今日を誕生日と呼ぼう。
彼はそういって、花束を差し出した。
あたしは、いわゆる魂というやつだ。
いつだったか忘れたけれど、ある日何かの拍子に死んでしまった。
生きていた頃のあたしが、天国や地獄があったかどうかは忘れてしまったけれど、ここは死後の世界で、ここにいる人はみんな死んでいる。
死ぬと、いろいろなものが曖昧になるようだ。
生前の記憶はほとんどない。色とか音の感覚がちょっとあるかなーくらい。だけど、デッサンの仕方はちゃんと覚えていた。
どうやら、生前に好きだったことは覚えているらしい。不思議だけど。
そして、昨日の記憶も、あっという間に失われる。まるで夢から覚めたかのように、起きてしばらくすると思い出せなくなってしまうのだ。
それでも、ここの人はみんな毎日を生きている。ご飯を食べたり、お喋りをしながら。
あたしは、ご飯を食べたあとデッサンの道具を持って散歩に出かけた。この街は歩く度に色んなものが見つかる。
道端の小さな黄色い花とか。
お洒落なパン屋さんとか。
可愛い子猫とか。
今日は広場にたどり着いた。
大きな噴水が中央にあって、それを小さな子供たちが遊んでいる。それを眺める大人たち。
今日も平和だなぁ。
あたしは噴水の近くにあるベンチに座ると、今日はあの子達を描こう。可愛いし。と思いながら準備を始めた。
「すみません、隣いいですか?」
不意に影が出来たと思ったら、同い年くらいの男の子が立っていた。
「あ…、こんにちは、どうぞ」
以前にもあったことがある人だ。
いつだっけ、と画用紙を遡ると、四枚ほど後ろのページの隅に、『男の子と会った。林檎をもらった』と書いてあった。
うーん…林檎食べたっけ。
いまいち思い出せないまま、彼を見た。
「この前にも、会いましたよね」
「ああ、覚えていてくれたんですか」
彼は嬉しそうに笑った。なんだか可愛い笑顔だった。
「いつもデッサンしてますね」
「うん。多分好きだったんだと思うの。……あなたは、何を持ってきていた?」
「僕は、ギターです。全然あっちの時のこと覚えていないんだけど、弾いてると楽しいから、多分好きだったんだ」
「へぇ、ギターかぁ」
「そう。カントリーミュージックばっかりだけど」
「いいね。今度聴きたいな」
「あー、それはいいね。じゃあまた今度ここで会えたら、演奏するよ」
「わー、楽しみ!!」
思いがけず弾んだ声が出た。あたしも驚いたけれど、彼はもっと驚いていて、一瞬言葉に詰まると、照れたように口元を押さえながら何か呟いた。
「ん?なあに?」
「いやっ、なんでもない!!」
それからは毎日会うようになった。彼のギターは聴いているこちらもわくわくするような音を奏で、集まった子供たちやその親達とランチパーティになることもあった。
ただ、いかんせん道が覚えられないものだから、最初は道行く人に聞いてみたものの、大体の人は覚えていない。
しょうがないからあたしは噴水のベンチの足に毛糸をくくりつけて、家の前の木に結んで、その毛糸を追いかけて広場まで行った。
ある日、風邪をひいた。死んでも風邪なんか引くのかと思ったけれど、体はだるいし熱っぽいし、どう考えても風邪だった。
どうしよう今日もあの人は待っているんじゃないかなぁ、困ったな連絡がつかないし、とベットの中でうとうとと考えていたら、コンコン!!とノックの音がした。
「はい?」
誰だろう、来客なんて珍しい。あたしはダルい体を引きづりながら、とりあえず上にカーディガンを羽織るとドアを開けた。
「あ、」
声に出す間もなく、抱きすくめられた。
「……来ないから、心配したよ」
彼は、はぁ、と息をつくと体を離した。
「あの赤い毛糸を追いかけて来たんだ」
彼はあたしをベットに寝かせると、氷枕の準備をしながら話した。
「そっか」
「いつから調子が悪いの?」
「昨日の夜かなぁ。ねぇ、死んでも風邪なんてひくものかしら。ひいたことある?」
「うーん…ないけど」
「なんだろうね?」
彼は心なしかテンションが低かった。いつもの笑顔に元気がない。
「ちょっと待ってて!!」
彼はいきなり立ち上がると家を飛び出していった。
ふと目が覚めた。部屋に差し込んでいた日光はもう消えて、どうやら夜になったようだ。
とんとんとん…と台所の方から音がする。
ああ懐かしい、この感じ。
子供の頃に戻ったみたいだ
「おはようございます」
とりあえずお礼を言おうとキッチンへ行く。たくさん寝たお蔭か、汗をかいていた
けれど、代わりに体は楽になっていた。
「ああ、起きたんだ、もう大丈夫?」
だいぶね、と笑うと、彼はキッチン借りたよごめんね、と詫びた。
「あ、これ」
彼は一瞬廊下に消えると、はい、と赤い花束を差し出した。
「わ、可愛い…」
「今日を君の誕生日と呼ぼうと思って」
ささやかながらケーキも。
冷蔵庫からはショートケーキが出てきた。
「でもどうして?」
彼は一瞬目を伏せると、答えた。
「僕は、君が好きなんだ。だから君の笑顔が見たい」
突然の告白に驚いて固まっていると、彼はかすかに微笑んで、さあどうぞ、椅子を引いた。
晩餐は、シンプルなリゾットと、サラダと、ケーキ。熱が下がったからか食欲も戻っていた。
「料理上手だね」
「そんなことないよ」
彼は照れたように少しだけ笑って、紅茶を入れるために立ち上がった。
あたしは、彼のごつごつした背中に向かって、言った。
「ねぇ、あたしね」
「うん?」
「あたしも、あなたのことが好きだよ。だから、いつもみたいに笑ってほしいな」
彼はびくり、と背中を硬直させると、ゆっくりと振り向いた。
泣き笑いのような表情を浮かべて。
「・・・ありがとう、」
「どうして、そんな泣きそうな顔なの・・・今日、元気ないよ」
「それは・・・君が、熱だしてたからだよ」
彼は手に持った紅茶とポットを置くと、椅子ごとあたしを抱きしめて、おでこにキスを落とした。
その日の晩、あたしは幸せに満ち足りた気持ちでベットに入った。
そして、次の朝、あたしは現世に舞い戻ったのだった。
Android携帯からの投稿
