ミヒャエル エンデ の書いた物語に「モモ」という、作品が有ります。

物語の内容は、確か、(虚無)が、人々から、いいことが有るからと、時間を奪って行き、街が荒廃していくなかで、モモという少女が、人々に時間を取り戻すというお話しだったように思います。

この虚無に、何故、人は、陥るのでしょう?

そこには、とてつもなく大きな絶望が、あったのでしょうか?

いずれにしても、虚無は、地球に生きている私達にとって、時間泥棒であることに間違い無いでしょう。


やりたいことが有りながら、何もする気がしない時は、きっと、虚無が、私達から、時間を奪っているのかもしれませんね。
私達には、必ず、お父さんと、お母さんが、います。


お父さんとお母さんが、互いに、愛し合い、子供を授かり、そして、互いを尊重しあう家庭を作っていければ、子供も、幸せで、自立した大人に、成長して行くでしょう。


しかしながら、結婚生活の中では、 言葉を変えれば、違う環境で育ち、異なる価値観や気質をもった男女の共同生活の中では、 互いの違いを認めて相手を尊重しあいながら生活していくことは、かなりの注意力と忍耐力が必要です。


私達は、日常の生活の中で、自分に対しての注意力や忍耐力、在る意味、内省する力を、どれくらい持っているでしょう?


そして、愛するパートナーに対して、どれだけ、心理的な配慮が、できているでしょうか?


私達は、大概が、パートナーへの愛の裏側に、自身の不満を抱えながら、家庭生活を送ってしまいがちです。


家庭生活の中で、互いにわかり合えるまで、話しあいながら、生活していければ、幸せな家庭を築いていけるかもしれません。


でも、残念ながら、忙しさや、面倒臭さの為に、こうした話し合いが、なされていない家庭が、多いのでは、無いでしょうか?


そして、こうしたお父さんとお母さんの間で育つ子供は、何を思うでしょう?


子供は、小さくても、お父さんとお母さんが、仲良く、幸せになって欲しいと願っています。


だから、親に余計な心配を掛けないように、自分を押さえ、必死で、おりこうさんを演じたりもします。


親の悲しみや、寂しさを癒やしてあげようと頑張る子供達は、たくさんいます。

親のみなさん。

あなた方も、そうやって頑張った子供時代を過ごしたかもしれませんが、どうぞ、ご自分の子供達には、そんな可哀想なことを、させないで下さい。


子供には、子供の人生があることを尊重し、子供が、自由に自分の人生を生きられるように、温かく、見守って上げて下さい。


これは、私自身の子供時代の心の叫びであり、そして、親としての戒めでもありますビックリマーク



あなたは、本気で生きていますか? と問われたとき、どれくらいの人が、本気ですと 返事が、できるでしょう?

私達は、限られた寿命の中で、自分が、心から、やりたいことは、何なのか?自分の適性は、何なのか? そして、魂から欲していることは、何なのか? と自問自答し、試行錯誤して生きて行く方が、大部分だと思います。

なかには、たいして疑問ももたずに、なんとなく、敷かれたレールの上を、走っていって、幸せな人生を、送る方も、いらっしゃいます。


そういう方は、きっと、その人の適性と徳が、備わった方なのでしょうね。


でも、大概の人は、私も含めて、壁にぶち当たって、悩むことが、多いです。


それは、本気で生きてないから…


本気で生きるとは、自分の内面は、目を背けず、痛みも認め、自分と対峙しすることから始まります。


私たちは、本当の自分の弱さ、痛み、傷、そしてもちろん長所も、正当に認めたがらないところがあります。


どうしても、痛みに対しては、見て見ないふりをした方が、楽な時も有ります。

でも、それは、あくまでも逃避であって、自信の本質を、しることを恐れているだけなのです。


そこに、本当の幸せは、有るでしょか。

本気で生きるとは、自信を、深くしり、心からの喜びを持って、覚悟を持って、生きて行くことだと思いますキラキラ


もちろん、この地球に生を受けて、生かされていることに、感謝の気持ちは、忘れないでね下さい!!