こんにちは
お久しぶりです、由美子です
詳しいことは
Xにポストしたので
読んでいただきたいのですが
とうとう
叔母が私のことを忘れてしまったのだよね。
すごい叔母に可愛がってもらって
私の小さい頃の話を
最近までしてたのでね
しかも、繰り返し・繰り返し話してたからね。
私のことは最期まで忘れないかな?なんて思っていたので。
そんなこんなで
母の日なので
母・妹家族とランチして、ケーキ屋さん寄ったのだけど
母が「ショートケーキでいい」という言い方が、ね
「私は遠慮して安いケーキにしてます」というのが聞こえてきそうな言い方でした
よく「○○でいい」という言い方は失礼、
っていうのを見聞きしてたけれど
実際にされると「なるほど」と納得しますね。
遠慮って相手をバカにしていることにもつながるんだなってわかりました。
ま、そんなこんなで
母が認知症になって
私のことを忘れたら
悲しいな〜と漠然と思っていたのですが
ふと、母が私のことを忘れてしまうのは
私にとって「自由」を意味するなと気付いたのでした
良くも悪くも、母にとって私は執着の対象なので
忘れてしまった方がお互いのためだなぁとわかったのです
認知症、
なるのも、なられるのも嫌だなって思ってたんだけど
「記憶」という足枷を取り外した状態とも言えるんだよね
認知症は記憶から自由になることなんだって気づいたんだよね
逆に言えば、執着してることは最後まで忘れないんだけどねぞーー
だからあれだけ怖かった認知症も
「記憶から自由になったんだな」って思えるようになったので
今は気が楽になりました
寝たきりも、認知症も
少しずつ縛っていた何かから解放されていっているんだろうな〜と思ってきてる。
介護施設に入所した叔母の顔が
穏やかになってきたのが、それが証拠かな、と。
忘れてもいい
忘れても大丈夫
嫌いだから忘れたわけじゃない
自由になるための準備をしているだけ。