前回の記事のような、

闇や悪といったものに触れる内容を書く理由、

それは大きく以下の4つ。

 

 

① 光のメッセージはもうすでに世の中にあふれているから。

② 願望実現・現実創造こそ幸せ、という話もあふれているから。

③ 闇についての話は、あっても陰謀論や終末論で不安を煽ることに終始しているものが多いから。

④ いずれも、二元の人が二元のものとして受けて発しているものが多いから。

 

 

です。

 

 

願望実現・現実創造の発信も、

前提として光を優位としているので、

大別すれば①の仲間と言えそうです。

 

 

そんな中、その反対側のこと、

闇っぽい情報を多く受け取る私は、数年前、

不安になって聞きに行った時期があります。

 

「闇とはなんですか」

「闇もある中、どうして光に進むのですか」

 

みたいなことを。

 

 

発信力、影響力が高そうな著名な発信者の方の、

トークショーを聞きに行ったり、

セミナーを受けてみたりして、

6~7人の方に個別に質問したのです。

 

 

皆さん答えは共通していて

 

「闇がなければ、光は自分が光だと示せません」

的なことや、

例の「夜明け前が一番暗い」といったことでした。

 

「闇とはなんぞや」「なぜ光がいいのか」

の答えは、結局わかりませんでした。

 

 

 

 

 

で、思ったのです。

 

「……もしかして、知らないのか?」と。

 

陰陽統合など、双極を統合する発信をしていても、

片方のことを知らないのか?

(としか考えられない答えだった)。

 

なかには「中道」と「中庸」を

間違えて発信している方もいましたが、

いずれにしても両極のうちの

片方しか知らないのか?

(としか考えられない答えだった)。

 

 

 

なにも、批判精神モリモリで出かけていったわけ

ではないのです。

心底教えて欲しくて、有名どころならわかるかも、

と聞きに行ったわけなのですが、得られた答えは

「あれれ…」というもの。

 

 

それで「もしや…知らないのか」

と判断せざるを得なくなった。

けっこう、残念でした。

 

 

 

 

ならばと、次は

闇のほうの話を直接発している発信に

当たって行きましたら、

こっちはこっちで、むだに恐怖を煽るものや、

闇は征伐しろ、闘って勝とうといった、

対立・敵対の構造や、

抵抗・争いのエネルギーを生じさせるものが

多くを占めていました。

 

 

 

 

 

結局、

二元の人が

二元の世界で

二元のことを語っていました。

 

二元でいる限り

相対性・双極性から逃れることは出来ないのに。

 

 

 

 

 

黒と白の陰陽図は、

この世の理を表わす至上のもの的に

扱われているような氣がするのですが、

黒白の陰陽図というのは、その奥に、

黒白どちらも存在しない

「太極図」というものがあり、

それと一体のものとして陰陽図は表わされている。

これがほんとうの姿でしょう?

 

 

 

で、そろそろそっちの「対極図」に

向かいましょう(戻りましょう)よというのが

いま起きている話なのでは?と思っています。

 

 

 

それをするのに、

黒、白、太極(無極)のうち、

白1つしか知らないで、

どうやって統合できるのだろう。

黒を敵とみなしていて、

どうやって無極になれるのだろう。

 

 

 

 

ムリなのでは…笑

 

二元の世界の問題を、

二元にいながら取り扱うって、

ナイナイ。ないでしょ、と思うのです。

 

 

 

 

 

だから私は、悪も知ろうと思いました。

受け取る情報をきちんと受け入れ、

その奥にある真意・深意を

見ていこうと思いました。

そして、二元を脱し、

非二元で進もうと思いました。

 

 

 

 

 

こうしたことを、これまでは、

自分一人で理解して、

実践していけばいいと思っていました。

せいぜい、これが分かる人たちと、

数は少なくても共有していけばいいやと。

 

 

 

 

 

でも……

 

 

あるできごとを機に

(あるインタビューを受けたことをきっかけに)

いま世の中を覆っている発信・啓蒙の実態というものを、数年ぶりに改めて俯瞰してみることが起きました。

 

 

 

 

 

そうしたら、どうにも偏重である、

それも、「統合を説きながら偏重である」実態を、

この目で見るに至りました。

 

 

 

 

 

で……

 

 

何というか「間に合うのかな」と思いました。

 

 

自分一人がやってればいいやと

言っていていいのかなと。

 

 

 

 

 

 

最近になって、世間にあふれるチャネリングの

類いのほとんどは偽物であるとか、

スピリチュアル(自己啓発含め)の多くは

まがい物で、悪に取り憑かれている!!といった

見解を見聞きすることが増えているように思います。

 

 

 

ここでまさか、「私は本物です」なんて

言いません(それ、ウケる)。

むしろ、私こそ悪に取り込まれている可能性

アリアリです。笑

 

 

 

でも、

「ほとんど」「多くは」という言葉と、

世の中の俯瞰。割合の実態。

 

 

 

これを、どう採るか。

一人ひとり問われているよね、という氣はします。

 

 

 

 

まぁ、何かが盛り上がるとその一方で

批判的な強い意見やら

特にやたらと「あの人は悪に取り込まれた」みたいなことが出てくるのは、作用・反作用の仕組みとしても自然なこと。

「取り憑かれている!!」の話こそ疑わしい可能性もおおいにあります。

 

 

 

繰り返しになりますが、

スピリチュアルを語る人が増え、

個々人の精神性も高まっていることだろうと思うので、

 

実態をどう採るか、

一人ひとりが見ていきましょうね、

自分はどうで何者なのか、知っていこうね

 

とそういうことなのかもしれないな、と思います。