決心
日1日と悪くなる母
余命を聞いた日には
ポータブルトイレが用意され
食事は介助が必要になった
言葉少なでも
まだ、言いたいことを言う母に
涙は見せないと誓った
3月30日
京都の親戚や数少ない母の友人に
連絡を取り、会いに来てもらう約束をする
今まではヨレヨレの自分を見せたくない
と言う母の意志を尊重し
家族以外は面会を断っていたが
もうそれも関係ない
きっとお互いに会えない方が後悔する
そう思って連絡した
親戚はすぐに新幹線のチケットを取りに行ったが
なんと4月5日までチケットが取れないと言う
春休みだからか?
3月31日
介護の認定にやっと区の認定員が来た
区の対応には色々思うところがあったが
それはまた書こう
その後、早速母の友人が2人来てくれた
やはり会えて嬉しそうだった
今のところに越して来てからだから
10年ほどの付き合いか
喧嘩を時たましながらも仲良くしてもらった
その方は何人も癌の友人を見送っているからか
決して涙を見せず
帰ってきたらあれをしよう
貴女が企画係よ
ってこれからのことを話してくれる
母もうん、うんと頷いていた
ホントに感謝しかない
4月1日
午前中に杉並にいた時に仲良くしていた方に
連絡を入れる
この方には父のことで非常にお世話になった
越してからも折に触れ
母とやり取りしてくれていたようだ
しかし
この方も母に話していなかったが
大変なことになっていた
娘さんが膠原病なのだが、10年前に一度寛解
だけど6年前に再度発症し
今度は脳にいってしまったとのこと
私の2歳下
22歳に最初に発症してから
18年
20種類の薬を飲み
目が見えなくなってきていて
訪問看護をしてもらっているとのこと
なんでなんだろう
なんでこんなに辛いことが起きるんだろう
電話で泣いてしまった私に
大変明るい声で話され
絶対に諦めちゃダメ
と
自分が恥ずかしくなった
私の母方の祖母も膠原病で
シェーグレン氏病で橋本病だった
私は膠原病の因子は無いが
橋本病にはなった
でも、たまたま良い漢方医を見つけて
今は小康状態にあること
を話したら
その漢方医を教えて欲しいと仰った
もちろん喜んで伝えた
ありがとう
辛い中、お電話頂いたのに
いい情報を頂いて
と感謝までされた
ホントに仏のような人だ
漢方医と彼女の相性が良いことを祈るばかりだ
その後、病院に向かった
いつも面会時間を少し過ぎるまでいるのだけど
どうしても泊まって欲しいと母が言うので
この日から泊まり込むことにした