こんばんは、ゆゆこたです。
あまり明るい話題ではないですが、今日で米同時多発テロからちょうど20年です。(アメリカ時間だとまだだと思いますが。)
アメリカの話じゃん、と思うかもしれませんが、私は全くの無関係ではなかったというか、生きた心地のしない一日だったのでよく覚えています。
夜のニュースで、NYのツインタワービルに飛行機が突っ込んだ、というのをどこのチャンネルでもやっており、私はビックリして画面に釘付けになっていました。
と思ったら、自分の目の前で(テレビですけど)、2機目の飛行機が突っ込んだのです。
あんな衝撃的なことはありませんでした。
ニュースでは様々な憶測と速報が流され、私は親が寝た後も1人でニュースをずっと見ていました。
その時です、
「ピッツバーグに飛行機が墜落しました!」
という新しいニュースが飛び込んできたのです。
当時ピッツバーグには、私の叔父一家が住んでいました。
私は慌てて親を起こし、ピッツバーグに電話をかけました。
ピッツバーグのどこに飛行機が落ちたのかは分かりません。
空港なのか、街中なのか、叔父の家から近いのか遠いのか、日本にいる私には全く分かりませんでした。
アメリカには、既に電話は繋がらなくなっていました。
私は、それこそチケット取りのように電話をかけ続けました。
でも1時間かけ続けても、お話中にすらならないのです。
夜中だというのに、うちには親戚から電話が入るようになり、「アメリカに電話が繋がらないけどどうなってるの!?」と、みんなが心配していました。
祖父母に連絡するかどうか迷いましたが、既に寝ているだろうし、朝になってから連絡しようということで落ち着き、私はニュースを見ながら電話をかけ続けました。
夜中の3時、4時頃でしょうか、私はさすがに疲れ果て、寝ることにしたのです。
次の日の午後になり、ようやくピッツバーグに電話が掛かるようになりました。
呼出音が鳴るようになったのです。
が、電話には誰も出ません。
叔父・叔母・いとこの3人家族ですが、誰も出ないのです。
かなりの時間が経ってから、ようやく叔母が出ました。
「あら〜、どうしたの〜??」
のんきな叔母の声に、私は拍子抜けしました。
私は理由を話し、昨夜からずっと電話をしていたことを伝えると、「そのせいで、電話はずっと不通だった」と言われました。
そして、飛行機が落ちたのは家の近くではないこと、叔父は仕事、叔母はテニス、いとこは学校に行っていたとのことでした。
それを聞いてようやく安心しましたが、私は本当に生きた心地がしませんでした。
何事もなくて本当によかったです。
その後、1度だけピッツバーグに遊びに行きましたが、叔父一家が住むこの町なら、飛行機は落とさなかっただろうなと思いました。
町ではありましたが、高齢者が多く住む、なんとも平和で田舎な町だったからです。(とてもいいところです。)
この事件で、本当に多くの方が犠牲になりました。
20年経った今も、亡くなられた方で身元の分からない方が何千人といるそうです。
私はこの事で、政治や戦争の恐ろしさを改めて知りました。
犠牲者の方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。