kayaです。
昨日晩、報道ステーションに古館キャスターが作家の高村薫にインタビューをしている番組をみました。
テーマは
高村さんに映る今の日本と日本人の姿とは、どのようなものなのか。そして、今後の日本人の生き方について、どのように思うのか。
そして今朝、特ダネに橋下徹市長が入試中止問題で生出演されていました。
たまたま見ていた報道番組で二人が訴えかけていた事が共通していて、なんだか偶然と思えませんでしたし、今の日本の課題を浮き彫りにしている感じがしました。
共通ワードとして「考える事」「考え抜く事」でした。
高村さんは「今の若い人たちは感覚的に発言するのは得意だけれども、質問に対し、追求して行くと答えられない。よもや、それはどういうことですか?と考えもしないで答えだけを聞く始末。考える力が不足している」実際にはもっと温かい、客観的な意見として発言されていました。
橋本さんは「事の重要性が分かっていない。一人の高校生が体罰という「暴力」で命を落としているんです。これは今こそ教育の在り方を考え直す、改め無ければならないと言う事なんです。どうやったら良い学校になるのか、大切なのは皆で考えて、皆で意見を出し合って、皆で答えを見いだして行く事です」これもざっくりと書いてしまいましたが、こんな事を総合的には言っていました。
こういう改革が出来る人が、今のご時世大切ですね・・・
人それぞれ思いは有ると思いますし、自分の人生を守りたいって、夢を追いかけて行きたいって思うと思いますよ。
桜宮高校ってだけで、他校や周りから嫌がらせを在校生がされているようですから、一見無関係の人まで被害者になって、なんて悲惨な思いをしているんだと、今の生活から抜け出したくなる思いだと思います。
でも、同じ時代に、同じ時を過ごさなければならなくなった、自分で選んだ人生のチャレンジです。
それを、周りの家族や学校の仲間で乗り越えて行く事だと思います。
そして、未来に生かさなければなりません。
私は、部活を通して、体罰という指導も受けましたし、それを黙認していたり、それを良い教育だったとすら思っていました。今の子供たちに対してはそれが許されない環境になり、だから根性が無く、甘い考えを持った大人に育つのだとか、以前は思っていました。
そこに愛を感じられれば、そういう教育方法も無くてはならないと思っていましたから。
殴る方だって痛みを感じ、それ相応の思いもしているんだと、勝手な良い訳を作って。
スポーツ推薦で高校に入り、バスケット部に、キャプテンとして所属し、厳しい教育を受ける。
ふと考えると、彼は私と同じ境遇で、同じ思いをして、何故かただ事とは思えません。
大人になり、色々な経験をすると、それは間違っていたんだと気がつきました。
亡くなった彼の話に「何で僕だけなぐられるんですか?殴られなければならないんですか?」
って遺書にあったように、私も何度もそう思っていました。
殴られなければならない理由がそこには無かった。なのに殴られる。
でもキャプテンだから、皆のキャプテンだからって、それだけで自分で自分を押さえ込んでいました。
自分が代表になって、見本にならなければ。だれかのミスはキャプテンのミスだって。
彼は、肉体を傷つけられ、精神も傷つけられ、辞めると言う選択も無く、毎日重圧に耐えていた。
(スポーツで高校に入って、しかもキャプテンになんてなったら辞める等いう選択肢は考えられないからです。これはスポーツ選手の独特の間違ったこだわりなのかも知れません)
ストレスと言うものがバスケットのプレイにも出ていたはずです。
頑張って結果も出ない。理不尽な暴力を受ける。自分の心の拠り所が無い。
「生きていたって意味が無い」
彼はそう思ってしまったのでなないのかな・・・・
私だったらそう思ってしまっていたかもしれません。。
彼の選んだ、自分の人生へのチャレンジだったとするならば、これをきっかけとして私たちは新たな教育改革を起こさないと、未来を受け渡して行く相手は子供たちですから。
彼が何の為に存在したのか、うやむやになってしまいます。
橋本さんはそういう事を良いたいのじゃないのかな。皆の言う事はわかりますし、現実問題って言われる意味も分かる。でも、もっと人として大事な事があるでしょ?って。
そして子供の母親として、今の教育の在り方に疑問を感じ取らなければなりません。
高村さんはその点に触れていました。
「日本再生にはこどもを育てる事」 と。
未来を担うのは子供たちですからって。
これが次世代への受け渡しですかね。。。
(大人は変なこだわりを捨てなければならないよね・・・)
ただ、私は自殺は絶対に駄目です。と訴えかけたいです。
私たちは「ここに存在し、最後まで行き抜く事」その為にここに来たんですから。
どんなに辛くても、悲しくても、それすらも乗り越え、その先にある光を見る為に生き抜かなかればなりません。
「生きたくても生きる事を許されなかった私たちのことを知ってもなお、命をおろそかにするのですか?」
この言葉を目の当たりにしたのが、昨日偶然にも立ち寄った「大船観音」です。
昨日からの一連の流れは、なんだか一本線で繋がってしまい、どうしても書かずにはいられませんでした。
ここには白衣観音というそれはそれは大きな観音様がいらっしゃいます。
観音様の中に入るとこのような千体仏がならんでいます。
戦争を経験していない国民は人口の半数以上にもなります。
私たちは教育で、過去の戦争の事はあまりにも学ばなすぎています。
何故戦争が起きたのか?何故日本は負けたのか?何故日本の教育は戦後変わったのか?
