kayaです。

本日20日は川崎大師にて
初大師の行事が行われるということで、お誘いを頂き、夜の19時より行ってまいりました。

川崎大師とは ←クリック 
こちらを参照 
(もしくは、文中最後にホームページより転載させていただいております)

私は品川区に4年、川崎よりほど近い横浜市に2年住みましたが、実は一度も川崎大師は行ったことがありません。
何度も近くを通った事があるんですが・・・

それはタイミングがなかったからもありますし、あの頃はまだご縁がなかったのですね・・・

2013年は弘法大師つながりが多いようです。
先日、遠州三山のひとつ 真言宗 油山寺に行って来たとブログでも紹介したばかりなんですが。
コチラ → 油山寺に行ってきました。


なんだか、ご縁を感じます。

今回ご縁を頂いたのは私がお世話になっている先生でして(ブログもかかれています)、丁度金曜日にお会いして
20日に川崎大師に行くと言うお話を聞き、直感で動く私は、都合つけますと言い放ち、
当日出向く事に・・・・

昼間はどうやら激込みだったようですが、夜は全然人気がない、川崎大師・・・

出店も終わっていました・・・ガーン

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しかし、正門の一番近いだるまやは最後まで営業しているようです!!おじさまたちが寒いのに
お声をかけてくれています!!がんばれえ!!

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だるまやを通り過ぎ、まずは正門へ向かいます。
なんせ、初川崎大師なので、川崎大師駅から少々迷いながら来ました。
どうやら迷わずたどり着いたようです。
いつもそうなんですが、地図も見ず、嗅覚の「なんとなくこっち」だけでたどり着ける自分に関心。

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そして・・・

どーーんと、大山門です。
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そこをくぐれば、大本堂が見えます。
夜ですが、カメラが良いと綺麗に写るもんですね♪(一眼レフデビューです♪)
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大本堂は、当山吉例大開帳奉修の記念すべき昭和39年5月に落慶されました。
堂内には御本尊厄除弘法大師を中心に、不動明王・愛染明王などの諸仏が奉安されております。
また、古来より勅願寺に列せられた由縁によって大本堂大棟には菊花の紋章が許されております。



こちらは経蔵。
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平成16年大開帳奉修記念事業として落慶されました。
経蔵には中国最後の木版大蔵経「乾隆版大蔵経」7240巻が収蔵されています。
御本尊・説法釈迦如来の前に置かれた五鈷杵には、金箔の奉納をする事ができ、この奉納によって仏様との強いご縁を結ぶことが出来るお堂です。


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天井がまた綺麗なんです!!
(ちゃんと許可を得て撮影を致しました!!)

ぶれぶれですが、
八角五重塔
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八角五重塔は、昭和59年の当山吉例大開帳ならびに弘法大師1150年御遠忌を記念し落慶されました。
当山の五重塔は、境内と諸堂宇との調和を考慮し、さらに真言の様式にかなうよう華麗にして格調ある「八角」としたものであります。
八角は最も円に近い建造物の形といわれ、「包容力」「完全性」を象徴しています。
3月21日~12月20日の第1日曜日と、ご縁日(21日)に公開しています。


そして大本堂です。
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そして、お護摩にて祈願をさせて頂き、本日は終了。
久しぶりに正座をしてお経という経験をしましたが、私は親族が坊さんという環境で育ったのも有り、お経は私にとって、身近なものとして育ちました。
自分自身が実家を出て、独り立ちするとともに、その環境から少し離れていましたが、お堂でお経を聞くと言うのは、なんというか、ゼロに戻ります。
やっぱり、すごーく、良いです。宗教は違いますが、結局は同じ所から来ていますから、関係ありません。


