□私
一番最初に書きましたが
私は明らかな発達障害者と
して生まれました。
生まれて2年前後で
異常な言動があったために
異常極まりない期待を受けていた
私はすぐに近親者から
手がつけられないと
嫌って避けられるように
なっていました。
さらに
この時点ですでに、
汚い兄のお古のおまるで
叱責による強制的な
排泄をさせられ
続けたたために
不潔恐怖病
洗浄強迫病
この病状に
なっていました
しかもそのうちの
不潔恐怖病のために
私は現在まで続く
排泄を限界まで我慢する
状態になってしまいました
そして近親者の話と
私自身の記憶によると
私は生まれてから6才前後まで
暴力的な声と腕力で
食事時以外の勝手な飲食を
厳禁されたうえで
たびたび放置虐待を
受けていましたが
3才の時、義理の祖父母の長期旅行と
3日間の両親の出張が重なり
その間の私たち兄弟の扱いについては
兄のみを偏愛する母方の家の意向で
兄だけが母方のところへ預けられ
私については母の身勝手な主張で
遠方の母の知人が働く
児童擁護施設に一時的に
押し込まれてしまいます。
私はその児童擁護施設で
甘やかされて育ったでしょうと
ヤユされるほど施設の子供たちから
目をつけられてしまい、
その後施設の職員が目を
離すたびに隙をついて
カバンや帽子を奪われる
大切なメモ帳を盗まれる
食事を奪われ食べられる
入浴時に衣服を隠される
寝る時になって
ベッドルームのすべての
子供たちから
はげしい殴打
全身にかすり傷を負う
爪でのはげしい
攻撃を受ける
この5つの生まれて始めての
陰湿な暴力行為と
その後迎えが来るまでの
2日間の記憶が抜け落ち
完全に消えるほどの
極めてはげしい
いじめのために
私は妄想と幻覚を
ともなう統合失調病に
なりました。
精神的な異常は
1日目の
入浴時の衣服を
隠された時
とても薄暗く汚ない
シャワールームに
全裸でひとり
放置されたとき
部屋の隅の1本だけ
たて向きに付けられた
蛍光灯が
呪いの言葉を吐いて
揺れながら大きくなり
襲いかかって
来たために
まだ幼児の私にも
自分の心が壊れたことが
すぐにわかりました。
生家の薬局に戻ってから
両親にいじめられたことを
簡単に話しましたが
嫌われるようなワガママを
言ったんでしょうと
逆に怒られあきれられ
証拠の全身のかすり傷さえ
見てはもらえず、
ひとりで気分を入れかえる
ためにお風呂に入り
ひとりで手の届くかすり傷に
傷薬をぬるだけでした。
そのあとほどなくして
両親が所用で遠方に
出かけたとき
一緒に連れて行かれた私は
母の知人のシスターの居る
教会にひとり預けられ
明かりの消えた
薄暗い礼拝堂に
シスターから
放置され
その後2~3時間に
渡って迎えを
待たされる間に
祭壇の木製のキリスト像に
呪われ襲いかかられる
幻覚を見ていました。
その後も
兄についての
項目で書きましたが
生家で兄と彼の友人から
夜中に満月を見ようと
誘い出されて
閉じ込められた
仏堂で同じように
仏像から呪われ
襲われる幻覚を
見ています。
そして今現在の私から見ても
極めて異常なことですが
教育を受け始めた
私が3才のころから
8才前後までの間
私は学習用のもの以外
私物を持つことを
厳禁され
家庭外での
一部の体を使う
遊びを除き
ほぼ人間的な娯楽を
禁じられていて、
自分以外の家族の目が
離れたときだけ
叱責を恐れつつ
たいへん周りを
気にしながら
隠れてそういう娯楽に
触れていました。
それからは生家のの薬局に
居た記憶がなくなるほど
ひんぱんに母方の祖母の家に
連れて行かれるようになります
そこでは人間的な娯楽を完全に禁じられた
事実上の幽閉生活をしていた
4才の時母の生家で第二次性徴が表れ
性欲を1年間以上もてあます
5才の時母の生家で
誤って転倒しコタツの角で股間を打つ
はげしい痛みとともに快感を覚える
