1個前の記事で捨て猫の話をした。



これもいい機会?だと思ったので捨て猫について少し考えてみた。


のら猫になるまでは

どこかの家庭で飼われてて、おいしいご飯や寝心地の良い座布団や、たくさんの愛情の元に暮らしていたと思う。


逆に、ご飯も食べれず寝場所はなく、にゃ~と泣けば邪魔者扱いにされ叩かれていたかもしれない。


そう異なる道の猫。


ま~

どっちにしろ捨てられてしまえば、のら猫に変わりは無い。


傷つけられ 裏切られ 捨てられて

すっかり怯えた心を持ってしまった、のら猫。


手を差し伸べれば、逃げてしまう猫もいれば、元々の愛情を思い出したかのように体をこすりつけてくる猫。


本当は、かまってほしい。本当は、愛されたい。



なんだか、少し前のオレに思えてきた。オレも、のら猫。


傷つけられ 裏切られ 捨てられて


毎日が本当に怖くて怖くて仕方がなかった。

でも、本当は信じたいし、本当はかまってほしいし、本当は、愛されたいし、本当は愛したい。本当は強くなりたい。本当はやさしくなりたい。


人が人が人が怖くて、怯えていた。


そんな

全ての事を怯える心を末梢して生きていきたい。


もっとカッコよく、もっと素直に、もっと優しく、もっともっと強くだ。


自分と向き合う事ができるようになれば、きっと本当の自分を取り戻せる気がするし、それ以上に成長することができると思う。


もっとカッコよく、もっとしっかり。


でも、残念ながら実際のところ1人ではそれは無理だ。


たった一人で!なんて…無理だ。


家族や仲間がいるから乗り越えていける。


そこは素直になって妥協すべきことだ。



動物を捨てるなってことはもちろんのことなんだけど、

何が言いたかったかって、かけがえのない1つの命を簡単に捨てるようなことはして欲しくない。


何、生意気な口たたいてるんだ。って思うかもしれないけど。

実際、オレはあの時、死なずに人生を諦めないで良かったと思ったからだ。


世界の観点からみれば

こんなこと、ちっぽけなのかもしれないけど、正直オレ自身、普通の人じゃ中々目のあたりにすることができないような波乱万丈な過酷な道を歩んできたと思う。26年間だけど、深いぞ。


その心はオレにしかわかりやしない。


でも、こうやってこの世に生きている。


ちゃんと、人間は歩む力はもってるんだよね。



我が家に捨てられた体を震わせながら怯えてたのら猫も

今じゃ、我が家、血の繋がっていない他の猫に馴染んで元気に活発に過ごしている。


勇気のある猫でしょ?一歩前に進んだんだから。成長ってこういうことなのかな。


オレも一緒にもっともっと成長し強くなって見せる。共にがんばる。


猫にがんばれて、人間でがんばれないことはない。



な、そうだろ?