松波正信という男~ピッチに立てば何か起こしてくれる男~☆【J特】 | ヒロ・ゴラッソ

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 ガンバ大阪の新監督に就任した松波正信氏ですが、下記にそのキャリアをまとめましたが、現役時代はJリーグ元年の93年に帝京高校から加入し、レンタル移籍も経験せずにガンバ一筋の生え抜きFWでした。しかし、ご覧のようにあのカメルーン代表FWパトリック・エムボマとの2トップにより第2ステージで2位となった97年以外は確固たるレギュラーとしてのプレー期間はありませんでした。

 それでも、ルーキーながらJリーグ元年にハットトリックを記録するなど”持ってる”男です☆

また、ブラジルを倒して話題になったアトランタ五輪では、シドニー五輪でのMF遠藤保仁、DF山口智、FW吉原宏太と同じくガンバ名物の”補充メンバー”登録でした。

 

 Jリーグ2年目を迎えるにあたり、ガンバはエースFW永島昭浩を放出し、松波さんを筆頭に若返りを図ったのですが、この永島さん放出劇も引退を施す契約更改などひと悶着あったのを覚えています。それを経てクラブの期待を受けた松波さんはギックリ腰などで開幕に間に合わずに2年程調子を落とし、96年にスーパーサブから復活。97年には得点王を獲得する事になるエムボマと旧ユーゴ代表MFネボイシャ・クルプ二コビッチの強烈な個性と打開力によるお膳立てを得て13ゴールを記録するわけです!!この外国籍選手がいかに凄いか?は、一度日本を離れながらも再び両者共にJリーグ入りした事実が物語ってます。


 その後の松波さんは苦難の時期でした。Jリーグでは背番号が固定番号制度になったのが97年からだったのですが、その97年に【11】で大活躍した松波さんにとって、98年夏から就任したフランス人監督=フレデリク・アントネッティに冷遇され、背番号も【24】に変更されました。アントネッティは現在フランスリーグ1部のレンヌで国内屈指の指揮官と評価の高い監督にまでなりました。唯一の国外経験であったガンバではFW小島宏美を重宝するために、松波さんにとっては辛い時期になりましたが、小島以外にも多くの五輪代表クラスの選手に出場機会を与え、ガンバを”優秀な若手が活躍するチーム”という色に変えつつあった指揮官であったとは思います。


 その後、解説でお馴染みの早野宏史氏が99年夏から01年終盤まで指揮をとったガンバは、ますます”若手が躍動するチーム”の傾向を辿り、松波さんはスーパーサブとしての出場に限定される立場が続きました。また、2000年を境に、リーグ戦で優勝争いに継続的に絡み始めたガンバにあって、助っ人外国人FWが当たり続けた影響もあり、ニーノ・ブーレ、マグロン、アラウージョ等の影に隠れる存在になってしまいました。


 02年の西野朗監督就任で、背番号も【11】に戻った松波さんはスーパーサブとしも次第に出番も・・・。それでもナビスコカップなどで襟をたててプレーしながらも結果を残す姿には感激でしたし、日本代表にまでのし上がったFW大黒将志の教育係としても十分過ぎる存在だったと思います。


 正直、技術的には水準以下だったかもしれませんし、スピードもなかった。身長も180cmと高さもそこそこ。しかし、並外れた得点感覚は出場時間に限らずに発揮されましたし、なによりも松波=”彼がピッチに入ると何かが起きる!!”そんな選手だったと思います!!応援せずにはいられない!!

 日本全体の枠で考えると、三浦知良、中山雅史という2枚看板ですが、ガンバにあって同系列で考えれる選手が松波正信だったでしょうね!!

帝京高校時代の松波さん

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今でこそ選手にサインもらうのは直ぐに貰えますが、ガンバの練習場が京田辺にあった時代はそうではありません。プロ化する前からの練習場なのでファン対応スペースもないので駐車場でサイン貰うので危険な部分や、サッカーブームで練習場がごった返してワリコミするファンも多く、30分以上サインしてるって事も多かったり、練習の前でも後でも応じてました。そんな中、若手期待の星で、アイドルだった松波さんの前には常に長蛇の列。しまいには選手用駐車場の周りにフェンスが作られてしまい、ファンサービスも一気になくなった時期もあったくらいでした。


そんな時代から応援してるぼくにとっては、松波ガンバを応援せずにはいられません!!!


新潟ビッグスワンはガンバにとって”鬼門”ですが、是非とも結果を取って欲しい!!

スタイル追求はもちろんですが、2年前のあの苦しい時期も橋本、ルーカスを故障で欠き、ブレイクした平井将生も怪我、遠藤はコンディション不良で週1試合限定調整となった中、3バックでフタさんのスルーパスからのカウンター狙いに徹して結果を追求した時期もありました。結果が出ないと自信が回復しないので、というよりも結果を残すためにスタイルを追求している面もあるわけですが、松波さんの初陣を注目しましょう!!


では、最後に松波さんの実績表と、2年前の苦しい時期のスタメンを。


33宇佐美貴史 32大塚翔平
  10二川孝広  
13安田理大 21加地亮
23武井択也 17明神智和(CAP)
4高木和道 2中澤聡太
  5山口智  
  1藤ヶ谷陽介  




松波正信のガンバ大阪加入後
年度/大会 背番号 Jリーグ ナビスコ 天皇杯 年度通算
1993 未固定

29試合

7ゴール

4試合

1ゴール

1試合

2ゴール

34試合

10ゴール

1994 未固定

21試合

4ゴール

0

4試合

0ゴール

25試合

4ゴール

1995 未固定

15試合

0ゴール

未開催

4試合

0ゴール

19試合

0ゴール

1996 未固定

20試合

5ゴール

12試合

3ゴール

4試合

2ゴール

36試合

10ゴール

1997 11

32試合

13ゴール

6試合

1ゴール

3試合

0ゴール

41試合

14ゴール

1998 11

25試合

1ゴール

2試合

0ゴール

0

27試合

1ゴール

1999 24

23試合

5ゴール

4試合

0ゴール

0

27試合

5ゴール

2000 24

29試合

4ゴール

4試合

2ゴール

4試合

0ゴール

37試合

6ゴール

2001 24

26試合

1ゴール

4試合

4ゴール

3試合

1ゴール

33試合

6ゴール

2002 11

23試合

5ゴール

6試合

0ゴール

1試合

0ゴール

30試合

5ゴール

2003 11

17試合

0ゴール

4試合

1ゴール

2試合

1ゴール

23試合

2ゴール

2004 11

9試合

0ゴール

2試合0ゴール 1試合1ゴール 12試合1ゴール
2005 11

11試合

0ゴール

5試合

2ゴール

2試合

1ゴール

18試合

3ゴール

現役通算 【11】

280試合

45ゴール

53試合

14ゴール

25試合

8ゴール

358試合

67ゴール

引退後、2006年~2007年ユース・コーチ、2008年ユース・監督、2009年ユース・コーチ、2010年~トップチーム・コーチ

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