先日、ライブ配信で宝塚歌劇団月組全国ツアー公演『琥珀色の雨にぬれて』『Grand TAKARAZUKA 110!』を見ました。

 

 

『琥珀色の雨にぬれて』は、第一次世界大戦後のパリを舞台に、空軍を除隊したクロード・ド・ベルナール公爵とマヌカンの女性シャロンの儚い恋を描く物語です。

ベル・エポックは遠く、世界恐慌前の爛熟期。

まだ珍しい自動車、1922年に登場するル・トラン・ブルー、ヨーロッパとトルコを繋ぐオリエント急行など時代の息吹を感じるセリフや場面が散りばめられ、台頭する新興勢力の資産家と旧世界の貴族の対比も見どころです。

 

ヒロインのシャロンはポール・ポワレ(1879.4.20~1944.4.30)のマヌカンとして名を馳せるのですが、ポール・ポワレも時代の象徴のようなデザイナーでしょう。

ジャック・ドゥーセ(1853~1929)、シャルル=フレデリック・ウォルト(1825.10.13~1895.3.10)のメゾンを経て、1903年にメゾンを開設したポール・ポワレは3年後には移転して店を大きくしました。

女優や高級娼婦も顧客に持ったドゥーセ、ナポレオン3世妃ユージェニーなど貴族を顧客に持ったウォルト、両者での経験はポワレのクリエイションに深く影響したと思います。

ハイ・ウエストのドレス”ローラ・モンテス”で窮屈なコルセットから女性を解放したとも云われるポワレの服は豪華で、オリエンタル調や古典的なスタイルで一世を風靡し、ファッションの帝王と称されました。

現代のデザイナーのように、ライフスタイルに関する商品を開発したり、マーケティング戦略に力を発揮したりしたのもポワレの先見の明といえます。

 

物語の中ではマヌカンを使ってショーを開催するのはポワレが最初のように語られますが、マヌカンを使ったショーはウォルトが最初。

ポワレが最初なのは、自身の服を着たマヌカンを自動車に乗せてヨーロッパ・ツアーを行ったことです。

また、千夜一夜物語に因み、千二夜を謳った豪華な夜会を開いたのもポワレならでは。

しかし、その豪奢なスタイルは第一次大戦後には時代の波に乗れず、ココ・シャネル(1883.8.19~1971.1.10)、エルザ・スキャパレリ(1890.9.10~1973.11.13)等、新進のデザイナーに地位を追われ、1929年にはメゾンを閉じてしまいます。

シャロンが活躍する頃には、実際はポワレのメゾンは衰退していました。

 

『琥珀色の雨にぬれて』には、有閑貴婦人とでもいう女性たちをターゲットにしたジゴロも登場します。

フランスのジゴロはエレガントも必須条件。

彼らを教育するクラブ・フルールのマダムが清潔感、身だしなみなどを指摘するのも当然です。

 

この場面を見ると必ず思い出すのがガブリエル・コレット(1873.1.28~1954.8.3)~の「シェリ」と「シェリの最後」。

美しすぎる青年シェリことフレッドと、年上の優雅な元高級娼婦レアの物語。

コレットは宝塚歌劇団月組公演『ピガール狂騒曲』のヒロインにもなりました。

私見ですが「シェリ」は薔薇色の、「シェリの最後」は瑠璃色の香りがします。

『琥珀色の雨にぬれて』の二人の出会いから別離までが甘く薔薇色の記憶なら、琥珀色の中での再会は現実に帰る瑠璃色。

ポワレの豪華な世界は、つかの間の恋を彩る徒花のようです。

 

 

 

 

via 薔薇の小部屋
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