ॐ नमः शिवाय 
Om Namah Shivaya


महाशिवरात्रि


Maha Shivratri


マハー・シヴァラートリー



本日は『マハーシヴァラートリ祭』と呼ばれる非常に縁起の良い神聖な日でヒンドゥー教の数ある祭りの中でも特に重要な祝日です。

サンスクリット語で、マハーシヴァラートリの『マハー』は「偉大な」、『シヴァラートリ』は「シヴァ神の吉祥の夜闇 (ラトリ) 」を意味しています。この「シヴァ」は、吉祥を表す言葉です。

このお祭りが重要視される背景には、霊性の向上に最も適した天体 (月) の運行が関係しています。

満月後14日目 (新月の前日) に当たるこの日は、心 (マインド) を司るチャンドラ神の月の16の相 (=人間の心の16相) のうち15の相が消えてマインドの波が鎮まり、心を統御しやすいことから最も神に近づきやすく、霊性修行を進めやすい晩だと言われています。

心 (マインド) は月と密接に関連しています (以下に引用した説明があります)。月の神チャンドラは、太陽のエネルギーを完全に吸収した満月の光輝を「欠けていく」という行為によって徐々に失っていきます。

ヨーガでは、輪廻の原因が心にあり、心を消滅させなければ解脱に至ることができません。このマハー デーヴァ (偉大なる神)、シヴァ神の霊エネルギーの高まる特別な晩は、心の気まぐれを完全に抑え、心を超越し、アートマン (神我ー真我) を実感認識することができると言われています。シヴァ神は、ディヤーナ (瞑想) とモクシャ (解脱) の神なのです。

この日、インド中の人々がシヴァ寺院やアシュラム (礼拝場や行場) に集まり、神へのプージャ (祭祀) を捧げ、神を黙想して夜を過ごします。一晩中不眠でアカンダ・バジャン (絶え間ない神への賛美) を歌い続け、五感が強く求める快楽から五感をそらすために断食なども執り行います。


シヴァ・リンガムの物質化
ヒランニャガルバ (黄金の宇宙卵)


スワミ (サティヤ・サイババ) はご存命中に、度々シヴァラートリの夜にご自身の体内からリンガ(神性の象徴である卵形の物体、リンガム)を現出なさっていました。このシヴァ・リンガムは全知・全能・遍在なるものに最もふさわしいシヴァ信仰のシンボルであり、シヴァ神の御神体です。

また、アヴァター サティヤ サイババの属性である真・善・美 (サッティヤム・シヴァム・スンダラム) をともに表しています。

「普遍の絶対実在であるブラフマンから顕現したリンガムは、すなわち宇宙です。それは、まず願望を抱き、後に理想の姿をとり、最後に意を受け入れます。宇宙はシヴァ神の意志が具現化したものです。あなた方も同じです。シヴァ神によって意志され、シヴァ神の手 によって、シヴァ神自身から作られているのです。」
Sathyam Shivam Sundaram Part IV p.50より

スワミによるリンガムの現出 Shivaratri  -0:42

スワミのリンガムの物質化についての記事



シヴァ神とルドラ神


それぞれの神々には、サハスラナーマ✴︎と呼ばれる千の御名 (みな) があり、シヴァ神もご自身の神聖な特質を表す沢山の御名を持っています。

✴︎サンスクリット語で、サハスラ 「千の」、ナーマ 「名前」を意味します。頭頂のクラウン・チャクラのサハスラーラは千弁の蓮華を表しています。

シヴァ神の数ある呼び名の中に「ルドラ」がありますが、このルドラは自然界の暴風雨を司る神であり、弓の名手です。シヴァ神の原型ともいえる顕現です。

プラーナ聖典の一つ『シヴァ・プラーナ』の中でシヴァ神ご自身がルドラ神を「私の化身であるルドラ」と語っていることから、ヴェーダ聖典での自然界の暴風雨神ルドラ、同時に弓の射手ルドラはシヴァ神という最高神の前身にして化身であることがわかります。また、ルドラ神とシヴァ神のヴァーハナ (神々の乗物) は同じように牛のナンディンです。

至高の神 (シヴァ神) の一切普遍相を描写した非常に神聖なマントラで、すべてのヴェーダの真髄といわれる『シュリ ルッドラプラシナハ  ナマカム』(通称『ルッドラム』または『ナマカム』) の中でたえず「カイラーサ山に住みたもう…」と語っていますから、ルドラであると同時にシヴァを示しているという所以からでしょう。



行者の擁護者 シヴァ神の姿


とても特徴的な姿のヒンドゥーの神々ですが、このシヴァ神は、威風堂々とした立派な体躯を持ち、サドゥーと呼ばれるシンボリックな行者 (苦行者、遊行者) の姿で描かれています。