試しにコタツの角に股間を
こすり付けてみて快感を覚え
精通する
コタツの角でのこすり付け自慰を
自分で覚えて何度もくり返す
当然見つかって伯父からそのたびに
はげしい虐待を受けるようになる
このころ幽閉生活と
あまりのさびしさも手伝って
空想の優しく親身な人物、
無理解な兄や親族の年上の子供、
たまたま知ったヒーローなどへの
優しくされたいという想いがつのり
極めて強いストレスも加わり
ついには解離性人格障害になる
ここで
文脈的に少し無理がありますが
付け加えておくと
私が教育を受けていた期間の
3才から18才までの間
教員と周囲の子供たちから
無理解と差別の冷遇を受け
とくに子供たちからは
かなり激しく陰湿な
いじめを受け続けました。
そしてその間の
3才から17才までは
英語塾
ピアノ
剣道
習字
2つの塾
数学塾
進学塾
などのたくさんの習い事を
家族の大人から
強制されていて
なおかつ
11才から17才までの間に
陸上部
化学部
剣道部
英語部
パソコン部
などの部活を
していました
この内自発的に
入部したのは
化学部とパソコン部だけで
あとのすべてが周囲からの
かなりの強制を受けて
むりやり入部させられた
ものでした
私はそれらの強制された
習い事や部活の
あまりの強すぎる
ストレスのために
自殺願望に取りつかれる
ほどでした。
さらに恥ずかしいことですが
私は解離したサイコパスの
人格も持っていて、
8~16才くらいまでの間に
少なくとも5個もの
案件を引き起こしていましたが、
ここに挙げておくと、
・真っ昼間に空き地の他人の家屋の
板塀の前で一人花火大会をする
・友達が万引きしたお菓子を食べる
・灯油で火炎ビンを作ろうとする
・屋内で棄てたい私物を燃やして
ボヤ騒ぎを起こす
・たびたび家のお金を持ち出し
好きなものを買い続ける
というこれらの事案のために
警察に目をつけられて
しまっていました。
さて5才のころからの
話の続きです。
記憶に空白がある
6才前後をはさんで
《小学校時代》
7才で小学校入学
9才直前まで
まともに読み書きが
出来ず苦労する
9才~10才までの間に
習い事に何度も出された
成果なのかいちおう
人並みに読み書きが
出来るようになる
入学からこのころまで
学校での異常行動や
周囲との軋轢と衝突を
くり返したため
精神科医と
カウンセラーが呼ばれ
問診や心理テストや
カウンセリングを受け
向精神薬を処方され
1年ほど服薬する
異常行動は目に見えて
落ち着いていく
10才~11才までの間に
人生の間にこの1年だけ
見た目がまったく
別人のように
いわゆる美少年になる
この間後にも先にも
ないほど女の子から
ちやほやされ
男の子からは
妬まれることになり
人気のない場所で
いじめられること
すらあった
11才から12才までの間に
見た目が悪くなり始め
女の子からの人気が
まったくなくなる
その代わり
始めて友達と言える
親しい男の子2人が出来る
そのうちの一人と
親友になり
ひまを見つけて
彼の家で遊ぶようになるが
彼の母親から色鉛筆の絵を
教わっているとき抵抗し
不興をかい
彼とも疎遠になり
中学校に入学するころには
完全に縁が切れ
交流がなくなる
12才から13才までの間に
中学校に入学するが
まったく知らない子供ばかり
ある男の子たちのグループから
目をつけられてしまい
はげしいいじめを受けるが
泣きながらキレて反抗をくり返す
母親に優しく親身な
教育者の人格が表れ
いじめている
男の子たちのうちの2人を
当時住んでいた
義理の祖父の家に
招待し歓待
結果的にいじめは
収まるが関係は少々
ぎこちないものとなった
13才から15才までの2年間に
始めのうち周囲から
無視されていたが
その後の2年間担任を
受け持った学校内外からも
有名人の風紀指導担当教諭が
気をかけてくれるようになり
