子どもの頃から「ほんとうのこと」が知りたい願望が強く、

この世のしくみや人間が生まれる意味など考えてばかりのこの人生。

 

いまだにそれは続いていて、もはや万年厨二病。

そういう性分だから仕方がないのか、それとも単にヒマなのか。

後者説はわりと濃厚だったりします。

 

表向きは新聞社のwebメディア編集部に属して仕事をしてきましたが、

 

だんだん……

 

乖離がツラくなってきた。

 

 

だってこの世界で「絶対に間違いない」と信じられていることが、

「ほんとうのこと」(だと少なくとも私は思っていること)とは違い過ぎる。

 

だからといって、突拍子もない真実とやらを喧伝して生きる勇気も、つもりもない、

だから「絶対に間違いない」とされているほうに沿い、

仕方あるめぇと思って人生過ごしてきたのです。

 

なのですが。

 

うーん……。そろそろ、きつい。

 

 

たとえば。

 

「ビジネスとは『課題解決』です」って、

「課題」なるものはほんとうはこの世に存在しない、

とわかってしまうときつい。

ひたすらきつい。どうしたらよいものか、心が苦しい。

 

または、

「自分らしさ」なるものを求めて多くの人が心の中や自分の外に答えを求めているけれど、

その「自分」なるものの定義がそもそも違うよね、となってしまうと、

これまたきつい。

(「自分らしい生き方とは」がテーマのメディアに関わっているので)「仕事」が「うそ」になってしまう。

 

 

もうひとつは、

私に起きる不思議なこと。

上のほうから、ナゾの情報がもたらされる。

 

これも、世の中で知られる世界の歴史や、宗教観(信仰心)、

善悪の概念などとはだいぶかけ離れているために、

世の中のほうに沿って(沿ったふりをして)日々進むことが、

うーん……。やっぱり、きついわけで。

 

職場は魅力あふれる素敵な方々が多く、

なぞの情報がもたらされること(いわゆるチャネリングが勝手に起きること)については

だいぶオープンに話してしまってきたものの、

それでもその内容については、

話すのをはばかられることも多く。

 

あまりに、違うから。世間の通説や常識と。

 

例を挙げれば枚挙に暇がないのだけれど、

ひとつわかりやすいと思うこと。

ノーベル平和賞も受賞した聖女である修道女、

あの方が、なぜか私のもとに来て、あれこれ長話をしていきました。

 

まぁ、相当に驚きの内容で、

無条件の愛の化身のように思われているその方ですが、

本人(ということにさせていただくしかない)が言うには、かなり違う面もあった。

 

神を失ったまま50年以上苦しんだこと、

ずっと神の愛を乞い願い、その不在にうらめしい感情を抱いたこともあったこと、

そして、今際の際に起きた出来事。

 

そのあれこれを直接、聞いたあとに、

文献などをあたって「そのとおりだった」と知りました。

 

でも実はそればかりではなく……、というのも、

上述したのは、彼女について詳しい方なら知っている方もいる話。

まとめて編んだ書物も出ていると、あとから知りました。

 

 

しかし、私が受け取った情報、その方自身が語ったことにはさらにさらに、

「はばかられる」どころか聞くもおぞましい内容が含まれていたため、

多数ある「もたらされる情報」のなかでもこの件については特に、

どう受け止めればいいものやら、

自分の中で数年間「取り扱い注意事項」になっていました。

 

 

それがここへきて、

アメリカで起こり、世界(おもに西の世界。日本ではほとんど触れられない)を震撼させている

ジェフリー・ウェプスティーンの事件に関連して、

この方・聖女のお名前も一部で取りざたされる事態になっている。

 

もたらされる情報、みえるビジョンはスマホと違って画面キャプチャも写真もとれないし、

本人(といわせてもらうしかない。再び)の声を録音するわけにもいかず、

何の証拠もないのだけど、要するに、

いま取りざたされ始めているこの件そのものについてを、

私は本人(しつこいけれど、こういうしかない)

から聞かされていた。2016年2月。

 

 

そしてそれから3年が経ち、令和のいま、

いよいよ、少しずつではあってもさまざまな分野で情報の開示も始まっていて、

いろいろなことが明るみに出るフェーズに来たのかな……と思わされることが

多数起きている。

 

だったら「絶対に間違いない、とされているほう」に沿ったふりして

生きていくこと、これからもしていかなくちゃいけないのだろうか。

 

 

……むり。

 

いたせません。

違和感ありすぎ。

自分が、うそつき過ぎてしまう。

 

 

 

と、いうわけで、

私はもう、世の中の常識や社会通年ではなく

「ほんとうのこと」を大切にして生きようと思うのです。

 

「ほんとうのこと」。

たとえば、多くの人が「自分自身」だと思っている「私」というものも、

ほんとうはそれ、「私(あなた)」じゃないよ、っていう。

 

それが「自分らしさ」の「自分」の前提。

 

 

うそをつかずに、発していけたらと思います。