みなさん、こんにちは。
ヴェロニカ麻由です。

前回の続きです。
「起きること自体は、ただ起きている」。それについての、「いい」「悪い」の判断がある。
私たちの世界の捉え方というのは、この2つがベッタリと融合してしまっています。
まずは、それに気づくこと。それだけでも少しは何か変わるかも…? と思います。

さらに、起きることにはいいも悪いもないということが、頭ではなく体験としてわかり、腑に落ちると…
様々な判断や解釈、価値観、信念(ビリーフ)、あらゆる思考や感情、そして起きる出来事や現象に、
いちいち翻弄されたり「支配」されない在り方に移行できます。

逆に言えば、そういったものに支配されながら生きているのが二元の世界です。
「DSは悪い!」「滅ぼそう!」なんていうのも判断やビリーフの一つですが、
闇の支配者より何より、一人の人間を最も強烈に支配しているのは、実はその人自身だ、というわけです。

あらゆる支配・コントロール、翻弄状態から抜け出せるのが、非二元の在り方です。
今回のお話は、ほんのさわり。
ノンデュアリティ について、とてもこの3分✖️3回ではお伝えできないので…
「これが非二元かー!」って、思わないでね(笑)

もっと知りたくなった方は、セッションをどうぞ→ https://ws.formzu.net/fgen/S90756983/


●ご質問

ものごとには本当は「善」も「悪」もないですよ、と聞くと、
「そうなのだろうな…」と思える気がする一方で、よくわからない部分もあります。

たとえば「戦争」や「殺人」はどうなのでしょう?
すべてのことに善悪がない、すべてのことは許されていると言われてしまうと、
「じゃあ、虐待も悪いことではない? どちらでもない?」という感じになってしまい、そこで受け入れられなくなります。

極端な言い方をすると、暴力を振るわれている最中に、
「この世で起きることはすべて許されていると思え」
と言われてような感じで、ああ、それはできない……という抵抗が湧いてしまいます。

そしてもし、実際にそんな目に遭ったら、相手(加害者)のことを憎むだろうし、
そういった犯罪などの行為そのもののことも、許せないだろうとも思います。
この辺りについて教えていただけますか。

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よく頂戴する質問です。
「非二元あるある」だとも言えるテーマです。

私自身、ここはよくわからなかった時期もありました。
(非二元を頭で捉えていた頃は)

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