海をいつまで眺めていても海の始まりは分からない。だけど始まりの予感は海の遺伝子をもつ人の内側に確かに在るのだから、まずは始めてみよう。
筒井康隆の『現代語裏辞典』をトイレで読んでいる。機転と皮肉のきいた語彙の解釈にニヤリとしてしまう。げすいど[下水道]糞尿をあつめて早し下水道
地元での四年ぶりの中学校の同窓会に参加する。前回が仕事で参加できなかったボクには八年ぶりの同窓会、ボケ防止のための催しに近づいた感がなきにしもあらずで、ボクは隣に座られたKさんのことがどうしても思い出せない。小学校から一緒の面々なのですぐにバカになれる。ただし当時の自分の行いのあれやこれやはきれいに忘れているのに、ああだった、こうだったと自分の振る舞いを聞くのは恥ずかしい限り。あんたは修学旅行のバスの中で新聞を読んでいたと聞かされてもそんな粋がっていた子どもがこんな野暮なおっさんだから笑ってしまう。本人がそういう恥ずかしいことはきれいに忘れているのだから始 末が悪い。いやぁ、忘れるというの大切なことだ。次は二年後、そろそろ生存確認の催しだな。
「線状降水帯」という言葉を二十年前には知らなかった。同じように「脊柱管狭窄症」という言葉も二十年前には知らなかった。どちらの言葉も身に近しいものになってしまった。右脚の痺れは脊柱管狭窄症のなせるわざとのこと、困ったものだ。
有楽町のよみうりホールで「夏の文学教室」なるものに参加する。基本的には真面目な人の集まりで「ひやかし」はいないようだ。ボクは招待券だったので本物の「ひやかし」ではないけれど素見すのに1500円の参加費を払えば、それは本物の「ひやかし」だろう。三人の講師がそれぞれの見識にて「文学」を語る。「えっ?」と思うようなご意見あれどヤジが飛ぶことはない。会場のよみうりホールは冷房が効きすぎでそのために退出する人あり。
夏の三水館は緑に囲まれる。七月か八月の後半にお邪魔することが癖になって四半世紀、パソコンのアルバムには2011年の八月があった。おそらく三世代ぐらい前のデジカメだろうか。解像度のイマイチ感、色彩のボケ感が懐かしさを感じさせる。2024年になると階段の左右の木々が大きくなり緑のかさもました。来るたびに同じ場所で撮るようにしているけれど太陽の機嫌しだいで緑の鮮やかさが違ってしまう。上の写真は2025年、下の写真は2026年、時期はいずれも七月。2022年の夏の終りにはハチがいた。
七月にチームTと一泊二日で山形の美味探求の旅に出かける。お目当ては、一にかみのやま温泉の厩戸、二に西山町の山菜料理出羽屋、三に村山市のあらき蕎麦、四に羽前千歳のエンドーのゲソ天というほぼ全員の総意で食べることに純化した旅の行程となる。月山の麓にあって出羽三山を訪れる行者のおもてなしが起こりという出羽屋の山菜料理つくし、これも良かったけれど朝食が出色だった。朝食は宿泊してこその食事、実に気持ちのいい朝食だった。村山市のあらき蕎麦、駐車場には県外ナンバーの車多くある。ここはチームTの隊長さんが若いころに訪れて感激した蕎麦、しかし思い出のすべてがそのままの美味を保つことは稀なこと。年月は恋愛と同じように味覚を成長させ、変節させ、鈍化もさせる。例えば若いころのボクならば出羽屋の朝食に感激できただろうか。滋味というものがわからずに物足りなさを感じてしまった気もする。さもありなん、どことなくT隊長に「あれっ?」の表情。ここも入り口にご自由にどうぞと大甕に紅花がおかれてる。寄り道の銀山温泉、来てみなければわからない温泉街の道の狭さ、車が往来できないので離れた駐車場からしばし10分ほど歩く。暑さのため年長者二人は車にて待機、四人にて石膏に向かう。この急峻な狭い空間で成り立つ商売というのも不思議な気がする。狭いゆえに写真はガイドブックにあるよ うな構図になってしまう。
ペアスケートの金メダルの演技に「すごい、すごい、すごい、すごい」を連呼した解説者の如く、誰もが「暑い、暑い、暑い、暑い」と連呼する暑さ。そんなとき六月に参拝した山形の山寺の奥の院で見かけた郵便夫を思う。奥の院までは1015段ほどの階段、その階段下にあるポスト、郵便物があることは稀だと郵便夫は水分補給しながら教えてくれた。五大堂の見晴しの舞台からの展望に感激して葉書なぞ書いてこのポストに投函しようとして切手のないことに気づくのだろう。郵便夫はこのポストよりも町のポストに投函した方が早く届くよと言う。感激の度合いというのもそんなものだろうと思う。翌日の午前中は山形のメトロポリタンホテルの部屋でW杯をTV観戦、日本対スウェーデン戦、間違いはないとわかっていてもドキドキしてしまう。