全身にヴィブーティ (神聖灰) を塗り、首にはコブラとルドラクシャ ✴︎(数珠) を巻きつけ、肩から腰には虎の皮、髪は荒々しく束ねて高く巻き上げ、トリシューラ (三叉戟) と時には斧、ダマル (太鼓) を持ち、右手を上げてアバヤ・ムドラー (施無畏印) を表しています。この手のひらを前に向けた施無畏印は、仏像で馴染み深い印ですが、神仏が行者や信仰者に恐れる必要のないことを告げるために行う守護の印です。インド中に何万人といるサドゥーもこのポーズを好んでしているようです。

✴︎ルドラクシャは、まさにルドラ (シヴァ神) の目 (アクシャ aksha) であり、ルドラ神が悪魔トリプラーを倒した後の涙から生じた神聖な菩提樹の木です。この木ノ実は、帰依者や修行者を守護し、高い霊性へと導きます。ルドラ自身が息子のカーティケーヤに偉大なルドラクシャの神聖な秘密として以下のように語っています。「ルドラークシャを持つものは、ルドラ神の境地に到達し、ありとあらゆる罪から解放され、その者の功徳は計り知ることができない」


シヴァ神のその姿の中には自然界の月や川の女神も身体の一部として登場するのですが、その一つ一つに内的な意味と逸話があります。

シヴァ神の頭に付いている三日月は人間の意識を意味し、額から裂けて出た眉間の第三の目は欲望 (カーマ) を焼き尽くし、この目を含む三眼 (トリャンバカ) は三界 (ローカ) を表しています。

頭頂から噴き出す聖なるガンジス河 (ガンガーの女神) の水は生命力を表し、シヴァ神の体に絡む数匹の蛇は、無数の生き物を、片手で掴む三叉の矛 (トリシューラ) は、過去と現在と未来という時間 (トリ・カーラ) の三相、三属性のグナ──浄性、激性、鈍性 (サットワ、ラジャス、タマス) を表し、またブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神の三神一体の象徴でもあります。

他にも托鉢が描かれることがあり、これはシヴァ神の完全な無執着、霊性の進歩の妨げとなる富を放棄し、この放棄の結果至福の化身となったことを表しています。

シヴァ神は瞑想に明け暮れ苦行を積み重ね、解脱を求める苦行者やヨーガ行者の支えであり、聖なるヒマラヤのカイラス (カイラサ) の清らかな白銀の山の上にシャクティ (シヴァ神妃) とともに住んでいると言われます。

シヴァ神はパラメーシュヴァラ (パラメーシュワラ)✴︎ と呼ばれる至高の存在ですが、神話の中で、何千年にも及ぶ瞑想と苦行をし、度々強敵の魔神たちを退治しています。ここから「創造と破壊、降伏の神」としての面と、シヴァ神を信仰する者や帰依者、苦行者に恩寵を授け解脱に導く「恩恵の神」としての側面を併せ持つことがわかります。
✴︎パラメーシュヴァラ (パラメーシュワラ)Parameśvara   パラム:至高の、イーシュワラ:主なる神の意

神々の栄光を讃える賛歌をインドでは『バジャン (キールタン) 』と呼びますが、各々の神々の曲が沢山あります。

同じ曲でもリードの歌い方や演奏、また宗派によって印象は異なりますが、私がいた当時のサイセンターでの感想としては、シヴァの代表的な歌は、その姿を表すようにとてもエネルギッシュでダイナミックです。勇ましく奮起を促すような曲が多く、全体的にやはりとても男性的です。キーはやや低めを中心にして安定感があり、シヴァの演奏は力強いタブラー (太鼓) の腕の見せ所です。軽快でノリが良く掛け声などが入るとパワフルに鼓舞され一気に会場が高揚感に包まれます。

ちなみにクリシュナの曲は、シヴァの曲に比べどちらかと言えばキーが高めで (勿論キーは曲によって様々です)、甘く軽快なメロディと、歌のクライマックスは愛しく切ないようなドラマチックな曲の進行、クリシュナの姿同様にクリシュナの歌には華があり文芸的で耽美です。とても美しい旋律ばかりで、タンバリンとターラム✴︎の相性の良いリズミカルな曲が多いです。

✴︎ターラムは、チベタン・ベルのような様式 (形) のさらに小さなプチ シンバルのような楽器で音が高めです。伴奏でターラ (旋律、リズム) をとるところからターラムと呼ばれています。

