みなさま、おはようございます!

すっきり爽やかな朝です。

 

 

前の記事までの3本、

これも「私にできること」の一つ

だったもの。

 

 

 

 

私自身は、安心・平穏・ラクチン

(ついでの言えば、その極み)なのですよ。

昨日も今日も、一昨日も。

 

 

だって

「何が起きても、起きなくても」心地いい

 

のが非二元の場所ですから。

 

 

 

そして、今起きていることを見て、

それが「何が起きても、起きなくても心地いい」境地からの目であればあるほど、

これから起きそうなことというのも、そのまま、

ありのままの可能性として自然に見えてきますし、

そこに恐怖は起きず(私はね)、

起きても、別にいいわけです。

 

 

 

 

でも、今起きていることを見て、

なのに見ないようにしたり、

「大丈夫です」といった言葉に一時(いっとき)、

不安が消えたような気がして、

「よかった…」と、ほかのほうに

視線を向けたりするのは、代償行為、なわけです。

 

 

 

怖れや不安がある?

そうですか、ありますか。

オッケー。

 

じゃあ、そこをナオザリにしたままの

「心地よさに浸りましょう」とかをやる前に、

怖れや不安、出しちゃえばいいじゃん、

っていうかもう、出ちゃってますがな、

って話でありまして。

 

 

 

 

そこを、ちゃんと見るために、いったん、

「嫌なほう」(俗に言われる、嫌だと判断される「ように見えるほう」)にも・・・

こっちはこっちで、「希望の世界」と同じくらい、

大きく大きく広がる世界ですのでね、

わざわざ触れた、持ち出した、

って感じでしょうか。

 


 

 

黒も白も含めて、広がりのすべてを、

ありのままに見られる。

すべてを、起きるがままにしておける。

 

 

これが、

二元を脱した先にある(=そこにしかなく、二元にいる限り知ることはできない)幸福や安心感、なわけですから。

 

 

 

 

(関係ないけど「なおざり」と「おざなり」の違い、

 こういうのも、小さいことだけど

 ちゃんと知るの、楽しいです。

 ほかにも、頻繁に使われちゃってるけど

「生き様」とか「耳ざわり」とかって言葉の本来の意味とかね)。

 

 

 

 

さてと。

 

反対側の面にも、私の中の、私の親友=悪魔発動で

大いにディスりも加えて触れてみた話(笑)

を見て、セッションのお申し込みを、

さっそく頂戴しています。

ありがとうございます。

っていうか、おめでとうございます。祝キラキラキラキラ

脱出チームにようこそ。ニヒヒニヒヒニヒヒ

ドア、開けますので、どうぞどうぞ。ドア

 

 

 

 

セッションではない、書き仕事も、

今日は一気に片付けまーす(るん♪)

お目にかけていただける頃にはまた

改めてお知らせしますだロケット

 

 

 

 

 

 

 

 

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