サッカーのW杯、ベスト4は世界ランキングの1位から4位の組み合わせ。因縁あさからぬイングランドとアルゼンチンの試合が楽しみだ。ブラジルには惜敗した日本のサッカーが強くなったのは確かだけど、ベスト4と比すれば贔屓目にみてベスト16が妥当なところと思える。新国立劇場に高校生のためのオペラ鑑賞教室「愛の妙薬」を観にいく。S席からA・B.C席、1階から4階までの良席は全てが高校生向け、男子高校生もいたのかもしれないが今年は圧倒的に女子が多い。この娘っ子らに「愛の妙薬」の恋愛 劇は題材として良薬の部類か、5月に観た、女たらしの「ドン・ジョバンニ」よりはマシだろう。アディーナとネモリーノが思いを告げ合うクライマックスの場面では客席から「ブラボー‼️」の声がかかるので思わず「ながともー」と言えば笑いはとれるかもしれないが、それ以上の顰蹙を買うこと間違いなし。
ひとり旅はあまり時間にとらわれないほうがいい。出立は大宮10:25発の東北新幹線つばさ133号、終点の新庄駅13:31着。瀬見温泉の送迎の車は新庄駅に14:45なので時間つぶしに駅前散策、青果店から留守番しているカミさんにさくらんぼの紅秀峰を送っておく。みちのくの義経伝説、瀬見温泉も平泉に向かう一行が見つけたらしい。鮎釣りが解禁になれば賑わうのだろうけれど鄙びた間にあふれた温泉街、それでもボクの泊まる宿には本日80人ほどの泊まり客があるとのこと。ボクの見立てでは、最近ひとり旅をするおじさんが増えている気がする。瀬見温泉の共同湯のふかし湯がボクの腰には素晴らしい効き目だった。木枕をどかすと5センチほどの孔があり、そこから湯気が出てくる仕組み、浴衣のまま寝るのだけれど浴衣だけでは熱いのでバスタオルも利用した。サウナみたいに熱くはないので焼売か温泉まんじゅうの気分で横になる。共同湯の内湯は源泉かけ流し、我慢比べに使えそうな熱々の湯と適温の湯、露天風呂は内湯のは泉質の違う湯で小さな湯屋のわりには楽しめる。
昨年の花巻の鉛温泉でのプチ湯治が心地よかったので今年は山形の瀬見温泉で明日から二泊三日の一人遊山。カミさんや友人との旅行はそれはそれで楽しいのだけれどひとり旅は自分の旅情にこだわることもグダグダにもできる気楽さがいい。先月の長谷寺に続いての奥之院まで千段の階段登りの山寺参詣、カミさんが行って来ればと言ってくれたので(おお、日本語の妙)山形でもう一泊してエンドースーパーのげそ天も食べてこよう。そして朝ドラの茂吉役に誰が良いかを思案しながらの齋藤茂吉記念館、こんなふうにあれこれと行程を考えるのも旅の楽しみ。
W杯が始まる。日本のサッカーが楽しみでならないのだけれど15日朝のオランダとの初戦は幕張メッセでの仕事のため車両待機場でキャラバンの小さな画面で見ることになる。21日の第二戦は試合開始と同時に始まる歌会に参加するのでカミさんにLINEで逐一戦況を教えてもらうことになる。26日の第三 戦は山形のホテルでのTV観戦になる予定と楽しみにしている割にはなんだかなぁの観戦になりそうだ。
先月の大阪出張のときには若い歌友の丸地くんの第一歌集を持っていった。旅行にはエッセイや詩集、歌集が旅先での時間の邪魔にならない。ホテルの部屋に置きっぱなしでは彼の歌集もつまらないだろうと長谷寺の参拝に一緒に連れていったあげることにした。牡丹の花は終わり紫陽花にはまだ早 い五月の平日午後、「花より団子」となる名物の草餅もなく、なんともつまらない参道、門前の宿に泊まって朝の遥拝に参加したのは十年以上も前の話か。最近はなんでも十年前で片付けることが多くなった気がする。そろそろ四半世紀前という設定にしてもいいかもしれない。
南海電車の天下茶屋駅、ホームに掲げられた駅名プレートには「てんか」と読んでいた天下が「てんが」とふりがなされて いた。大阪の天下茶屋は「てんがちゃや」東京のお花茶屋は「おはなぢゃや」本町という地名、西では「ほんまち」東では「ほんちょう」こまかい違いはあっても、たこ焼きお好み焼きの粉物の旨さは比類なし。いかにも大阪の天下茶屋は一富久のたこ焼きとイカ焼きと吸い物、3点セット。電灯色、テントの汚れ、のれんの垂れ具合、自転車の並び、丸いすの置き所、そのまま舞台美術にもなりそうな景観だ。