バジャンのヴァイブレーションは、私たちの心と周囲の環境を浄化し、歌う者のハートを神の愛で満たし、恩寵を与えてバクティ (神への愛や信仰) を高めます。



舞踏王ナタラージャ


シヴァ神の異相で欠かすことのできない魅力は、踊り手としての姿です。シヴァ神は踊りによって世界を創造していると言われています。

✴︎人間の進化においては、まず最初に言葉が起こり、次にダンス、その後に音楽と発達して行ったようです。

神々の集まるカイラサ山で、神々の演奏に合わせて108種の舞踏を披露した他に、ナーダーンタと呼ばれる踊りがあります。これは、シヴァ神が異教徒の森に住まう聖者たちのもとに突如現れたため (これは、シヴァ神が聖者を論破するため、または自分を信仰の対象にするように現れた、などの説があります) 、聖者はシヴァ神を厄介がって、凶暴な虎、大蛇、凶悪な倭人を次々と出しましたが、シヴァ神は軽々と撃退して踊り続けたというものです。

首に巻きつけた大蛇、虎の腰巻など、シヴァ神が身にまとっている装飾品や持物は、まさにこの時の戦利品と言えるでしょう。

最後に大変名高いのは、シヴァのターンダヴァと呼ばれる踊り (ターンダヴァ・ダンス) です。これは神の活動力である宇宙の破壊と創造を表し、10本の腕を持ち畏怖相をとったシヴァが墓場や火葬場でシャクティ (神妃) や神鬼とともに熱狂的に踊るというものです。時にシヴァ神は、骸骨を繋げた花飾りを首にかけて踊る姿で描かれています。

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Sri Sathya Sai Baba  Divine Discourses

シュリ・サティヤ・サイババ
『マハーシヴァラートリの御講話』より


「マインド (心) と月の関係」について


池の水面を波打たせると、水に映っている月も揺れます。一方、澄んだ静かな水面に映る月は、澄んで定まっています。濁った池では、映る月影も濁っています。それと同じように、人生という湖では、もしそれが混乱した不安定なものであれば、その人の愛もゆがみます。心が清らかで、利己心がなく、揺れていないなときには、神は自らの清らかさと完全性のすべてをまとったまま現れます。しかし、現代人は、外界のさまざまな物事が頭にこびりついて離れないせいで心が汚されており、それゆえ、遍在であると同時に自らの中にも存在する神を経験することができずにいます。

1989年3月6日  
『愛から愛へ』より



肉体上の苦悩、病気の原因は心

人体は数多くの病気の餌食 (えじき) となっています。人はそのすべてを肉体の病気と見なしています。しかし、すべてが肉体に関わる病気というわけではありません。純粋にそれが肉体上の病気であれば、薬で治療することができます。しかし、現代世界における病気のほとんどは、心 (マインド) にその原因があるのです。心の逸脱が体に反応を引き起こし、さまざまな病気を生じさせているのです。人間の多くの病気の主な原因は、心に根を張っています。心と体は相互関係にあります。心が体に与える影響は「ネガティブ」(否定的、陰性、マイナス思考、後ろ向き) な性質です。この否定性は至福の体験とは反対のものです。

悪い思考と悪い感情は心の中からわき上がります。それと同時に、善い思考と善い感情というものもあります。悪い思考と悪い感情が取り除かれたとき、初めて人は健康を享受することができます。多くの病気は、心を満たしている思考にその原因があります。悪い思考は消化不良を引き起こし、心臓に悪い影響を与え、血圧を変化させます。心配は数多くの精神病の原因です。糖尿病と肺疾患は、精神的な原因に由来しています。(略)

人はまず、心の気まぐれから自分を解放しなくてはなりません。病気から解放されることは、ムクティ (解脱、解放) の一種です。人はさまざまな困難のために心の平安を失っています。その状況を克服して、心の平安を手に入れることは、別の種類のムクティです。飢えの苦痛を取り除くために食物をとることも、また別の種類のムクティです。日常生活の試練と苦難を取り除くことも、ムクティの別の様相です。これらあらゆるムクティは、人間が生きている間に手に入れなければなりません。ムクティは死後に獲得する境地だと想像することは間違っています。

今、手に入れるべき種々のムクティは、体と関係しています。それらの悩みの種は、人が体に執着している限り在らざるを得ません。それらはすべて、人間の中にある「ネガティブ」な思考から生じています。

人が求めるべきムクティは、心の平安です。もし平安が得られれば、簡単に他の一切を手に入れることができます。平安はどのようにして得られるでしょう? それは神を敬う生活を送ることによって得られます。(略)

