ここ数年、発達障害の研究が進み、その中でも「学習障害」というものがあることが徐々に知られつつある。詳しいことは専門書でも読んで調べて頂きたいのだが、書いてある文字が理解できない、あるいは、音声で説明されると理解できない、といったたぐいのものらしい。ちなみに面白いことに、ワープロなど活字化された文章は読めないが、手書きなら読める、あるいはその逆のケースなども存在するのだとか。
つまり、伝達手段と理解手段の間にミスマッチがあって、それゆえに本来なら「理解する力」を持った人がきちんと理解できず、理解できないがゆえにアウトプットもできず、結果「落ちこぼれ」のような判定を受ける。実はその分野の才能があるにも関わらず。
音楽でも似たようなことが起きているのではないかと思う。
音楽でいえば「楽譜」なのだが、実は私は楽譜が長いこと理解出来なかった。
理解できなかったというか、音符が読めなかった。
いや、傍から見れば初見も早い、そこそこ弾けるといったように、ある程度の水準はクリアしていると思われているのだが、私自身は全くそんな実感がなく、「音が読めない」感覚のまま大学くらいまでしのいだ。
まぁ、読めなくても音は弾けるし(普通の人間はそれが出来ないんだよっ!と言われそうだが)、音楽そのものはピアノの師匠のお手本を聴いて、それを真似ていけばそこそこはクリア出来るので(だから普通はそれが出来ないんだよっ!と言われそうだが)、結果的に傍から見れば、「ピアノが弾ける人物」として通ることになる。
楽譜が読めない、というのは、本を読んでもそこに書かれていることの意味が理解できない、ということに等しい。
てあとる 「お芝居でも、時々やたら棒読みで台詞の意味を理解してるか?と思う役者がいるんだが、そんな感じか?」
そう、そんな感じ。
それでも、音楽は楽譜という異言語を扱うので、その異言語が扱えるというだけですごい、という印象を持たれてしまうのだ。
てあとる 「お芝居でも、『あれだけの長セリフを話せるってすごいですね』とか、『演技出来るってすごい』いうアンケートはよく見かけるぞ」
いや、私もそれは凄いと思う。楽譜は覚えられるけど、セリフは覚えられない。
けれど、役者をやる以上はそれは「当たり前のこと」で、ピアノも弾く以上は「理解して当たり前」。
ただ、その「理解する手段」にもいろいろあるということが、もう少し広く伝わればいいのに、とは思う。
私の場合、それは楽曲分析であり、作曲だった。自分で書いてみることで楽譜が読めるようになった。だからピアノがいまいち弾けなくても、楽譜を読むやり方を変えることで、弾けるようになるかもしれない。
そして、そんな子供たちが日本にはいっぱいいるような気がするのだ。