タヒチアンメリー・モナーク・フェスティバル(Merrie Monarch Festival)フラ


このイベントは、
ハワイ州で最も権威のあるフラ・コンテスト。
Edith Kanaka'ole Tennis Stadium 

エディス カナカオエ テニス スタジアム で行われます。


毎年イースター・サンデーの一週間、ハワイ全島からハラウ(フラの教室)

が集まって、華麗に繰り広げられます。普段は静かなヒロの街も、

この時期だけは、カラフルなムームーやレイで着飾った人々で賑わいを

見せ、お祭りムードで盛り上がります。 


メリー・モナークとは19世紀にハワイ国王として在位した

デビッド・カラカウアのニックネーム。
この陽気な君主(Merrie Monarch)カラカウア王は世界一周旅行をした

ハワイ最初の王様で、賑やかなことが大好き。


西洋文化を積極的に取り入れて、舞踏会やルアウ、ホース・レースなど
華やかなイベントを行いました。またその当時、禁欲的なキリスト教の

宣教師たちによって、邪教的と疎まれていたフラやハワイの伝統的な

音楽を復活させました。このハワイの伝統芸能への功績を讃え、彼の

ニックネームがつけられたのです。

フェスティバルは1964年、2度目の大津波(1960年)のダメージからまだ

立ち直れないでいるヒロの街を復興させるなにかを... という思いから

始められました。


ところが最初の数年はフラのコンテストもなく、あまりパッとしないお祭りで、
次の年に行われるかどうかも危ぶまれるほど。


フェスティバルのディレクター、ドロシー・トンプソンとプロモーターの

ジョージ・ナオペはなんとかフェスティバルを生き返らせようと努力を続けました。
そして1971年、ナオペと数人のクム・フラ(フラ教室を主宰するフラの伝承者)の

アイデアによってフラのコンテストがスタート。


女性ダンサーのみの競技会で、参加したのはわずか9つのハラウでした。
このコンテストは次第に話題を呼び、年を追うごとに参加ハラウも増え、
1976年には男性ダンサーの競技も始まります。


この時点でメリー・モナークは

押しもおされぬフラ・フェステイバルとしての位置を確立。


今では5,000人収容のコンテスト会場への入場チケットを手に入れるのは
至難の技といわれるほどになりました。


フェスティバルの後半3日間に行われる種目別の競技で、

日ごろの修錬の成果を披露します。


第1日目は「ミス・アロハ・フラ」。


18歳から25歳までのミスたちが、
古典、モダンの2部門のフラ・ダンスを競います。
優勝者は最終日のロイヤル・パレードで、オープンカーに乗っての

凱旋する晴れの舞台が与えられます。


2日目は男性、女性別の古典部門のコンテスト、
そして


3日目は同じくモダン部門が行われ、

すべての競技終了後に華々しく勝者の発表と表彰式が行われます。
この発表時の会場の熱狂的な雰囲気は相当なもの。

競技者も5,000人の観衆も歓声を揚げ、涙と笑いで興奮のるつぼと化します。
それもそのはず、このコンテストで入賞することは、当のダンサーはもちろん、
ハラウを主宰するクム・フラにとってもたいへんな名誉になるのです。



また一週間のイベント期間中はライブ・ミュージック、

ハワイ伝統工芸品のクラフト・ショウ、パレードなども行われ、

こちらは自由に見ることができます。



・・・ということです。 凄い~勉強になりました。


The Merrie Monarch Festival 公式サイト⇒テレビ