これは教育ではなく、自分で選択をして学んで行かなければなりません。
それ故に命の尊さ、今私たちがこのような生活が出来ているのは過去があるから。
そして生きたくても生きられなかった、でも日本の為に亡くなっていった魂があるからと、
もっともっと子供たちに伝えて行かなければなりません。
そして大切なのは、
「核兵器もない、戦争もない、平和な世界」
いま、日本近隣で起きている国際問題、世界でおきている戦争等々、日本という国の中だけにいると分からない国際問題が多数起きています。
さらには、私たちが住んでいるこの日本でさえも、危うい状況でもありますよね。。
でも私たちの生きる時代独特の心の核兵器もあるって、おそらく戦時中なんか思えませんよね。
家族も居て、寝る家もあって、帰る場所もあって、食べられるものが食べられる生活。教育も受けられる環境がある。
これの何処に、命を絶つ理由があるのでしょうか?
だからこそ、命を絶つ、その心の闇ほどたちが悪い。。
「一発の原子爆弾によって、数十万人の広島市民を焼き尽くした「怨念の炎」はいまもなお福岡県星野村で燃え続けている。「平和を願う原爆の火」としてその火をこの塔に採火した。」
人の命を無情に奪う戦争と、心の中から命を平然と奪って行くいじめや、暴力での死は
それまでの過程と違っていても結果としては同じ「死」なんです。
そう思うと、こちらに書かれている平和の平和とは何でしょうかね。
私にとっては、現代増え続ける自殺者の数を見た時に、戦後、復興した日本は平和を取り戻したとか言っていますが、心の中で起きている、生と死のやり取りが、たちの悪い戦いだって思えてしょうがないです。
そして、この生と死に対しての人々の意識が無頓着すぎて怖いです。
本当に、事が起きないと気がつかない、そんな状況になっても致し方なくなります。
問題をスルーしてはだめ。考えて、考え抜いて答えを出して行かないと。
そんな思いで、私も考えています。
また、ゔぃーなす会でも、子育ての在り方とか、教育の在り方とか、そして「生きる事」そういったテーマも考えて行きたいと思っています。
私は心の闇は、やはり人とのつながりで薄れて行くもんだと思っています。
私のいつも通い詰めている、綱島温泉と言う歴史ある温泉施設は、施設は古く設備も昭和のまま。笑
毎日高齢者の方が来て、見知らぬ人に声をかけてくれています。
「ここのお湯はね、芯まで染みていいよ~若い人はストレスが無くなるっていってるよ~」
「それにここには一人くらしの高齢者が来ていて、皆で互いに元気交換をしているんだ。顔を見ないと家まで心配して見に行くんだよ」
「ここにきてると病気の予防にも、皆で健康管理もできるからよいのよ~、皆で笑ってさ病気を吹き飛ばすんだよ~」
ってそれはそれは沢山見知らぬ私に話しかけてくれて、
「ああ~都心部でもこういう田舎みたいなところ有るんだ~」って思いました。
ちいさな子供が来たら皆で、構って上げる。子供も、よそのお婆ちゃんでもそのお婆ちゃんのところに行って一緒にお風呂に入る。
こういう、赤の他人でも皆が家族という構図がどんどん無くなっていると思っています。
隣に住んでいる人も知らなければ、何をやっているかもわからない。。
都心部はそういう構図になっていますよね。
見方はそれぞれですが、これで本当に良いのでしょうか?
私は自分で少しづつ変えて行きたいと思っています。
ご紹介までに、綱島温泉を!
