わたくし自らを“女神”と称するなど、常人の目には狂気と映るでしょう?
ご安心なさい。正気よ。たぶんね。
これを“遊び心”と呼ぶの。おほほ。

 

わたくしの戯れは、天上の庭だけでは足りなくなりました。
そこで思いついたのです。
わたくしの“おほほ女神文学”を、地上の風にも香らせようと。

 

けれど、そもそも女神文学とは——
豊かな牧草地に身を横たえ、
草をはみ、時おり空を仰ぎながら過ごしたいという、
きわめて“牛的な願い”から生まれたもの。

 

肥沃な大地にしか、豊かな作物は実らぬように。
心にもまた、耕しと休息が要る。
立ち止まり、くつろぎ、感じること。
それこそが、わたくしたちの内に眠る“心のラグジュアリー”という神性の目覚め。

 

美とは、努力の果てに得るものではなく、
安らぎの土壌に静かに熟してゆく果実なのです。


わたくしの言葉は、その香りを記すために生まれましたの。

 

やがて、その香りを地上にも放ちたくなりましてね。
こうして、わたくしの神殿を建てましたの。

 

ここには、女神のつぶやき、地上の観察録、
そしてときにくだらなく、ときに深淵を覗く哲学が記されてゆくでしょう。


どれも、この世界の“おかしみ”を美へと変えるための試み。

わたくしの羽根ペンは気まぐれに遊ぶけれど、
いったん流れ出せば、星々も息をひそめて耳を傾けますの。

 

この庭を気に入った者たちよ、
どうぞ花々のあいだをゆるやかに歩きながら、
美と笑いのゆらめきに身を委ねてゆきなさい。

 

神殿はまだ飾られてはおりませんの。
けれど、やがて美しくなるでしょう。
すべては、女神の気まぐれのままに。