見惚れる女 作家の紹介 | 祈るまえに、恋をして。

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ときどきぽつりと更新。


美しい人にまたも出会ったので記録しておきます。
故人となった作家が引き合わせてくれたご縁だと
私は感じています。Patra Ichidaさん。

私はこのゴールデンウィークを使って
ある作家のことを調べていました。

その作家との出会いは、25年前。
もう故人となったその女流作家の作品を
高校生のころ初めて読みました。

六本木、西麻布界隈、そんな街の名前が並び
大人の男女の恋の物語が描かれていました。
洗練されて憧れました。
大人になるとは、こういう世界に自分も身をおき、
このような“わきまえ”をもって男女の恋をするものだと、
少女ながらに思ったことを思い出します。

私はずっとその女流作家のことを忘れていました。
ただ、記憶を呼び覚まされるに至り、
彼女を追いかけて、本を取り寄せ読み、ネットで彼女を調べ
そこでまた出てくる文献を取り寄せるなどなどを繰り返していました。

出版されている本は多かったのですが
街の本屋さんに行っても、もう本棚にはありませんでした。
さらにネットでは彼女が急逝したあたりから、例の巨大掲示板に
いろいろな意見が記録されていました。

彼女の作品に対する批評よりは
その私生活の問題を指摘し、作品とのギャップを問うような
姿勢の言葉ばかりでした。
夫の借金のために原稿を書いたとか、娘の放蕩ぶりなどなど。
そんなことは私にとってどうでもよかったのですが
少し落ち込みました。

私に大人の美学を教えてくれた作家を、
私はすっかり青春の只中にあって忘れていた間に
このように人生を歩んでいたのかと思うと
もっともっとこの人の人生を見ておけばよかったと思いました。
また、このように掲示板に書かれたままの
彼女を想い無念にも感じました。
彼女は人生の困難と真摯に付き合いながらも、
自分の理想と現実の間で自分の弱さを自覚して
一生懸命生きていたように想い、愛しさを感じます。
私も同様、弱いので、書くことと現実は違うことも多々ありますし
いろいろなことにもがき泣きながら過ごしていますから。
だから、なぜかこの数日で私は傷ついていたように思います。

そう思いながら数日が過ぎた頃、
その作家を知るという人のエッセイにいきつきました。
その女流作家との思い出を綴っています。
若かりし頃のその作家をイキイキと描き、
フィルムが流れているように画となって浮かんできます。

私はうれしくなって、その人のブログにメールを出しました。
涙が出るほどうれしくなり、メールが出したくて想いを伝えたくて。
突然の長文メール、想いのたけを一方的に書きました。
そののちツイッターをされていることを知り、そこでも追いかけました。
「ラブレターを送ったから読んでください」

相手にすればさぞ驚かれたことでしょう。
もしかしたらその女流作家のファンの行動としてはもう慣れっこだった
としても、迷惑だったかもしれない。そんな風に考えても
メールを送ってしまいました。

ツイッター上でお話をさせていただくことができました。
不思議と一瞬にして心が癒されるような想いになれたのは、
ひとえにその女性の器の大きさであり、深い優しさにありました。
彼女が語る、少しの想い出は、やはりその女流作家が生きた証の
ようであり、その才能が本物だったと確信でき、
私は落ち着きを取り戻しました。

彼女もまた一時代の先頭を駆け抜けてきた女性です。
今は静かにお暮らしの様子ですが、そのいたるところ
センスの良さに包まれています。

 
Patra Ichidaさん
アップのブログ。
一度遊びにいかれてください。
豊かに生きるとはこういうことではないだろうか?
究極のセンスがいいってこんなことかな?
と思った次第です。

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