックの大変なこの時でも
このD社を切る決断をしたのは、それ相応の私には分からない心情があるのだろう・・・
了解です
それ以上は、何も言いませんでした。
と思っていた矢先だった。
義父が怒鳴り込んできたのは
D社が旦那が見積もりを出さないと、義父に苦情の電話をしました
義父は、そらみたことか!!!と
意気揚々と乗り込んできました
水を得た魚のようです
事務所に上がってくるなり、机にかばんをバン!と叩きつけて
「D社に挨拶に行ったのか!いってないだろう!」と
この挨拶とは、自分が今後は御社の担当をしますという挨拶のことです
「いかねえよ」という旦那
「なんでいかないんだ!お前がやることになったと挨拶に行くのが筋だろう」
「やらないからいかない」
この後の会話を詳しく覚えていないけど
とにかく、カッカしている義父と、同じく頭から湯気の出ている旦那
かなり、怖かったです
「じゃあ、もういいお前がそういう態度なら、どうなっても知らない」
と言って去っていった。
どうなっても?すでに会社はあんたのせいで傾いてるよ
この後、義父は自分でD社の仕事をしていたようです。個人で
個人で仲介役を買ったようで、うちの取引先をことごとく紹介していき
個人の社判のようなものまで作っていたから、イキイキと自分で仕事をしていたようでした
ほら、やっぱり俺じゃなきゃダメなんだよという自負・・・
下請けの中には、義父の仕事をきっぱり断るところもあったし
黙って受けているところもあった。
旦那は
「別に会長の仕事をやるのは構わないよ。
ただし、何かあってもうちには全く関係のない事だから。
支払いのこともトラブルも一切言わないでくれ」と言っていました。
80をとうに過ぎても運転をして、動き回っていたようだけど車はぼこぼこだった^^;
個人で収益を受けていたと思うけど、申告なんてしていなかったと思うし
D社にいいように使われていることは手に取るようにわかりました。
私達は、顧客を失うことになっても、自分たちの正しいと思うことをやっていくという認識を
改めて共有した出来事の一つだと思います。
義父が辞めて最初の決算はすぐにやってきました
時はリーマンショックで、赤字に終わったこの年
決算書で赤字だから、キャッシュフローでは大赤字だった
義父は、会社の決算結果を聞くため、税理士に電話をしていました
「ほら、赤字だろ」と言いたかったのでしょう。俺がいなくなったからと。
でもこの決算期は、半分義父がいた時期でもある。
いままで、ブログを読んでくださった方はお分かりだと思いますが
自分がいたなんて関係なのです
自分が辞めさせられたから、赤字に終わった決算。
ザマーミロと言いたかったに違いありません
税理士は
「社長(旦那)にもまだ見せていないので、先に話すのは筋違い」
と何も話さずにいてくれました
その後、税理士に何度か電話したようですが
居留守を使ってくれたりして、やり過ごしてくださいました。
結果、多分、知らなかったと思います。
多分…というのは、自分が仲良くしている会社に行って
商工リサーチや、帝国データーバンクへの問い合わせをしてもらったかもしれません
義父の立場からしたら、当たり前かもしれませんが
執念というか執着というか・・・・・
そして80過ぎた義父をまだ使おうとするD社
切って正解でした