冷たい人間なのだ
わたしは
手を取り合って
身を寄せ合って
共に成し遂げましょう
困っている人には
寄り添ってあげましょう
こういう感覚への
理解が薄い
まずは自分の頭で考えろ
話はそれからだ
そう思ってしまう
特に
すぐ周囲に聞いて回る人にはね
子供の頃からそうだった
「みんなで〜しましょうね」
という概念に好反応が出てこない
「自分で考えてやってみてね」
こっちの方がよっぽどしっくり来る
先生に言われる台詞とするならば
子供の頃
近所の人にこう言われたことがある
弟さんはニコニコと愛想がいいけど
お姉ちゃん(わたし)はちょっとねと
しかし当の本人であるわたしには
そんなつもりは全くなかった
自分が無愛想という
自覚など皆無だったし
なんならこれが普通だと思っていた
ところが他人が見るわたしは
愛想が良くて人に好かれる弟とは違い
近寄り難い雰囲気を醸し出していたらしい
それが若いわたしにとって
心に傷がつくほど痛い評価だったから
わたしは変貌に向けて相応の努力をした
ニコニコとよく笑い
誰からも親しまれるように
愛想良く朗らかに
挨拶も元気よくと
言うまでもない
完全なる徒労だった
今その時のことを
ふと思い出したのは
自分の冷たさに
許可を出せたからだ
近寄り難い
冷たそう
オーケー構わない
しょうがない
それがわたしの色なのだもの
気に障る人には近寄らないし
不要なモノはバッサリ捨てる
自分の意見は言うし
欠礼や下品には不快を顕にする
この世の中
千差万別にこそ妙がある
暑苦しいモノばかりで
埋め尽くされても鬱陶しいし
冷涼なモノだけでは
情が感じられず寒々しい
とかく此の世は
違いを楽しむ場であるのだから