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アトリエといっても、先々代の離れ座敷だったところを改造したものです。趣味にしては本格的で、イーゼルに首のないトルソー、モデルが腰掛けるようなウイングチェアまであって、絵を描く際に必要なものはそろってます。壁面の本棚には美術全集がならび、レコード・プレイヤーをそなえたオーディオ装置まであります。好きな音楽をアナグロで聴きながら絵筆をうごかすひとときは、主人にとって至福の時ではないでしょうか。
このアトリエから数々の作品が生まれました。そもそも初めて描いた絵が、ヒヤシンス絵画展とかゆう発足したばかりの公募展に入選したのが間違いの元でした。主人はその入選で、「ひょっとしてオレには絵の才能が」と勘違いしてしまったようです。その後その絵画展は一回こっきりでなくなって、主人の経歴も軽くなってしまったんですが、そんなことはおかまいなしでした。主人は定年を十年も余して仕事をやめると、稼ぎのほうは奥さんにまかせ、自身は画家きどりの生活に入ったんです。そうして描いては名だたる公募展に出品しました。窓から見た風景画です。しかしどれも入選には至りませんでした。本人に言わせると、「惜しいところまでいった」作品もあったそうですが、趣味の域をでていないとゆうのが、審査一般の評価でなかったでしょうか。あとは公民館で個展を開いたり、奥さんのツテをたよって画廊に出させてもらったりしてました。ただああゆうところで披露しても、それだけのことといいますか、なんの手応えもなかったようです。
ただ主人がエライのは、そうした世間の無関心にもめげず、三十年ちかくも描きつづけてることです。それも自分の家の窓から見た風景ばかりを。これはこれで中々のものでないでしょうか。主人の知人に褒める人たちがいるので、その人たちに励まされて次作に闘志をもやすのかも知れません。あいつぐ落選につかれ、自惚れや独善にもつかれれば、自分の殻に引きこもって描くしかなく、殻がはからずも家になってるのかも知れません。どっちであっても、そんな素振りはまるっきり見せませんから、あたしなんかは余計エライとおもってしまいます。
――奥さんはそんなご主人の絵をどう見てるんですか?
奥さんですか? 奥さんはただ黙って見てるだけでけですよ。気が利いたことが言えないからではありません。暖かい目で見守るとゆうのでもありません。ただ合わないからです。よくあるでしょう。《サウンド・オブ・ミュージック》を七回も見た人が、《隠し砦の三悪人》は愉しめないってゆうことは。それと同じですよ。
ただこれだけは言っておきませんと。夫の画家活動を経済面でささえてきたのは、まぎれもなく奥さんだとゆうことを。その点を考えれば、家事で出来ないことは何もないまでになったのは、道楽を許してくれる見返りなんです。
――いろいろ言ってきた割りには、身も蓋もないところに落ち着くの
ですね。
矛盾はないと思ってます。調教されるのも、こっそり心を入れ替えるのも、自分のことは自分でが原則なのも、腹の中では「借りを返してる」とゆう意識でしょうから。
ご存知かとおもいますが、内のななめ前にSQ食品のオーナーが住んでますでしょう。あそこなんかは典型的な亭主関白の家です。いまどきそんな家庭がと思いますが、何不自由なく家族を食わせてるとゆう自負が亭主にあり、家族のほうも父親をたてていさえすれば、そこそこ贅沢な暮らしが保証されると計算してるから成立するんです。人間社会お宅たちが思うほど複雑ではないんです。
話をもどします。主人がいま描いてるものは、百五十号もあろうかとゆう大作です。十ヶ月ぐらい前から描きつづけてて、この先まだ何年かかるか分からない代物です。たとえ未完成で終わっても、それなりに観賞にたえうるものをと考えてるようです。
――で、なにを描いているのですか?
