1754年8月26日。
『ベルサイユのばら』のアンドレ・グランディエが誕生した日です。
両親を亡くし、祖母マロングラッセ・モンブランに引き取られたアンドレがベルサイユのジャルジェ家でオスカルと出会うのは8歳の時。
それから死が二人を分かつまで共に過ごした27年。
2人の思いが通じ合い、恋人として過ごしたのはたった3週間。
結婚を誓った僅か数時間後にはアンドレは天に召されてしまいます。
オスカルの恋人候補として池田理代子先生のプランには、近衛隊の部下ジェローデル、黒い騎士こと新聞記者のベルナール・シャトレもあったようですが、アンドレに落ち着いたのはオスカルと共に生きた年月と信頼関係だったと思います。
「ベルサイユのばら同好会」のオフ会でも、度々もしもジェローデルやベルナールとオスカルが結ばれていたら…という話題になります。
ジェローデル推しは多く不動の人気を誇っていて、仮にオスカルと結婚したらオスカルを溺愛するジェローデルは彼女の好きなようにさせたのでは?です。
ただ、私はジェローデルはあくまでも目の届く範囲、もしもオスカルが軍人を続けるなら衛兵隊ではなく近衛隊。
オスカルが疑問を感じた”王室の飾り人形”の範囲だったのではないかと思うのです。
ベルナールだったらバスティーユ襲撃以前に、ベルナールとの恋の条件として国王軍を除隊せざるを得なかったでしょう。(市民による国民衛兵隊が創設されるのは、オスカルの死の翌日、7月15日です)
アンドレは、長くオスカルの側にいて、オスカルの一番の理解者。
柔順でありながら、オスカルに意見できるほど成長しました。
やはりオスカルの伴侶はアンドレ以外に考えられないと思います。
1789年8月26日にはアンドレもオスカルもこの世にいませんが、「人間および市民の権利の宣言(人権宣言)」が発布されました。
8月11日には封建制が廃止されたので、アンドレが身分差に苦悩しなくてもいい社会は、すぐそこまで来ていたと思うと悲しみを覚えます。