年が明けて、1月20日、まだ20日しかたっていないのに、私の時間の中では、3ヶ月くらい経ったような時間軸です・・・本当にめまぐるしいですが、毎日繁栄しています。

今後も繁栄できるように、今日は御祈願してきました。

皆様にも御利益がありますようにニコニコ


お護摩について
お護摩のご修行は、奥深い内容を秘めた哲学的な意義と、真言宗という、正しい密教の教理に裏付けられた荘厳な宗教儀式です。
お護摩とは、梵語でホーマ(homa)といい、〈焚く〉〈焼く〉などの意味をもつことばで、仏の智慧の火を以て煩悩(苦の根元)を焼きつくすことを表します。
 お護摩は、御本尊のご宝前に設けられた護摩壇の周囲に香華をはじめ五穀、お供物をそなえ、斎戒沐浴して心身を浄めた導師が、中央の炉の中に護摩木を焚いて、御本尊厄除弘法大師さまのご供養をすることにはじまる、きわめて厳粛な秘法です。
合掌して、お大師さまのご宝号「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」をお唱えください。
このお護摩によって、皆様の煩悩を焼き浄め、大厄を消除し、すすんで家内安全、商売繁昌、病気平癒、心願成就など、開運の祈願をなされますことをおすすめいたします。



川崎大使 略縁起
江戸時代中期の川崎大師
『東海道名所図会』
 今を去る880余年前、崇徳天皇の御代、平間兼乗(ひらまかねのり)という武士が、無実の罪により生国尾張を追われ、諸国を流浪したあげく、 ようやくこの川崎の地に住みつき、漁猟をなりわいとして、貧しい暮らしを立てていました。兼乗は深く仏法に帰依し、とくに弘法大師を崇信していましたが、 わが身の不運な回り合せをかえりみ、また当時42歳の厄年に当たりましたので、 日夜厄除けの祈願をつづけていました。
 ある夜、ひとりの高僧が、兼乗の夢まくらに立ち、「我むかし唐に在りしころ、わが像を刻み、 海上に放ちしことあり。已来未(いらいいま)だ有縁の人を得ず。いま、汝速かに網し、これを供養し、功徳を諸人に及ぼさば、汝が災厄変じて福徳となり、諸願もまた満足すべし」と告げられました。

兼乗は海に出て、光り輝いている場所に網を投じますと一躰の木像が引き揚げられました。
それは、大師の尊いお像でした。 兼乗は随喜してこのお像を浄め、ささやかな草庵をむすんで、朝夕香花を捧げ、供養を怠りませんでした。
 その頃、高野山の尊賢上人が諸国遊化の途上たまたま兼乗のもとに立ち寄られ、尊いお像と、これにまつわる霊験奇瑞に感泣し、兼乗と力をあわせ、ここに、大治3年(1128)一寺を建立しました。そして、兼乗の姓・平間をもって平間寺(へいけんじ)と号し、御本尊を厄除弘法大師と称し奉りました。これが、今日の大本山川崎大師平間寺のおこりであります。
 法灯をかかげて、悠久ここに880余年、御本尊のご誓願宣揚と正法興隆を目指す根本道場として、川崎大師平間寺は、今、十方信徒の心からなる 帰依をあつめています。
御本尊弘法大師とご誓願


御本尊弘法大師
 当山に奉安する御本尊は、弘法大師空海上人の御尊像であります。
 お大師さまは、今から1,230余年前にご誕生になり、日本に真言密教の教えを広められた偉大な聖人であります。 そのご一生は、国家安穏・済世利人のために不惜身命の努カを尽くされ、様々な方面に大きな足跡を遺されたことから、日本仏教の柱、日本文化の父とも仰がれております。そして、ご入定後 1,170余年の今もなお、わたくしたちの心の、また生活のよりどころとして仰がれ慕われております。
 お大師さまの教え(真言密教)は、わたくしたち一人一人の人間が現世の迷いから「心の目」を開き、現実生活の中に仏(目覚めた人間)となることを説かれた「即身成仏」の教えであります。 お大師さまは、そのご誓願の中で、「我が後生の門徒、たとい我が現相を見ずといえども、我が形相を見るごとに真に我に逢えりと思い、我が教えを聞くごとに真に我が言音を聞くと思わば、我定恵の力を以って摂取して捨てず」と仰せられております。