晒しているが、それでも
触れることができない
年代や出来ごとの
あれこれがあったりする。
今日、どうして、そのことの一端に
自分が触れようと思ったのか
うまく説明はつかないけれど。
たぶん、これもまた最近交流を持たせて
いただいている素敵な女性の
ブログの影響かと思う。
地方都市に住まう彼女は、
ブログに瑞々しく自身のあれこれを記録している。
激動というリズムとは違う
ある規則正しいリズムの中に
喜びも、悲しみも、愛も、寂しさも
編曲され一つのメロディになっている感じ。
夫と娘ふたりと彼女+猫が織りなす物語は
とても丹精で美しい。
こんなお母さんいいな。
この人の娘に生まれてきたかったな。
それは私のとても正直な気持ち。
そしてもう一つ、彼女の人生に
私の母の人生を重ね、切なくなったからだ。
私の母は、美しい人だ。
清純で真面目で、
正しいということにこだわったひと
家庭人に備わるべき才能を
すべて持ち合わせた女性。
父と母の間に私たち4人兄弟がいる。
ふたりの姉、兄、末娘の私。
私が9歳を迎えるころ
この家庭に暗雲が垂れこめる。
私は、落ちていく女というものを
9つ離れた姉の姿に見た。
豊かさが際立つ要塞のような家の
内側で家族は大きくバランスを崩し、
内側でバラバラになった。
姉の行状のあれこれをここに語る気に
ならないけれど。家族から会話や笑顔や
時間を奪うに十分な力をもった人。
元来の真面目さと、愛情豊かな母は
この姉の更生に持ち得る全ての力を注ぎ、
とりつかれたかのように心を奪われ
そしてことごとく裏切られ続けた。
9歳の私は、母のぼんやりする姿を
よく見るようになり、母は母であって
もうそれまでの母ではないように感じた。
やがて、私は16歳になる。
相変わらずの姉に
母親はその心身を病む程に悩んでいた。
気丈で「わきまえ」を重んずるその人が
臆面もなく、姉の悪口をかたる時間に
私は根気よく付き合い続けた。
母は言う。
「4人の子供を産んでも
好きな子と、嫌いな子供ができる。
この好きにも順番がある」のだと。
かなり後になって
少し意地悪な気分も手伝って
こんなことを言っていたねと
母に聞いてみた。
母は少し、怯えた顔で
「覚えていない」と私を見た。
私は、4人中3番目だった。
母が覚えていないと言ったのは、
本当のことだろう。あの頃は仕方ない。
高校生の私が、
孤独じゃなかったと言ったら嘘になる。
でもこの母を責める気にはならなかった。
もう、その時代十分に大人の分別を持てる
はずの姉の責任は大きい。
この母の、望んだ人生は
もっとおだやかで、
もっと温かなものだったに違いない。
時に物想いにふけったり
夫に物足りなさを感じたりするかも
しれないが、それはそれで
母にとっては幸せだったろう。
そして、そんな母のもと
その愛情をストレートに受け取ることが
できていたなら、私も少し違っていただろうか、
などと答えのないことを考えてみたりする。
とうに乗り越えたと思っていた
母への想いが久しぶりに心をノックする。
彼女のブログの記事の数年分を借りて
私の頭の中で、母と一緒に、
私の少女時代をやり直した。
あの頃、呑み込んだ母への想いが
あふれて困ったりもしたけれど
私はとても楽になれた。
母は今有り余る愛情を
孫に注ぎこみ、幸せそうです。
私は、姉妹の中で一番母に似ています。
鏡にうつる私の姿に、
あの頃の母の面影を見つけるのが好きです。