朝、妻からちょっと文句を言われた。

悪気がなかった、というよりは好意でやったことなので、ちょっと傷つく。

ただ、そういうケースは大抵、彼女は体調が悪いか、忙しくて余裕がないか、その両方か。

言い返しても泥仕合だから、黙っている。

今日一日、自分は憂鬱な気分で過ごすんだろうなあ、と思いながら。



少ししてから、「さっきはごめん」とお詫びの言葉。

ただそれだけで、嫌な気分を全て忘れる。人は単純なものである。



多少相手を傷つけても、ちょっとくらい理不尽を押し付けても

「夫婦だから」

何事も起こらないと思っている人がいる。



何事も起こらないのではない。

相手の心の中では、確実に「何か」が起こっている。

それに思い至る彼女は、賢明で、謙虚だと思う。



私は、彼女の「心」をどれほど、慮ることができているだろうか。



彼女は今も尚、人として成長している。

私も、成長しなくてはならない。



学芸会。

運動会。

子供の晴れ舞台です。



子供の頑張りを、子供本人よりも、馬鹿みたいに応援し、喜ぶ。そんな親でありたいものです。

冷静に見たり、いちいち薀蓄を垂れる親は、素敵なものとは思いません。
子供というのは、非常に単純です。

自分が得をする行動を選び、損をする行動を避けます。



ワガママを押し通す子になるか否か。

それは、親がワガママに負けるか、負けないかです。



「ゴネた方が得」と子供が学習してしまったら、その後の修正は容易ではありません。
「どうせ○○なんでしょう?」



子供に対する、親のこの指摘は、8割がた正しい。

しかし、残り2割くらいはハズレの可能性もあると、心得ておきましょう。



「延長保育は嫌?早く家に帰りたい?それ、家でゲームがやりたいからでしょう?」



図星かもしれない。

実際、毎日のようにそう言っている子供なら、その可能性は高いでしょう。



でも、もし違ったらどうなるか。



子供が、ただ純粋に

「延長保育は寂しいから嫌。パパやママと一緒にいたい」

と思っていたとしたら?

それを「どうせゲームのためでしょ?」と一蹴されたとしたら?



子供の心の中を、100%見通せる親なんていません。

だから、決め付けない。
男は,今日も仕事で疲れきって,遅くなって家に帰ってきた。

すると,彼の5歳になる息子がドアのところで待っていたのである。

彼は驚いて言った。

「まだ起きていたのか。もう遅いから早く寝なさい」

「パパ。寝る前に聞きたいことがあるんだけど」

「なんだ?」

「パパは,1時間にいくらお金をかせぐの?」

「お前には関係ないことだ」

男はイライラして言った。

「なんだって,そんなこと聞くんだ?」

「どうしても知りたいだけなの。1時間にいくらなの?」

男の子は嘆願した。

「あまり給料は良くないさ・・・200ドルくらいだな」

「わあ」

男の子は言った。

「ねえ。パパ。ボクに100ドル貸してくれない?」

「なんだって!」

疲れていた父親は激昂した。

「お前が何不自由なく暮らせるためにオレは働いているんだ。それが金が欲しいだなんて。だめだ!早く部屋に行って寝なさい!」

男の子は,黙って自分の部屋に行った。

しばらくして,父親は後悔し始めた。

少し厳しく叱りすぎたかもしれない...。

たぶん,息子はどうしても買わなくちゃならないものがあったのだろう。

それに,今まで息子はそんなに何かをねだるってことはしない方だった・・・。

男は,息子の部屋に行くと,そっとドアを開けた。

「もう,寝ちゃったかい?」

彼は小さな声で言った。

「ううん。パパ」

男の子の声がした。少し泣いているようだ。

「今日は長いこと働いていたし,ちょっとイライラしてたんだ・・・ほら。お前の100ドルだよ」

男の子は,ベットから起きあがって,顔を輝かせた。

「ありがとう。パパ!」

そして,小さな手を枕の下に入れると,数枚の硬貨を取り出した。

父親はちょっとびっくりして言った。

「おいおい。もういくらか持ってるじゃないか」

「だって足りなかったんだもん。でももう足りたよ」

男の子は答えた。

そして,100ドル札と硬貨を父親に差しのべて...

「パパ。ボク,200ドル持ってるの。これでパパの1時間を買えるよね?」





横断歩道を渡らない人。

順番を守らない人。

信号を無視する人。

何処にでもいます。世間に溢れています。



いちいち指差して、息子に伝えます。

あれはルール違反ですね、あれはマナー違反ですよね、と。

他の人がやっているからといって、真似してはいけませんと。

悪い事は、悪い事ですから、と。



「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」?

違います。

怖いか否かではなく、ルールとしてどうか。マナーとしてどうか。常識としてどうか。



その行いは、「人として」どうなのか。



ただそれのみを、基準にしてほしいのです。




大人でも子供でも、やっちゃいけないことは、やっちゃいけない。

悪い事は、悪い事。

年齢は関係ありません。



大人だから許されるとか、子供だから許されるとか、そういう「聖域」を作らない。

人として「筋」を通すこと。それを決して曲げないこと。

そんな親を見ていれば、自ずと子供は筋を通すようになります。



悪い事をした親が、責任転嫁したり、言い訳したり、逆ギレする姿を見て、子供は「ご都合主義」を体得します。

ご都合主義の子の親を見ると、必ず同様にご都合主義者です。




朝、目が覚めると、ママにぎゅっぎゅっと暫く抱きつくのが日課の息子。

本日は、目覚ましを止めた後、二度寝してしまいました。

起こしても起きなかったため、ママはそのまま朝食の準備へ。



暫くしてから目が覚めた息子、

「ママがいない~」

と泣きべそ。

キッチンへママを追いかけていって

「ママがいなかったんだ~」

「さみしかったんだ~」

「ぎゅっぎゅしたかったんだ~」


と泣き出しました。



微笑ましい。可愛らしい。

でも、その気持ちを押し殺して、叱ります。

その希望が叶わなかったのは何故なのか、と。

泣いて、何か解決するのですか、と。

泣いてる暇があったら、明日からどうすればいいのかを考えなさい、と。



「泣けば抱き締めてくれる」

そう学習したら、子供にとって涙は単なる「道具」になります。