少し遅れて1年前のいじめが
その時点の進行中の話と誤解され
学校内外にウワサとして
広まってしまい
兄の友人の女子高生からも
心配され声をかけられ
必死で否定していたほどだった
明るい雰囲気のなか通学するが
親しい友人は一人だけで
内心は孤独なまま
卒業することになる
15才から17才までの2年間に
あきらめていた高校入試で
国語以外の科目が惨憺たる
ものだったにも関わらず
奇跡的に合格する
入学式の後、わずか2~3日後に
覚えのない男の子から知人として
扱われ彼の3人の友人を紹介され
グループに入るよう勧められる
昔の記憶からの思い込みで
いじめられるのかと思ったが
打ち解けて行きリーダーの
男の子の家に集まって
一緒に遊び
主にゲームやまれに
バトミントンなどの
スポーツをするようになる
いちおう人生で一番
楽しかった時期
17才から18才までの間に
前の2年間にグループ内の
友人と相談して企画した
北海道が目的地の
くり上げ卒業旅行を
夏休みの7月末に決行
フェリーターミナルから
船に乗り丸一昼夜かけて
船旅をするがこの間に
料金と予約状況の関係で
ベッドが別々の
大部屋と個室になり
誰がだれと寝るか
もめ始め意見が食い違う
不穏な旅の始まりとなる
その後北海道に着くが
旅行を企画した自分の
予定を無視して
行く先々で激しく
意見と行動が対立し
最終的に自分はグループから
疎外されてしまい
旅行から戻った時は
失意のどん底にありました
休み明けに学校へ
登校すると
学年中からの徹底した
無視が待っていました
内心のはげしい混乱と
泣き出しそうになるのを
必死でこらえて
学校内での生活の拠点を
珍しい蔵書が有るので
内外で有名な図書館にする
もっとも混乱していて
とても読書など出来ない
精神状態で
本の口絵や写真を眺めて
なんとか気晴らしに
していました
この間に立ち聞きをくり返し
断片的な情報を継ぎ合わせると
無視の原因にどうも
高校入学の時に私に
声をかけて来た
グループ内の男の子が
同学年にいる学校
一番の不良、
いわゆる番長に私への
制裁の依頼をしたらしい
そういう構図が
出来上がって
しまいました
絶望した自分は
そのころ極端に
家庭環境が閉塞し
両親の無視に近い
無理解にとても悩んで
いたこともあり
もう地元の街から
逃げ出したい
今すぐ逃げなければ
という強迫的な考えに
とりつかれ
高校卒業後に地元を
離れるという
逃避行動の直接原因に
なりました。
その学校の学年全体からの
無視が続く中、
ずっと昔同じことが
1度あったような
気がすること
その後友人たちと
交流がなくなった
私をいぶかしむ
不満そうな母に
昔誰とも遊んでない
ころがなかったかと
聞いてみると
母の話すことと
断片的によみがえった
記憶のかけらから
推測すると
小学校の3年生のころ
よく遊びにいっていた
友達に嫌われて
悪いウワサを流され
学年中から無視されて
生活していた時期が
あったらしいことを
思い出しました
そのときに自分を
仲間はずれにした
友達の顔は
間違いなく
高校入学の時に
声をかけて来た
男の子でした
そのときに
私はもう二度と
他人は信用できない
二度と他人は
信頼しないと
心に誓ったのでした
18才を迎え
長い忍従の時を越えた
私は精神的にも
肉体的にも
疲れきった状態で
卒業式を迎えます
式の終わりで
やっと解放されると
思った私は
放心していました
式の後に
講堂の椅子で
放心していた自分に
あの番長から
話しかけられ
皮肉られました
少し会話しましたが
内容など覚えて
いませんでした
その後の1年間の
記憶が消えて
しまっています
この間は状況的に
両親に責められつつ
引きこもっていたのだと
思います
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