7月は私にとって忘れられない月です。


まずは自分のこと。

先日から何度も書いてますが、
2年前の2017年7月。
大きな胸腺腫判明により胸腺全摘手術をしました。

    入院してからのこと


胸骨正中切開という術式。
テレビやドラマでの情報しか持ちえなかった手術を
自分が受けることになるとは…びっくり




おすましスワンおすましスワンおすましスワンおすましスワンおすましスワンおすましスワンおすましスワンおすましスワンおすましスワンおすましスワンおすましスワンおすましスワンおすましスワン


そして、それよりももっと前…2012年7月。


じいじ(私の父親)が大怪我をしたのも 7月でしたガーン

ここからすごく長くなります。。。アセアセ





この年は
4月にじいじとばあばがうちに来ていました。
何故かというと。。。キョロキョロ
長男が高校入学キラキラ
次男が中学入学キラキラ
三男が小学校入学キラキラ、、とホントに入学式三昧ニヤリ
我が家の三兄弟がみな1年生キラキラになる年だったので
めでたいからと、お祝いに来てくれたのです。
桜の桜いい季節ですしね。

つまり私はこの年の春は
卒業式に3回出席して、
入学式にも3回出席して、大忙しの春桜でしたアセアセ


。。。その3ヶ月後の7月に事故が起こったのです。



一学期も、明日で終わるという、終業式前日。
(あ、今日も終業式前日だ。三男の中学校は明日が終業式です)

ばあばから電話があったびっくり

「お父さんが崖から落ちた!!意識がない!!



なんでも、ツアーの旅行に二人で参加していて、
日本海側、城崎温泉辺りを巡っている時だったとか。

(ここからはじいじ本人も記憶が曖昧なので、ばあばの想像も混ざってます。)


カメラ小僧カメラのじいじ。
灯台の辺りを散策している時、
ガイドさんや皆の後に続かず、
いい写真を撮りたいが為に
ひとり、列から外れて崖の方へ行ったらしい。

いつまでも若い気持ちでいる、この時69歳。
気持ちは若くても体はだんだん衰えている。
(昔、何年か自衛隊にいた事もあるらしく、筋力、体力に自身があった。それがいけない…アセアセ昔のことだよガーン)

たぶん昔なら なんなく通れていた場所で
足を踏み外してしまい、落下ガーンガーン
ばあばいわく、
10メートルくらいの高さの崖だったとびっくり


頭から血を流し、意識もない。
ドクターヘリも出動し
最寄りの大きな病院に運ばれた。
この時のばあばが、どんなに心細かったか…

ヘリには付き添いは乗れないらしく
ばあばはタクシーでその病院へ向かったらしい。
ヘリならあっという間でも
陸路ではなかなかの遠い道のり。
時間もお金もかけてじいじが運ばれた病院へ向かう。
1時間半はかかったとか…

幸いと言うべきなのか…
我が家の隣りの県の病院に運ばれたじいじ。
実家の埼玉よりは断然に距離的には近い。

生死も危ぶまれる状態だったので、
翌日終業式だった子供たち3人は学校を欠席させ
夫も休みをとってくれ
朝イチで家族5人でその病院へ向かった。

近いようで遠いアセアセ
高速使っても3時間くらいかかった。
直線距離なら近いんだけどね…


病院に到着。
ロビーで1人待っていたばあばの姿を今も忘れない…


じいじの意識は戻っていたけど、朦朧としていた。
「大丈夫ー?来たよー」って言っても
私達のことが、わかっていないようだった。
でも、目が覚めていてホッとしたチュー

とりあえず、一命はとりとめたが
脳内に外傷性血腫が出来ていた。
その他、外傷性なんとか…と2~3個の損傷状態を言われたけどよく覚えていない。
記憶障害など、今後回復してみないとわからない。
とりあえず、長期戦になることに。。。


旅行中なので埼玉の自宅から遠い他県。
長期戦になるとして
ばあばがずっとホテル暮らしするわけにも行かなく
旅行に行くつもりの身支度しかしていないし
せめて、私の居住エリアの病院に転院出来るか
主治医となった先生に相談してみた。


そしたらなんとー!!!!!!
驚くことにびっくりびっくりびっくり

その主治医の先生は、昨年度まで(3ヶ月前まで)
私が膠原病などで通っている総合病院に勤めていたと言うのです。
なんという巡り合わせーびっくりびっくりびっくり


我が家辺りでは一番大きな地域中核病院です。
すぐ、病院に問い合わせてくれましたびっくり


そして、
入院受け入れをしてもらえることになりました照れ
救急車救急車での搬送も相談にのってくれると爆笑
ありがたい照れ


その後すぐに主治医は出張で3日ほど病院を留守にするそうで。
どっちにしても
今すぐには移動できる全身状態ではないので
出張から戻ってきたら体調等考慮して考えましょう。
となりました。


私もその日に合わせて再来院。
それまでは、弟が埼玉からかけつけ、ばあばも少し休んだり出来たそう。でもじいじは夜中に暴れて、拘束されたりしたらしい…大変だったと。

4日後、再来院して病室に着いてビックリびっくり
ベッドの背もたれを起こして座っているじいじ。
驚異的な回復びっくり
ただ、記憶は曖昧。
なぜ病院にいるのかもわからず、
崖から落ちた時の前後の記憶は抜け落ちている。


出張から戻った主治医の先生と話すと、
先生もこんなに回復するとは思っていなかったようで
「転院先の病院では、この回復だと入院という受け入れは出来ないかもしれない。当然救急車での搬送も難しい。ただ、通院では通えるように手配させて頂きます。」
とのことでした。


