今、指導方法・指導論など指導者の在り方が問われている。
昔では通用した指導方法や指導論も、今では暴力的扱いを受ける事もある。
肯定出来ない事もあるが、実際に感謝している人もいる。
要は人の捉え方。
合う合わないで、賛否両論となる。
ほとんどの人が、何となく居場所を決め依存(停滞)する。
その割に野次馬根性が半端ない。
1人が文句を言うと釣られて言うが、自ら1番目の発言者にはならない。
要は多数による言葉の暴力だ。
でも、これは認められる。
関係ない人まで話に加わる…。
『先にこいつがやったから…』
よく聞くケンカのフレーズ。
確かに先に仕掛けた人が悪い。
でも同じ事をやり返せば同じ様に悪い…といった感覚にはならない。
先に…が無ければ起こらない事だが、やった事に関してだけ言えば同じだと思う。
でも、そこは正論で済ます。
おかしな話だ…。
時に感情論で済ませ、時に正論で済ます。
では、指導者はどちらを取るべきか?
今まで声に上がらなかった事が、今はいつ上がってくるかわからない。
今までの人がこうだったから…は、通用しない。
責任ある立場の人は、今の10倍責任度が上がる。
そこに気付かず今まで通りのやり方をすれば反感を受ける。
様々な事が日々、刻一刻と変化する。
指導者と呼ばれる人達に絶対的に必要なスキルは『観る(分析する)』といった事だ。
ほとんどの指導者が、選ぶといった行為が必要とされる。
その為には平等性を保つ高い基準の『目』と『知識』が必要となる。
『目』は過去と現在の違いや、プレイの質や行動を見極め力。
『知識』は固定観念にとらわれず、様々な指導方法を学び、選手に応じて適切なアドバイスが出来る力。
想いだけでなく、行動力が伴わないと評価されない。
外から見てる人の目と知識は、日々高くなっていく。
でもそれは、指導者としての『目』や『知識』ではなく、客観的に見て判断している事。
ただ、その客観的に見てる人達が、指導者を判断し評価するのも現実だ。
一時期は、元プロがコーチとして指導するとなると人は集まった。
でも今は違う。
元プロに人々は価値を見出さなくなった。
見るや魅せるは大事な事だが、コーチングやアドバイスを適切で選手が理解出来てるか?の方が求められる。
昔はトレセンコーチの位置付けも高かった。
明らかに他の指導者との違いを、目で見て声で聞いてわかった。
それが今では、ほとんどが参加出来る人(都合をつけれる人)が行なっているのが現状。
勿論、協力してくれる人あっての活動だと理解しないといけない。
ただ、それでは形だけ?にならないか?
選手や保護者に満場一致を得れない事は分かっている。
だからといって、すきにしていい訳ではない。
周りは気付いている。
ただ口にしないのか、出来ないだけ。
その中には敬意を払ってくれてる事もあると思う。
だからといって、このままでは良くない。
正直、指導者を職にしてる人より、二足の草鞋で活動してる人の方が選手の為に動いている。
試合会場の設営など見れば一目瞭然だ。
だとしたら、指導者を職にしてる人はもっと指導といった現実の質を上げていかないといけない。
分からないを、分からないままにしている指導者が多い。
学ぶ意欲が薄い人やプライドが高い人は、人の意見を聞き入れない。
そういった指導者こそ、選手が分かってない事に気付いていない。
熱心に指導(声かけ)している自分に酔ってるか、ただ仕事としてこなしてるだけ。
あらゆる活動場所にルールと目的がある。
今回は様々な活動の中で色々な現状を観て感じる事が多かった。
その上で、見てる人の見方や考え方が変わってきている事に気付いた。
指導者間でも変化を感じた。
皆、実際は変わらなければと思っている。
僕は一つの歯車になりたい。
そして都度歯車をバージョンアップして外せない歯車になりたい。
その為には、もっと色々な活動の場で人と知り合い、コミュニケーションを取り続けていく事が不可欠である。
最近、ブログを読んでますと言っくれる指導者や保護者の方が増えてきました。
想った事や感じた事を素直に書いています。
若干指導者批判的に囚われるかもしれませんが、自分自信に対する戒めでもあります。
このブログに書いたり、口にした以上は行動し続けなければいけません。
まだまだ周りの人に認められるほどの指導者にはなれていません。
足らない事ばかりです。
子供の頃好きで始めたサッカー。
今は指導者として本職とした以上、自分の想った事にはとことん追求しチャレンジし続けます。
これからも指導者の『職人』になる為、職を極めていきます。