最近思ったこと。何も言わずに一人で立てるようにならないといけない。

この年にして学ぶとは思いもせなんだ。





ということで久しぶりに映画の感想をば。

今回は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(ラース・フォン・トリアー監督、ビョーク主演)を観ました。

以下ネタバレです。


























評判では救いがない、とか重い、といった感想を聞いていたけども、いざ観てみると…うーん確かに重い。

でもそれは話の展開が重いのであって、感情の話をすると実に素晴らしい作品だと思う。

後味が悪いとも感じなかった。

多分セルマが自分の気持ちを貫いたからなんだろうな。


母親としての強さとセルマという人間の弱さがいいバランスで描かれている。

そして悲しいぐらいまっすぐで正直だ。これがものすごく印象に残った。

自分のために自分を守ろうとする描写はない。保身ではなくて、自分の大切な人のために、空想によって自分の精神を保っている。こうした意味で自分を守り自分の足で立つことは強さの一つだ。結局それも大切な人のために自分の身体が必要であるだけのことだから。捨て身だ。

自分を裏切ったビルですら、過去のことで恩義を感じて、一切黙っている。(そういえばリンダはビルから嘘をいわれてそれを信じただけで、最初からセルマを陥れようとしたわけではないんだよな…。もとの性格に問題はあるけれど)

親にいいつけられた子供のように、秘密を守り、しかし金のことは正直に話す。つじつまを合わせようとすらしない。

嘘をついていたことといえば貯めていた金をいないはずの父親に送金すると言ったことだけ。これも息子のためだ。

彼女が愚かなだけに、最後に息子の眼鏡を握らされるシーンはきいた。


「死刑囚の息子」というレッテルを貼られるのに、という感想も見たけれど、もしセルマがそのことも考えていたのだとしたら、彼女はより実感する方を選んだのではないだろうか。目が見えなくなるつらさを身をもって知っているから、そちらの方がより重要だと思い込んだのでないだろうか。

セルマ自身にとっての苦しみが目が見えなくなることだから、自分の息子に同じ境遇に合わせることは最もつらいことだったのだろう。エゴであり、彼女なりの思いやりでもある。

結果的には彼女は歪曲した解釈のもとに死刑にされてしまったけれど、ハッピーエンドだ。

悲劇だとは思うけれど。

こうして書いてみるとセルマって結構自分のためにも動いているな。人間的な意味で、醜くも美しい女性だ。

『奇跡の海』、『イディオッツ』に並ぶ「黄金の心」三部作のひとつに数えられているらしいので、他の二作品とも比較してみたい。


現実逃避のミュージカルシーンと現実の音楽のないシーンの交錯する演出は観ている側としてはかえって精神的にきた。

楽しい画面と、せざるをえない彼女の心理を考えるとやっぱりね。しかも仕事に差し支えるぐらいだから相当だ。

そして効果を出すにはメリハリって大事だなあと思いました。私信。

裁判所でノヴィと会うシーンで、ああやっぱりこの人の人生の大半はうまくいかないのだと思った。

空想のシーンも含めて、夢と現実の対比がわかりやすい。


すごく好きな映画だなあ。








久しぶりに感想をば。

ネタバレありなのでスクロール































『MISERY』 ジェームズ・カーン主演、ロブ・ライナー監督作品

制作が90年ということで、だいぶ昔の作品。勧めてくれた人がいたので観てみた。


あらすじを聞いた時は実際にありそうで恐いなあと思っていたが、本当に恐かった・・・。

アニーの異常性が垣間見える、文字通り「垣間見える」キャシー・ベイツの演技は圧倒されてしまった。アカデミー賞を受賞したと聞いて納得。

ポールが手負いでハンディがでかいシチュエーションはものすごくはらはらした。そして案の定怒ったアニーが危害を加えてくるシーンはとても見ていられなかった。視覚的に。


スクラップ帳の、病院の赤ちゃんが死亡した記事のところに、可愛い文字とデコレーションで「Another baby」と書いてあったのもものすごく恐かった。彼女の異常性を表すとても上手い演出だと思った。

愛情も怒りもサイコな部分を持つアニーだからこそ、あそこまで『MISERY』シリーズに対して狂信的だったんだなあ。

スクラップ帳の使い方がすごくいい。もちろん原作にあったのだろうけど。


恥ずかしながらメイキングを見て初めて気づいたことは、アニーが過去に父親から性的虐待を受けていた、ということ。本編には出てきていないような・・・もう一回見直そう。

それを知った時、大竹しのぶ主演の『黒い家』を思い出した。人物の異常性や境遇に通じるところがある。

でもなぜか、「過去があっての異常」に安心してしまう。異常があることには変わりないのだけれど。

そしてアニーが自分のしたことに対しての見返りを強く求めること、無償の愛を知らないこと、これが虐待を受けた過去と強く結びつく。愛情があれば、自分の満足のいく結果が待っていれば、その対象や媒体はどうでもいい、といったふうなとても孤独な女性であることがわかる。ちょっと違うけど、餌が欲しいから芸をする像みたいだ。

満たされることを知らないと、与えることができないという心理というものもあるんだなあ。


ポールの、ヒットシリーズが敷いた路線から抜け出したいという心情、彼なりの作品の終わらせ方、相反する読者の理想像、狂信的なファン・・・。いろいろなものが現実味をおびていて、だからすごく恐い。

ライナー監督が、「最後のもみ合いのところは歪んだラブシーンのように」と言っていたけれど、確かにアニーの方は彼女なりの愛があったもんなあ。

カメラワークも人物の心情に沿って動いているとか、アニーと保安官夫婦がワンカットですれちがう(数あるシーンの中でも特に素晴らしいと思った。異常と普通の日常の隣り合わせがとてもうまく表現されている)とか、メイキングで解説されたところもとても勉強になった。ポールは有名だから有名な俳優を、アニーはいち読者だから映画にあまり出ていない舞台女優を、というキャスティングのこだわりなんかも見ていてなるほど、と思った。


遅まきながら観たのだけど、とても面白かった。