祈るまえに、恋をして。 -38ページ目

祈るまえに、恋をして。

ときどきぽつりと更新。

この半端な私が
唯一苦手な女性群は
今流行りの“魔女”と
言われる女性たちだ。

テレビや雑誌に最近よく出てくるが
実年齢をはるかに下回る見た目。
不幸のどん底や
コンプレックスから
這い上がり、
努力のかいあって
とびぬけた美を手に入る
サクセスストーリー。
その主役となる女性たち。

もちろん全ての人が
苦手ではない。
あぁ努力してよかったねぇーな
人がほとんどだけど。
その中に居る、本物の魔女。
それが、恐いんである。

一つの経験を通じて。

会社も辞め
私は、果てなき自由の中で
色んなことを変えて見たいと
意気込んだ時期がある。

その一つ、雑誌やブログで
ご活躍する美容家のもとに訪ねた時のこと。

受付で、20代そこそこの女の子が
ひょっこりと出てくる。
名前や住所を名乗るうち
その受付の女性をマジマジとみた。

その人こそ、もう45歳をとうに超えた
そこそこ有名な美容家本人だった。

見た目、23才と言われても納得。
それほど、肌艶、髪艶がよく、脂肪のない
体は、少女の面影すらあった。

でも45歳オーバーだ。

“驚いたでしょ?私よ”
というお顔で私を見つめるそのおヒト。

席に通されるなりこう言ったのだ。

「あなたね、選らばれたヒトなのよ」

はぁ?
・・・彼女が言うには
このサロンには“結界”があり
不用意に人を立ち入らせないようにしてある。
予約の取れないサロンで
電話したらすぐ予約が取れた、
ましてやこの私が直接担当するというのは
あなたが“選ばれし特別な人”という
証拠だ、というのだ。

彼女の説法は続いた。
あなたの未来にはこんなことが起こるわよ。
来年の今頃には夢もかなっているわ。

宙を見つめ、手をひらひらさせ
何か見えないものと対話する彼女。

発言の類がおかしいのはわかっている。

私は、そうですかぁーと答えながら
違和感を感じたのは
20代の姿でしゃべる女の
その声だけが、実年齢に逆らえぬ
45才以上の女の、低くじゃがれた
太い声だったのだ。

“違和感”そのもの。
このサロンは何かを乗り越えた人だけが来るのよ
と豪語するその人の人生も、常に競争と
妬みといじめが横行する世界だったという。

そんな不思議な話を聞きながら
サロンでの時間は過ぎていった。
とても傷ついた彼女の
過剰なる自己防衛と拠り所は
見えない世界との対話と
彼女の中に居出た
カミさまの存在だったようだ。