埼玉までの長距離移動は当然無理。
頭の中の損傷なので、飛行機移動も、今は怖い。
我が家の隣の県の病院へじいじが運ばれたことが
なんとも幸いなことでした笑い泣き

私はこの時のために、こんな遠くまでお嫁に来ていたのかも…と思ったりニヤリ


なので、移動できるまで回復を待って
私の車で我が家へ移動し、
我が家からの長期間の通院が始まったのでした。



入院中、意識ない間に点滴されたので
元々糖尿病の気のあったじいじだったので
あっという間に糖尿病の数値に。
きっと、高栄養の点滴をされたんでしょう。。。
インスリン注射を出されましたアセアセ


元々持っていたヘルニアも悪化。
足腰にも、痛みと痺れの症状が。
我が家に来ても不自由な生活でした。
介護ベッドを借りるべきか悩みましたアセアセ

ばあばはいったん自宅に帰って、
実家の片付け、着替えなど、改めて長期滞在の準備をしてきて、我が家での生活準備。


こちらに転院してからの脳外科の先生は
優しい若いイケメン先生だったニヤリ
先生の好みの激しいじいじが、今だに、
あの先生はいい先生だったよなぁ…と言うアセアセ
難しい年寄りの話をうんうんと聞いてくれていた。
今はもう転勤していませんケド。
あちこちから派遣の先生が来てる病院なんでね。



結局、2~3ヶ月くらい我が家に滞在したかなぁ。
埼玉に帰ってからは
弟が車のキーを没収してました。
記憶がちょっと怪しい時があったのでね。


それから、記憶がこんがらがるようになって
今にいたります。

今でも、
その事故のせいで、我が家で長期滞在療養した事、
あまり覚えてません。
ばあばはよく覚えてるので
あの時はお世話になったね…と度々言う。


ちょっと認知症っぽい時がある。
しっかりしてる時もある。
パソコンが昔から使える人だったのに(プログラマー並)
今ではスマホの、使い方も、怪しいニヤリ
頑固さは、一段と増した。
自分の思いや考えを他人にも押し付ける。
それはどこのお年寄りも一緒かもだけど…
それでこの間、ちょっとクチげんかしちゃったえー
だってテレビ見ながら、なんだか自分には中途半端な終わり方だったようで、そんなテレビの作り方ないじゃないか、テレビ局に電話する!とか言うから…えー
番組では、こういう生活をするとこういう病気になる、で、終わったんだったかな。「だったら、どうしたらいいかまで調べて放送しろ!」って言ってた。ドードーってなだめないと。こりゃ、ばあばは大変だチュー


世の中色んな顔の人がいるように、
色んな体質の人もいるわけで、
同じ薬でも、効く人、効かない人、
副作用の出方も色々なんだよ。

持病も人それぞれで、すでに飲んでる薬との相性もある。
血液検査ではわからない体質もある。
例えば、私の皮膚が弱いのとか、血液検査じゃわからない。
このテープは貼っても大丈夫、これはダメ。
実際、貼ってみないとわからないんだよ。


と言ってもわかってくれない。

「医者なんだから、その人にはどの副作用が出るか、それくらい分かってないと!わからないじゃない!ちゃんと調べてから処方しないといけないじゃないか!」と言い張る。
(それが出来たら苦労しないよ。。。えー)
副作用が出たとしても、命を救う為には副作用を受け入れて、その薬を選択しないといけないこともある。


ばあばいわく、
実際、それで、副作用(下痢とか)が出て処方薬を勝手にやめたらしい。
でもそれを先生に言えば、ほかの代替薬に変えて様子を見るのに、出された薬をやめてること言わない。
だから、先生も同じ薬を処方する。
「こんな副作用の出る薬を出すなんて!!ちゃんと調べてから出せ!!」
的に先生を責めて食ってかかるらしいショボーン 
自分が訴えなくても副作用の理解をしろ!と。
いやいや、言わないと先生も分からないよと、私。
何度、病院や主治医が変わったことか…
医者も手を焼く患者です…。

付き添うばあばも気力体力がいるそうです。
近ければ、私も付き添ってあげるのに…。



長くなっちゃいました。
後半は、ほとんどじいじのグチでしたえー

今では脳の中の血腫も消えて
脳外科は卒業してるらしい。
血豆みたいに、だんだんと吸収されるんだね。
麻痺とかはなかった。
記憶もその時の前後以外は分かっているようです。


結局は糖尿病になり、
今はインスリンを週イチで打っている。


ヘルニアはそんなこんなな患者なので
医者を信じられず、手術には踏み切っていない。
失敗されて、歩けなくなるよりは、痛くても痺れても動けてる今の方がいい、と。


元々持っていた肝炎があり、
私が結婚するまでは大学病院にはお世話になっていたが
、今では他の病院で糖尿病と一緒に診てもらってるらしいけど、いつまた病院が変わるやら…アセアセ



あれからもう7年か……。

元気な頃はここまで運転して車で来てたんだけど。
で、この間ブロ友さんが紹介してた宍道湖まで、
夕日を撮りに日帰りで行くほど行動力もあったんだけど…。
本家出雲大社の方にじいじ方(秋田)の遠い親戚がいるとかで、突撃訪問したり…ニヤリ

でもこの間はすっかりカメラ持たなくなってたな…




来月、有給と公休をくっつけて6連休取れたから、
埼玉帰省出来ることになりました爆笑

職場は人員不足なので
それ以外の勤務はハードになりそうですけどねガーン