それが窓からの風景ではないんです。仏陀ですよ。成道前のブッダ。タイトルがまたふるってましてねえ。《宇宙の風に身をのけぞらせしシッダールタ》ってゆうんです。すごいでしょう。
その大作に向かうのも正午までででして、興がのってもう少しつづけたいとおもってもやめます。雑になるからです。今日は思い通りにいったみたいで、アトリエを出てきたときの様子は、今日の天気のように晴れ晴れとしたものでした。
昼食は時間どおり奥さんの手で用意されてました。わざわざ「奥さんの手で」と言ったのは、時間どおり食べることに厳格な主人は、奥さんが外出なんかしてちょっとでもおくれると、待ちきれず自分でこしらえてしまうからです。キュウリの糠漬けと昨晩ののこりの掻き揚げを甘辛く煮付けたものがお菜でした。それで主人は二膳食べました。昼はよく食べるんです。食後はエスプレッソです。イタリア旅行でおぼえました。おやつどきに飲むと睡眠に支障をきたすので、昼食直後に飲んでるんです。食後は歯磨きもわすれません。食卓で奥さんと向かい合ってブラッシングする光景は、いまBSでやってるフォト五七五に応募してもいいようなショットです。今日も歯ブラシをくわえたままこんな会話が交わされました。
奥さん、「オ、オトーサン、昼カラニャニスルノ?」
おぼえてます? 今朝、主人がいつものように奥さんに今日の予定を訊くと、「別になにもないわ」でしたね。奥さんが答えたのは午後からのことで、奥さんが午前中お友達とお茶をしたりする予定は含まれてません。ですから午前中にそうした付き合いがおわれば、今度は奥さんが主人に予定を訊くことになるんです。ちなみに主人が《宇宙の風に身をのけぞらせしシッダールタ》と向かい合ってる間、奥さんは美子さんとモーニングに行ってました。
主人、 「《イオン》ニ行クカ」
奥さん、「ナニカ買ウモノアルノ?」
そこで主人は「孫にブーツや帽子を買うんじゃなかったのか」と言おうとしてやめました。代わりに「別ニナイガ、運動ダヨ」と答えました。北区にあるショッピング・モール、知ってますでしょう? あそこをエスカレーターを使わずに三階まで見てまわると、公園をウオーキングするのと同じ効果が得られるんです。
奥さんが先に洗面所に立って口をすすいでくると、主人もつづき、正常な口調にもどってまた始めました。
主人、 「じゃ板取へ、アユを食いにいこう」
奥さん、「帰りがおそくなるわ」
主人、 「じゃあ家庭内温泉というのはどうだ」
奥さん、「なにそれ」
主人、 「いまから風呂に入れるようにして、湯上がりのビールを飲むんだ。 晩はウナギの出前だな。母さんだって何もしなくていいだろう」
奥さんそれで黙ってしまいました。
主人、 「なんだ、イヤか?」
奥さん、「わたしたち、こんなことしてていいのかしら。ただでさえ年金暮らし は白い目で見られてるのに」
主人、 「オレたちは責任を果たしてるだろう。三人の子どもはそれぞれ所 帯 をもって、孫もいるんだから」
この会話は、明らかに肩身の狭いおもいをしてる年金生活者の意識のあらわれだと思います。特に奥さんはスマナイとゆう気持が強いようです。奥さんがかつて市民病院でボランティア活動したのも、少しはお返しできたらの気持からでした。そこへいくと主人のほうは、後ろめたさはあっても、それを行動にうつそうとゆう気はないようです。そうゆう話題になると、「オレにむいたボランティア活動がない」だの、「腰が痛くてつづけられないんでは、かえって足手まといになる」だの、「奉仕の精神に他意があってはならない」だのと、出来ない理由ばかりを並べたてます。今日もなんとなくそっちに話がいきそうとみるや、「オレ寝んでくる」と言って、そそくさと二階にあがっていきました。昼食のあ
との午睡は習慣なので、主人は習慣にしたがったまでですが。
2-2につづく
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智代に蹴られてすぐおっぱい~狂気の春原陽平それと便座カバー ミラー
