日本ではデイル・ベルジーに纏わる伝説が熱く語り継がれているのに対して相方であるハップ・ジェイコブスは単なる「パートナー」として紹介されている傾向が多い様な気がする。
確かに、ベルジーが成し遂げて来た伝説は唯一無二であり、その功績は偉人と云っても過言では無い。
しかし、個人的にはハップ・ジェイコブスも同様の扱いを受けてもおかしくはないと常々思っているのだが、どうであろうか?
1930年ロサンゼルスにて生を受けたダドリー・ジョージ・ジェイコブスはいつも陽気な少年だった事から「Happy」のニックネームで親しまれていた様で、後にハッピーからハップと呼び名が変り、今尚、その名を轟かせている事は周知の通りである。
そんな、ハップ・ジェイコブスは高校卒業後に沿岸警備隊(USGC)に入隊しハワイへと渡り、この地で伝説の偉人と謳われているジョージ・ダウニングからサーフボード創りの基礎を学んだと云われいる。
除隊後の1953年にカリフォルニアに戻ったジェイコブスはウエットスーツのパイオニアと称されているベヴ・モーガンとタッグを組みレドンドビーチに「ダイブ・アンド・サーフ」を開業する事になる。
ジェイコブスは主にサーフボードを・・・
モーガンはウエットスーツを・・・
と云った具合に二人三脚でビジネスを進めて行くが、僅か1年足らずでジェイコブスは自分が所有する権利を双子のビルとボブのマイストレル兄弟に手放す事になる。
後にマイストレル兄弟がボディーグローブを立ち上げ、ウエットスーツ業界に多大な影響を齎せた事は周知の通りである。
そして、1954年・・・
遂に、ジェイコブスはデイル・ベルジーと共同で「ベルジー&ジェイコブス」を立ち上げた事は語るまでもない。
彼らは100本以上のバックオーダーを常に抱えていたと云われているが、そんな状況下であっても潮の満ち引きの時間になると二人とも時計を気にしていたという逸話が残されている。
几帳面で真面目であったジェイコブスが「このボードが終わるまでは駄目だ!」と静止をしても、「じゃぁ、お前は一晩中削っていれば良いだろう!俺はもう我慢できない!」とベルジーが仕事を放り出してサーフボードに手を掛けると「ずるいよ!デイル!」と今度はジェイコブスがボードに手を掛けたとか・・・
また、ベルジーが日銭欲しさに他の客のボードを度々売ってしまい、ジェイコブスがそれの対応に追われていたとか・・・
二人を取り巻く伝説は面白可笑しく語り継がれている。
カリフォルニアのコレクター達の間では「元々、性格が真逆だった二人」と云われている様に、彼等は僅か4年でパートナーを解消してしまい、ベルジーは「ベルジーサーフボード」を・・・
そして、ジェイコブスは「ジェイコブスサーフボード」を各々立ち上げる事になる。
ジェイコブスの下には彼を慕って多くのサーファーが集い、1964年にはランス・カーソン、ロバート・オーガスト、デビット・ヌヒワ、ドナルド・タカヤマ、そして、ミッキー・ドラ等の集結させて「ジェイコブス・ドリームチーム」を誕生させている。
そんな、伝説の塊の様な二人の巨匠のサーフボードを次回の更新では紹介したいと思う。
引き続きお付き合い頂ければ嬉しい限りである。
Keep Surfing!!!!