興味があれば一度行ってみてください。
綱島ラジウム温泉 東京園
昨日晩、報道ステーションに古館キャスターが作家の高村薫にインタビューをしている番組をみました。
テーマは
高村さんに映る今の日本と日本人の姿とは、どのようなものなのか。そして、今後の日本人の生き方について、どのように思うのか。
そして今朝、特ダネに橋下徹市長が入試中止問題で生出演されていました。
たまたま見ていた報道番組で二人が訴えかけていた事が共通していて、なんだか偶然と思えませんでしたし、今の日本の課題を浮き彫りにしている感じがしました。
共通ワードとして「考える事」「考え抜く事」でした。
高村さんは「今の若い人たちは感覚的に発言するのは得意だけれども、質問に対し、追求して行くと答えられない。よもや、それはどういうことですか?と考えもしないで答えだけを聞く始末。考える力が不足している」実際にはもっと温かい、客観的な意見として発言されていました。
橋本さんは「事の重要性が分かっていない。一人の高校生が体罰という「暴力」で命を落としているんです。これは今こそ教育の在り方を考え直す、改め無ければならないと言う事なんです。どうやったら良い学校になるのか、大切なのは皆で考えて、皆で意見を出し合って、皆で答えを見いだして行く事です」これもざっくりと書いてしまいましたが、こんな事を総合的には言っていました。
こういう改革が出来る人が、今のご時世大切ですね・・・
人それぞれ思いは有ると思いますし、自分の人生を守りたいって、夢を追いかけて行きたいって思うと思いますよ。
桜宮高校ってだけで、他校や周りから嫌がらせを在校生がされているようですから、一見無関係の人まで被害者になって、なんて悲惨な思いをしているんだと、今の生活から抜け出したくなる思いだと思います。
でも、同じ時代に、同じ時を過ごさなければならなくなった、自分で選んだ人生のチャレンジです。
それを、周りの家族や学校の仲間で乗り越えて行く事だと思います。
そして、未来に生かさなければなりません。
私は、部活を通して、体罰という指導も受けましたし、それを黙認していたり、それを良い教育だったとすら思っていました。今の子供たちに対してはそれが許されない環境になり、だから根性が無く、甘い考えを持った大人に育つのだとか、以前は思っていました。
そこに愛を感じられれば、そういう教育方法も無くてはならないと思っていましたから。
殴る方だって痛みを感じ、それ相応の思いもしているんだと、勝手な良い訳を作って。
スポーツ推薦で高校に入り、バスケット部に、キャプテンとして所属し、厳しい教育を受ける。
ふと考えると、彼は私と同じ境遇で、同じ思いをして、何故かただ事とは思えません。
大人になり、色々な経験をすると、それは間違っていたんだと気がつきました。
亡くなった彼の話に「何で僕だけなぐられるんですか?殴られなければならないんですか?」
って遺書にあったように、私も何度もそう思っていました。
殴られなければならない理由がそこには無かった。なのに殴られる。
でもキャプテンだから、皆のキャプテンだからって、それだけで自分で自分を押さえ込んでいました。
自分が代表になって、見本にならなければ。だれかのミスはキャプテンのミスだって。
彼は、肉体を傷つけられ、精神も傷つけられ、辞めると言う選択も無く、毎日重圧に耐えていた。
(スポーツで高校に入って、しかもキャプテンになんてなったら辞める等いう選択肢は考えられないからです。これはスポーツ選手の独特の間違ったこだわりなのかも知れません)
ストレスと言うものがバスケットのプレイにも出ていたはずです。
頑張って結果も出ない。理不尽な暴力を受ける。自分の心の拠り所が無い。
「生きていたって意味が無い」
彼はそう思ってしまったのでなないのかな・・・・
私だったらそう思ってしまっていたかもしれません。。
彼の選んだ、自分の人生へのチャレンジだったとするならば、これをきっかけとして私たちは新たな教育改革を起こさないと、未来を受け渡して行く相手は子供たちですから。
彼が何の為に存在したのか、うやむやになってしまいます。
橋本さんはそういう事を良いたいのじゃないのかな。皆の言う事はわかりますし、現実問題って言われる意味も分かる。でも、もっと人として大事な事があるでしょ?って。
そして子供の母親として、今の教育の在り方に疑問を感じ取らなければなりません。
高村さんはその点に触れていました。
「日本再生にはこどもを育てる事」 と。
未来を担うのは子供たちですからって。
これが次世代への受け渡しですかね。。。
(大人は変なこだわりを捨てなければならないよね・・・)
ただ、私は自殺は絶対に駄目です。と訴えかけたいです。
私たちは「ここに存在し、最後まで行き抜く事」その為にここに来たんですから。
どんなに辛くても、悲しくても、それすらも乗り越え、その先にある光を見る為に生き抜かなかればなりません。
「生きたくても生きる事を許されなかった私たちのことを知ってもなお、命をおろそかにするのですか?」
この言葉を目の当たりにしたのが、昨日偶然にも立ち寄った「大船観音」です。
昨日からの一連の流れは、なんだか一本線で繋がってしまい、どうしても書かずにはいられませんでした。
ここには白衣観音というそれはそれは大きな観音様がいらっしゃいます。
観音様の中に入るとこのような千体仏がならんでいます。
戦争を経験していない国民は人口の半数以上にもなります。
私たちは教育で、過去の戦争の事はあまりにも学ばなすぎています。
何故戦争が起きたのか?何故日本は負けたのか?何故日本の教育は戦後変わったのか?