話のオチを要約すると、
カミさまと、
彼女の属すセミナーへの
参加なんぞをほのめかす、
そんな話だった。

そんなもんである。

何かが過剰に壊れて、
何かを過剰に守っているような。
何かに怯え、戦っているような。

いったい何がそれほど恐いのか
彼女の話を聞きながら考えていた私。

なんとなく彼女に感じるのは
『自己否定』と『自己肯定』が
限りなく一直線上で背中合わせに
存在しているような感じ。

見返したいという一念が
美しさや若さにだけ焦点を当て
自分の存在価値にしてしまい
それを脅かす“老い”や“喪失”を
全否定するパワーが過剰なかんじ。

すがるのはカミだけ。
そして導くのもカミだけ。
その彼に、大切な何かを
引き渡してしまったような。

華やかで美しく名声も手に入れた彼女が、
どこか不憫だと思いながら、
あの時間を私は思い出すことがある。

エレガンスな女たちや
美しいマダムを
まるでこき下ろしたような
物言いで、この2日分の記事を書いた。

けれど、私は
このような女性たちは
大好きなんである。

一方で、さばさばと
一見垢抜けた風でもない
女の生き方にも
その逞しき生命力に
本当に、救われることがある。

どちらも、美しさが内在していて
その表現方法が違うだけの
ようなもの。

寂しさや痛みを乗り越えた分だけ
自分との付き合い方を
くるくると考え、軌道修正し
人生に折り合いをつけて
生きることができる
聡明さがある人たちなんである。

頭のどこかで
枯れてゆくことを
受け入れているからこそ
社交的になり
バーキンが似合い
スパでご乱心できるってもの。

私は、マジョが苦手で
マジョに学ぶ。

上手に枯れていくことも
人生を楽にする一つの手段だと
思うんである。


それとねぇ
“選ばれし人”なんて
フレーズにね、酔っては
ならんて思うのよ。
エレゴンスの次はマダモ。

言ってしまえば、オチまで一緒で、
マダムになりきれない女を
“マダモ・マダモ”
と呼んでちゃかす。
この東京は
マダム風“マダモ”で
あふれかえっている。

でも正直言ってしまうと
私はマダムの定義が
よくわからないままでいる。

自称マダム風から
メディアにも多く露出する
“マダム”まで
たくさんお会いしてきた。

夫の力でお金に
困るなんてことには無縁で
その余力で、自分の会社などを
お持ちになったりしている。
まさしく女の王道だ。

きらびやかで、
社交的で
行きすぎた自己顕示欲に
自慢好き。
とても上品で下品な人種。
センスが良くて
そして頭の先から指の先まで
とても美しい。

本当のマダムなんて
いやしないと思うのだが
彼女たちは、この都会で
日々特別な場所で特別な営みに
身をゆだねている。

そして私は、この素敵に
いやらしい人種になれないまま
とても中途半端に存在している。
やっかみ半分、あきらめ半分。

リキシが帰国して
久しぶりにふたりでスパに出かけた。
日本で一番と言われるそのスパは
国内外のVIPも訪れる
マダムに愛されたスパだ。

充実した施術が終わり、
私の化粧もあと少しで終わるころ
三人のご婦人が入ってこられた。

50代半ばと想われるおかんたち。

ロッカーの使用方法の説明に
「あー言われた先から忘れるわ」
「あんたーそれはーちがうってっ」
がっはっはぁーと笑いあう女たち。

誰もが控え目に
するすると脱衣する場所で
こと大げさに脱ぎ散らかし
パンツ一丁で
ゆらゆら歩くおばはんの姿は
“痩せたおじさん”のようであり
“太ったおやじ”のようでもあり。

余分三姉妹。

日本屈指の高級スパで
この三姉妹は、動いた。

デジカメを握りしめ
ジャグジースペースに潜入。
先客がいるのもお構いなしに
写真を撮りまくる。

「フルヌード?」

いやいや大判のタオルを
体に巻いたまま
その天空に抱かれたジャグジーに
ずぶずぶと入って、ピースマークを
作っておられた。
いや、もうこの時点で
お湯に浮かぶタオルから
なんぞ出ていたかもしれぬ。
こだまする歓声。
裸で回遊する姿はおぞましく、
私は眉をひそめ、
そして笑ってしまった。

なんて天真爛漫で気さくな女たちだろう。

そっとロッカールームを後にして
レセプションに向かった。
出迎えてくれるスタッフを前に

「ねぇ、大衆浴場化してるわよ」

そう言った私の一言とその顔は
誰よりも残酷で
きらびやかで
下品だったに違いない。

私こそマダムになれないマダモじゃないか。

私は女を諦め、捨てた女が
妙に苦手だ。
でも、それはそれで楽しいんだろうな
とも思う、半端さがある。
くだらない話なんだけど。
どうでもいいことを思い出して。

その昔、エレガンスを気取る
にわか仕込みの女子に
「エレゴンス」と名付けていた。

いやどうでもいいんだけどね。
エレガンスにはなれない
でも、それを気取っていたからね。
ついね。そう名付けていたのよ。

私の目線は意地悪なのか。
私の悪趣味の一つ。

ランチタイムもピークすぎた時間
高級住宅街に出向き
遅めのランチなんぞをいただく。

こちらのコーヒーはぁと
いちいちウンチクのある説明を
いただきながらその豆を
楽しまなくてはならないのだ。

ぼーけーとして。

そして、目の前の醜悪な風景に
決して視線を合わせないように
聞き耳を立てるのだ。

誰もが羨む
雑誌から抜け出たような
この地に住まう、マダムたち。
初秋に相応しい深みのある
秋色のシルクニットなど
お召しになり、
バックはバーキンが並ぶ。
その姿は優雅。
エレガンスと言われるだろう。

そしてとても上品な物言いで

あれやこれやと
子供の通う学校の
そのクラスメイトの
子供の悪口を言い
その父兄を非難し
先生を罵倒する。

○○くんのお家ったらねー。
こうなのよー。考えられるぅ?
常識からいったらどうなのかしらねー。

「どうなのかしらね?」だ。

誰もが自爆しないように
なんとなくピンボケのまま
悪口が続くのだ。

「やっぱり、ちょっと違うのよねー」

私たちには生活のグレード“クラス”が
あるのよと、言わんばかりの彼女たち。

悪口を言っている
彼女たちの表情は
実に生き生きとし
とても醜悪で、とても美しい。
人柄なんてものはない。
さっき食べたパスタの油で
光った唇が
ぬらぬらしていて
底意地の悪さが目立っている。
でもなんだか、見ていたくなる。

建前ばかりのあんたより
今のあんたが綺麗よと
鏡を差し出したくなるのだ。

関わり合いたくないが
一つ横の席で、
「あんた誰?」と
一瞥を食らわされながら
聞き耳を立てている私。

でもね、こういう女は
エレガンスって言うんじゃなくて
“エレゴンス”って言うのよ。
やっぱりね。
それは昔からね。