日蓮大聖人は、「初めて自分の心が本来の仏であると知ることを、すなわち大歓喜と名づける。いわゆる南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜である」(御788P)と示してくださっております。

 題目を唱えることは、「わが生命は仏なり。妙法の当体なり」と目覚めていくことです。汝自身は、決して無力な、弱く小さな存在などではない。大宇宙と一体の、最も偉大な仏の力を発揮していける尊極の生命なのだと、自覚する事なのです。

パチンコにしろ株にしろ、投資を生業としているプロに共通していえるのは、目に見える期待値を積んでいること。

玄人ほど目の前にある状況、期待感を数値化できる。そして期待値がないものには一切触らない。彼らにはマイナスの期待値が見えているからだ。譬えるならドラゴンボールのスカウターみたいなものだ。だから彼らはチャンスを待てる。

そこが体に染みついている人ほど本物だ。中にはノイズのような見えにくい場面もある。そうゆう時ほど触ってはいけない。天に身を任せてはいけない。見に回る。上手い人ほど自分の目に見える期待値をしっかりと積んでいる。

そうゆう意味では俺はジャグラーなんて基本触らない。しっかりと見える期待値、設定確定演出のみを信じること。

ネットってなんなんだろうな。リアルだったら絶対言わないような悪口を平気でぬかす馬鹿がいる。

いや、リアルでも実際は言われてるのだろうか。むしろリアルで言いにくいことをネットだからこそ如実に伝えてくれてるのだろうか。

とはいえ忖度なしに悪口を言うのは違うと思う。なんだか小学生のケンカを大人が異次元の世界でやってる感じだ。

よくまあ相手の顔も声も知らずにケンカ売れるよな。リアルだったら取っ組み合いの喧嘩になるよな悪口を言ってもネットだったらそうゆう恐怖がないから言えんだろうな。小心者の極みでしかない。態度だけ偉そうな小僧が一番嫌いだ。

しかし、だったら自分がネットの世界に踏み込まなければいいだけの話か。それでもネットの世界を好むならむしろそうゆう罵詈雑言を受け入れるぐらいの覚悟を決めるべきなのか。好きなものを突き詰めていくのにある痛みか。筋肉痛のようなものか。いや違う。完全に切り傷だ。

日蓮大聖人の教えでは、「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」

という御書がある。

蔵の財とは物質的な財産。身の財とは健康や地位や友達だろう。心の財とは心の豊かさ、強さ、哲学だ。

創価学会の池田名誉会長は、「人間として生きるすべての局面において、仏性の輝きを放つときこそ、真の勝利である」と仰せである。

ちっぽけな金なんかより友達や健康、また、それよりも心の豊かさの方が大事なんだ。間違っても目の前にあるものよりも、友情を大切にし、身体を大切にし、強く、豊かな、勝利で飾る心を貫き通して生きたい。

自分が良いと思ったものは素直に友人や知人に伝えてあげた方がいい。じゃないといつか孤独になっていくと思う。

伝えたことによって何かしら相手に巻き起こる問題があるならば、その可能性もきちんと考えた上で、伝えよう。

そして、もしそこに金銭が生じるならば、まずは自分が払えばいい。例えばあるリンゴがいいなと思ったら、まずはプレゼントしてあげよう。もちろんリンゴ代は自分が払う形になるが、そこでお金をもらってしまうと友情を汚してしまう恐れがある。たとえ安価であっても、お金とはそれほどの魔性を持っているからだ。そんなものより友情の方がよっぽど大事なはずだ。それを踏まえた上でのプレゼントが、相手に優しいと思ってもらったり感動を伝えるのだ。そしてそれが上手く伝わったら、いつか相手から買いたいと申し出てくるはずだ。そうやって上手く人間関係を深めていければいいと思う今日この頃…

マーケットは短期足で見る虫の目と長期足で全体の流れを読む鷹の目の二つが必要である。

現実に起こってる問題は虫の目の方が重要で、鷹の目の方はある意味現実的ではない。例えば、日足のトレンドなどに左右されるほど現実の値動きは甘くはない。気温が1℃や2℃上がってもあまり何も感じないようなものだ。それよりも鷹の目は過去にどうゆう値動きだったかの方が重要になってくる。

パチスロ打っててふと思ったが、ギャンブルはシンプルであればあるほど面白いということ。

6号機になって天井が短縮され、ゲーム性がシンプルになったのはいいけど、デメリットとして一撃性が損なわれた。当たって吹いてここからさらに盛り上がっていく!という時に

「プチュン…はい終了、有利区間終了まで回して終わって下さい」では興ざめも甚だしい。

ジャグラーも面白いけど、あれはそもそも勝てないわ。機械割も小さく判別も難しい。でもあの光った瞬間がたまらなくて…☆時間潰しに打つくらいが丁度いい。

そう思っているうちに、マーケットの世界の方がもっとシンプルなのではないかということに気がついた。sellかbuyかどちらかを当てていくゲームみたいなもんだ。常に確率は50%。1/2の確率。凱旋の天井狙いをひたすらやっている感覚。遊戯台が新陳代謝をしていく中で新しく知識を詰め込む必要もない。未来永劫sellかbuyかを当てるゲーム。もちろんそんな単純なゲームではないのは百も承知だが、凱旋やジャグラーのようにシンプルだけど奥が深いゲーム。それを極めることができれば、ある意味一生安定した暮らしを手に入れれるのではないか?そもそもギャンブルとか投資は何個もやるものではない。自分が一番楽しくて勝つ自信があるものだけをやればいい。だったらマーケットの世界にとことん打ち込みたい。そう思う今日この頃…

同じ人間なのに、片方は苦労して苦労して毎日生きている。もう片方は楽して楽して生きている。

平和な時代を生きた人、地獄のような時代を生きた人。なぜこうも次元が違うのか。

同じ人間なのに、なぜこんなに違うのだろう。なぜ均等にはならないのだろう。それぞれが選んだ道。正しいとか間違っているとかではない。

幸せの形はみんな違う。大金を抱くのが幸せな人がいれば、お花畑に包まれている人が幸せな人もいる。贅沢な暮らしが好きな人がいれば、質素な暮らしが好きな人もいる。他人の自由を奪わない限り、法に背くことをしない限り、全て自由である。

 人間の本当の偉大さは、どこにあるのか。

 それは、華やかな表舞台で活躍することでは決してない。脚光もない。喝采もない。それでも、自分が決めた使命の舞台で、あらんかぎりの、獅子奮迅の力を出し切って、勝利の金字塔を、断固、打ち立てていく。その人こそが、最も偉大なのである。

 慧眼の士は、その陰の労苦を見逃さない。また、そうした戦いに徹し抜いてきた人の風格は、おのずと、にじみ出てくるものだ。