もし、ハートが「ネガティブ」な感情に満ち、マインド (心や頭) が「ネガティブ」な思考でいっぱいなら、どんな形の礼拝も役に立ちません。マインドが「ネガティブ」な思いでいっぱいであれば、目や耳や舌といったさまざまな感覚器官によって行われる行為は、すべて汚されます。人間の中の六つの邪悪な性質―情欲、怒り、貪欲 (どんよく)、妄想 (愛執)、高慢、嫉妬は、深く根を張っている人間の敵です。これら邪悪な要素を取り除いて、そこに良い性質を据えつける唯一の方法は、プレーマ タットワ (愛の原理) を育てることです。ハートが愛で満たされていれば、行うことはすべて「ポジティブ」(肯定的、陽性、プラス思考、前向き) なものになるでしょう。あらゆる善い行いは愛から生まれます。サット・チット・アーナンダは愛から生じます。慈悲と優しさは愛から生まれます。あらゆる崇高な人間的価値は、愛にその起源があります。もし愛に満ちあふれていれば、その人は他の霊性修行や儀式的礼拝を行う必要はありません。

1998年2月25日
 『神の御名の力』より



イーシュワラ (シヴァ神) の三つの姿

イーシュワラ (シヴァ神) には三つの姿があると言われています。
一つは遍在の姿(ヴィラート スワルーパ)、
二つめは黄金の胎 (ヒランニャガルバ)、
三つめは顕現していない姿 (アヴィヤールタ) です。

遍在の姿(ヴィラート スワルーパ)は一切の姿(ヴィシュワ ルーパ)であり、顕現している全宇宙が、その姿です。宇宙に存在する無数の姿と名前は、イーシュワラの姿の中にあります。これは、起きている状態で経験する宇宙の姿(ジャーグラタ スワルーパ)と呼ばれています。

二つめの姿は、夢を見ているときの状態であるヒランニャガルバにおいて経験される神です。私たちは、起きている状態では手足を使い、肉眼でものを見て、耳でものを聞きます。夢を見ている状態でも、私たちは多くの行為をします。夢の中で使っている手、歩いている足、話している口はいったい何なのでしょう? 夢を見ている状態で、肉体の器官も感覚も機能していない時、どうやってそういった体験が生じるのでしょう? これがヒランニャガルバという微細な姿です。

三つめの姿である、顕現していない姿(アヴィヤールタ)は、原質です。それには具体的な姿はなく、そのため、顕現していないもの(アヴィヤールタ)と呼ばれています。しかし、至福(アーナンダ)は存在しています。そこには経験という意識があります。物理的な姿、微細な姿、原初の姿は、それぞれ、ヴィシュワルーパ、ヒランニャガルバ、アヴィヤールタという三つの姿です。起きている状態でも、眠っていて夢を見ている状態でも、熟睡状態(スシュプティ)で至福を味わっている時でも、あなたは同一人物です。三つの状態のどれにも存在している一なる存在がアートマです。アートマは、起きている状態では体の中に、夢を見ている状態では心(マインド)の中に、熟睡状態では高次の意識(チッタ)の中に存在しています。イーシュワラの原理は、この三つの存在を一つにします。

1989年3月6日 
『愛から愛へ』より


1989年3月6日 『愛から愛へ』全文

1998年2月25日『神の御名の力』全文

SSOJ  サティア サイ オーガニゼーションジャパン

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シヴァ神の栄光のほんのわずかな部分であっても、当然ながらここでは伝えきれませんが、最後にシヴァ神のマントラで締めくくります。

この記事を作成していて、シヴァのバジャンが次々に自然に口から溢れて来て、邪気を祓い、元気と勇気をもらいとても幸福感に満たされました。

昨日は気温が下がりとても寒い1日だったのに、瞑想が上手くいくようにお願いすると、身体中がカーッと熱くなり、ものすごいエネルギーが中から湧いて全身を包みました。

そして、私のイメージ (心像) なのでしょうが、非常にクリアでとても低い、秀麗で包容力のある神聖な「オーム (Om, AUM) 」の果てしなく広がる優美な声が、私の中にずっとこだましていました。お聞かせできなくて残念ですが、非常に安らぐ美しいヒーリングヴォイスでした。

シヴァは「オーム (Om, AUM) 」の主でもあります。オームは言葉における神の象徴です。
ー最初に言葉ありきー  オームは原初の神聖音です。


ॐ नमः शिवाय 
Om Namah Shivaya
オーム・ナマ・シヴァーヤ

シヴァ神に帰命 (帰依) いたします


これは、シヴァ神の非常に有名で偉大なマントラです。我々の中に至高の存在と繋がるアートマが内在しています。帰依するのは、私たちのハートの内在者である主なるアートマ (真我) 、私たちの神聖な宇宙原理です。

古代より、ヴェーダのマントラの助力により神々や聖賢たちは悪魔たちを鎮め封じ込め、神々の統治を確立して来ました。マントラは、人間の中にある闇を消散し神の光輝で照らし満たし恩寵を与えます。

この一つ一つの音の中に計り知れない神の恩恵と英知が宿っています。今日は、このマントラをお届けします。


この吉祥日に、シヴァ神の祝福がありますように



デーヴァ (神・神々) デーヴィ (女神) に栄光あれ!




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愛と感謝をこめて


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