これは教育ではなく、自分で選択をして学んで行かなければなりません。
それ故に命の尊さ、今私たちがこのような生活が出来ているのは過去があるから。
そして生きたくても生きられなかった、でも日本の為に亡くなっていった魂があるからと、
もっともっと子供たちに伝えて行かなければなりません。
そして大切なのは、
「核兵器もない、戦争もない、平和な世界」
いま、日本近隣で起きている国際問題、世界でおきている戦争等々、日本という国の中だけにいると分からない国際問題が多数起きています。
さらには、私たちが住んでいるこの日本でさえも、危うい状況でもありますよね。。
でも私たちの生きる時代独特の心の核兵器もあるって、おそらく戦時中なんか思えませんよね。
家族も居て、寝る家もあって、帰る場所もあって、食べられるものが食べられる生活。教育も受けられる環境がある。
これの何処に、命を絶つ理由があるのでしょうか?
だからこそ、命を絶つ、その心の闇ほどたちが悪い。。
「一発の原子爆弾によって、数十万人の広島市民を焼き尽くした「怨念の炎」はいまもなお福岡県星野村で燃え続けている。「平和を願う原爆の火」としてその火をこの塔に採火した。」
人の命を無情に奪う戦争と、心の中から命を平然と奪って行くいじめや、暴力での死は
それまでの過程と違っていても結果としては同じ「死」なんです。
そう思うと、こちらに書かれている平和の平和とは何でしょうかね。
私にとっては、現代増え続ける自殺者の数を見た時に、戦後、復興した日本は平和を取り戻したとか言っていますが、心の中で起きている、生と死のやり取りが、たちの悪い戦いだって思えてしょうがないです。
そして、この生と死に対しての人々の意識が無頓着すぎて怖いです。
本当に、事が起きないと気がつかない、そんな状況になっても致し方なくなります。
問題をスルーしてはだめ。考えて、考え抜いて答えを出して行かないと。
そんな思いで、私も考えています。
また、ゔぃーなす会でも、子育ての在り方とか、教育の在り方とか、そして「生きる事」そういったテーマも考えて行きたいと思っています。
私は心の闇は、やはり人とのつながりで薄れて行くもんだと思っています。
私のいつも通い詰めている、綱島温泉と言う歴史ある温泉施設は、施設は古く設備も昭和のまま。笑
毎日高齢者の方が来て、見知らぬ人に声をかけてくれています。
「ここのお湯はね、芯まで染みていいよ~若い人はストレスが無くなるっていってるよ~」
「それにここには一人くらしの高齢者が来ていて、皆で互いに元気交換をしているんだ。顔を見ないと家まで心配して見に行くんだよ」
「ここにきてると病気の予防にも、皆で健康管理もできるからよいのよ~、皆で笑ってさ病気を吹き飛ばすんだよ~」
ってそれはそれは沢山見知らぬ私に話しかけてくれて、
「ああ~都心部でもこういう田舎みたいなところ有るんだ~」って思いました。
ちいさな子供が来たら皆で、構って上げる。子供も、よそのお婆ちゃんでもそのお婆ちゃんのところに行って一緒にお風呂に入る。
こういう、赤の他人でも皆が家族という構図がどんどん無くなっていると思っています。
隣に住んでいる人も知らなければ、何をやっているかもわからない。。
都心部はそういう構図になっていますよね。
見方はそれぞれですが、これで本当に良いのでしょうか?
私は自分で少しづつ変えて行きたいと思っています。
ご紹介までに、綱島温泉を!
興味があれば一度行ってみてください。
綱島ラジウム温泉 東京園