大阪での展示会の会期中は堺東に逗留してのんびり過ごす。ホテルの窓から仁徳天皇陵の隣で上下する気球が見えた。雨が降っていたけれど気球乗り場まで行くとすんなり乗ることができた。ワイヤー一本での上昇下降なので強風のほうが運行中止になるとのこと。スタッフ二人とボク一人、貸切の気球で上空100mまで上がる。このアゲアゲ気分のお値段は4,200円、安くはないが高いとも思わない。ボクが地上に降りると次の気球体験者の若い三人の娘さんがお待ちだった。4,200円、ご一緒できればもっと安く感じられたかもしれない。
有楽町の日生劇場で市川染五郎の「ハムレット」を観劇する。ムーティのオペラと違ってこちらはカミさんの許容範囲の金額。許容範囲の金額は二階席の後方で天井に近いのだけれどカミさんは天井の装飾の模様が気持ち悪いという。演出はデヴィッド・ルヴォー、翻訳は松岡和子、歌舞伎役者は一声(いちこえ)二顔(にかお)三姿(さんすがた)21歳だけど染五郎の奥行きのあるセリフまわしは見事なものだった。初舞台が4歳なのだから21歳にして芸歴17年、因果なものだけれど染五郎には仁左衛門のような色悪のできる役者になってほしいと思う。
仕事で金沢に行くのに歯痛が気になり痛み止め欲しさに歯科医院にいく。予約なしなのでそこそこ待たされるのはしょうがない。診察してくれた歯科医は痛い歯の神経を抜きましょうと言う。神経を抜くという発想はなかったので「うんっ?」と思ったが痛みを取り除くには手っ取り早い選択と了承、歯茎に麻酔を注射、歯の中央部に穴をあけて神経を抜く作業にかかるのだけれど麻酔の効きが弱くて途中で何度か麻酔を追加、久々に痛い思いをした。これが幼少期ならばトラウマになっていただろう。でもそのおかげで金沢の設営と撤去の前にカミさんと「犀」のケーキを楽しめた。
リッカルド・ムーティ指揮のオペラ「ドン・ジョヴァンニ」をしばらくの間休館になる上野の東京文化会館で観劇する。さすがにチケットはいいお値段でカミさんの娯楽に費やす許容範囲を超えたのでT沢夫妻とボクだけでの観劇となる。舞台の演出はムーティの娘のキアラ・ムーティだった。しかし、名古屋の名鉄百貨店や半蔵門の国立劇場に比べれば東京文化会館は順調に改修工事がなるのだからしあわせか。
秋葉原駅にて久しぶりに万世橋警察署のお巡りさんから職質をうける。前回の職質は半世紀ほど前のカーター大統領来日のときだった。1979年は世相的にはイラン革命から米国大使館人質事件の起きた年、あのときの恩讐がいまのイランと米国の再びの戦争につながりまさかボクへの職質にもつながってくるとは思わなかった。職質は不審者に対して行うものなのでボクは不審者と認識されたわけでさてボクの頒布バックへの嫌疑はクスリだろうか、包丁か拳銃か、時限爆弾ならカッコいいけれど近江屋のアンパンの紙袋だけだ。半世紀前の新宿界隈ではアンパンはトルエンの隠語だった。古稀を前にしてアンパン所持で職質をうけるのはいかがなものか。つかこうへいの「熱海殺人事件」に薫陶をうけたボクの偏屈が疼いて官憲の手に触れたアンパンなんか要らないからあげるよと言えばそれは受け取れないとお巡りさんはなんとも困った顔をする。あんぱんで贈収賄になるならそれも面白い。秋葉原駅の改札口で待ち合わせしていた友人はボクの話に「それほど変な格好でもないのにね」と慰めてくれた。
NHKの「日曜美術館」で前川國男の設計した建築が取り上げられていた。そのひとつの東京文化会館が5月7日から大規模な改修工事のため休館になる。このデザイン性に優れた建造の螺旋階段はどうなってしまうのか、万博のパビリオンや展示会のブースもデザインが素晴らしくても会期が終われば解体されてただのゴミになって処分されてしまう。諸行無常の無常なるということを前提にしての美しさもあるけれどそれに反するように人間にはなにかと残したがる習癖があるようだ。ガウディのサグラダ・ファミリアにしても百数年のこと、世界最古の木造建築とされている法隆寺にして千三百年ほどか石造建築のピラミッドは焼失することがないので長持ちしている。昨今の子どもたちに親しみを持たれているとも思えないが高村光雲の手になる上野の西郷さんの銅像も百三十年ほど、(犬のツンは皇居外苑の楠木正成像の後藤貞行)渋谷のハチ公は待ち合わせ場所として絶大な人気を得ているが 上野の西郷さんも世の人の町に対する趣味嗜好が変わればハチ公に負けず待ち合わせ場所としての昭和の栄花を取り戻せるか。市井には三代続いた大衆食堂ならば百年食堂という冠もあるが食いしん坊にはサグラダよりも食堂のファミリーが気になる。
花冷えの土曜日、際限をなくした首謀者たちは人を殺しすぎている。いや、当人たちはまだ際限をかけているつもりなのかもしれない。