いよいよ首都圏の中学受験はクライマックスを迎える時期に来ました。一人でも多くの中学受験性やそのご家族がハッピーに受験を終えられれば良いなと思います。

 

さて、今日のテーマはタイトルのとおりです。以前にも同じようなことを書いたかもしれません。

 

例えばGoogleで「父能研」というワードを検索するとそれなりに多くの記事が出てきます。ざっと見た感じでは否定的、批判的な記事が支配的な印象を受けます。そうでない記事もあるでしょうけど。

読んでみると、「誰か知らない人が俺のことを書いてるんじゃないか?」と錯覚するほど自分に当てはまることが多く書いてあります。そしてことごとく否定されてます(笑)。「いや、でもね」と言いたくなったのでブログに書くことにしました。あくまで一般人の私見であり、大した根拠も責任感もない独り言です。

 

とある記事によると、コロナによる在宅ワーク普及の影響で過干渉な父親が急増したとのこと。で、「子供だけには任せておけない。俺の言う通りにやりなさい」と張りきり、自分の(過去の)経験で価値観を決めてしまう父親。全部自分に当てはまってます。

 

別に良くないですかね?

 

おそらく多くの子供にとっては初めての受験になるわけで、そこに受験経験者である父親が手取り足取りアドバイスすることはメリットが多いと思うんです。受験というのは、初体験の子供が考えているより厳しくて過酷なものですから。子供の感覚で「ここまでやれば何とかなるかも」って考えていても、受験経験者である親から見たら「全然十分ではない」ってこともあるでしょう。そこは徹底的に改めさせる力を加えないと良い結果に繋がりにくい気がするんですよね。だから、「塾の先生に代わって勉強を教える」というよりは、とにかく子供を甘やかさないために厳しく管理するという役割に徹していました。勉強時間の管理、課題の管理(どの教材をどこまでやるか等)に重点を置いて過ごしていました。あまりに厳しくしていたので、たびたび妻とも喧嘩になりました。家庭内の雰囲気はどんよりしてましたね。某島津家のような感じ。

 

「やる気がないなら受験やめろ」「〇〇より偏差値が低い学校は受験させない」「なんでこんな問題が解けないんだ」など、思いっきりダメなフレーズの代表格のようなことも何度も言いました。それでも子供を甘やかさないためには必要だったと今でも思っています。とにかく甘え・妥協・油断が最大の敵だと考えてましたから子供にも厳しく、また、自分にも厳しくしようと心がけてましたね。

 

父能研否定派の記事では、たいてい「私が間違ってました。子供を信じてあげれば良かった。」というフィクションだかノンフィクションだかわからない父親のコメントが引用されていますが、ぜひ私にもインタビューしてほしいです。「私はゴリゴリの父能研でしたが、間違っていたとは思いません」と答えますから。

 

「志望校に合格できたから言えるんでしょ」と言われれば、多分そうだと思います。が、世の中で否定ばかりされてる方法でも必ずしも悪であると断定できるものではない、ということを言いたいのです。