マーケットは短期足で見る虫の目と長期足で全体の流れを読む鷹の目の二つが必要である。

現実に起こってる問題は虫の目の方が重要で、鷹の目の方はある意味現実的ではない。例えば、日足のトレンドなどに左右されるほど現実の値動きは甘くはない。気温が1℃や2℃上がってもあまり何も感じないようなものだ。それよりも鷹の目は過去にどうゆう値動きだったかの方が重要になってくる。

パチスロ打っててふと思ったが、ギャンブルはシンプルであればあるほど面白いということ。

6号機になって天井が短縮され、ゲーム性がシンプルになったのはいいけど、デメリットとして一撃性が損なわれた。当たって吹いてここからさらに盛り上がっていく!という時に

「プチュン…はい終了、有利区間終了まで回して終わって下さい」では興ざめも甚だしい。

ジャグラーも面白いけど、あれはそもそも勝てないわ。機械割も小さく判別も難しい。でもあの光った瞬間がたまらなくて…☆時間潰しに打つくらいが丁度いい。

そう思っているうちに、マーケットの世界の方がもっとシンプルなのではないかということに気がついた。sellかbuyかどちらかを当てていくゲームみたいなもんだ。常に確率は50%。1/2の確率。凱旋の天井狙いをひたすらやっている感覚。遊戯台が新陳代謝をしていく中で新しく知識を詰め込む必要もない。未来永劫sellかbuyかを当てるゲーム。もちろんそんな単純なゲームではないのは百も承知だが、凱旋やジャグラーのようにシンプルだけど奥が深いゲーム。それを極めることができれば、ある意味一生安定した暮らしを手に入れれるのではないか?そもそもギャンブルとか投資は何個もやるものではない。自分が一番楽しくて勝つ自信があるものだけをやればいい。だったらマーケットの世界にとことん打ち込みたい。そう思う今日この頃…

同じ人間なのに、片方は苦労して苦労して毎日生きている。もう片方は楽して楽して生きている。

平和な時代を生きた人、地獄のような時代を生きた人。なぜこうも次元が違うのか。

同じ人間なのに、なぜこんなに違うのだろう。なぜ均等にはならないのだろう。それぞれが選んだ道。正しいとか間違っているとかではない。

幸せの形はみんな違う。大金を抱くのが幸せな人がいれば、お花畑に包まれている人が幸せな人もいる。贅沢な暮らしが好きな人がいれば、質素な暮らしが好きな人もいる。他人の自由を奪わない限り、法に背くことをしない限り、全て自由である。

 人間の本当の偉大さは、どこにあるのか。

 それは、華やかな表舞台で活躍することでは決してない。脚光もない。喝采もない。それでも、自分が決めた使命の舞台で、あらんかぎりの、獅子奮迅の力を出し切って、勝利の金字塔を、断固、打ち立てていく。その人こそが、最も偉大なのである。

 慧眼の士は、その陰の労苦を見逃さない。また、そうした戦いに徹し抜いてきた人の風格は、おのずと、にじみ出てくるものだ。

俺は今まで趣味を探すこと作ることは大事なことだと思っていたが間違っていた。

というのは、趣味にはまりすぎると本来自分がやるべきことがブレるからだ。

なんだったら趣味なんかなくていい。それが大金をつぎこむような趣味なら尚更要らない。

それよりも本来人間は自分の使命を創造し進んでいくことが何より重要なはずだ。それは仕事でも家庭のことでもなんでもいい。とにかく自分が生まれてきた意味は何か?何をすべきなのか?を何度も何度も自問自答し見つけ出すんだ。

そんな使命が芽生えたら趣味なんかやってる暇などないはずだ。

人間が幸せになるには強くなることなんだ。強くなるには大地に根を張るような哲学と、大空を羽ばたくような使命が必要だ。自分ができること、自分が本来すべきことは何なのかを考え、それに向かって走ることが何よりも幸せなのだ。

それは大地に根を張るような哲学と、空のように大きな使命を持つことである。それがあれば常にそれに没頭し、時間の浪費などしなくなり、豊かになり、幸せになる。その時間が青春なんだ。とにかくやってみることだ。歳なんか関係ない。それがある限り、成し遂げるまでは、永遠に青春なんだ。

理想を見るから騙され、損失を生み出し、堕ちていく。

理想なんか抱かずに現実を見つめるんだ。

しっかり働き、納税し、和楽の家庭を築く。理想を抱く投資はそうした現実の支出から残った預貯金でやればいい。

金で得れる幸せなんか一時的な、砂上の楼閣でしかない。本当の幸せは大地に根を張る偉大な哲学を持つことだ。強くなることだ。大きな使命を持ち、大きな慈悲の心を持ち、大きな勇気を持つことだ。

創価の同志達は日蓮大聖人の御書という偉大なる哲学と、御本尊という偉大なる諸天善神の守護を持つことで何人も人生のどん底から蘇生した。俺は負けない。彼らのように再起してみせる!

経済を至上の価値とし、利潤の追求に狂奔して得られるものは、人間の真実の幸福とは程遠い、砂上の楼閣のような、虚構の繁栄でしかない。伸一は、人々の精神が蝕まれ、拝金主義に陥り、殺伐とした心の世界が広がっていくことを恐れていた。

 国や社会の豊かさ、文化の成熟度は、単に物質的な側面や経済的な発展だけで推し量ることはできない。人命や人権を守るために、どれだけの配慮があり、いかなる対策が講じられているかこそ、実は最も根本的な尺度といえよう。

 そして、人命、人権を守る国家、社会を築くには、生命の尊厳という理念、哲学が絶対の要請となる。