投降が面白すぎて腹を抱えて笑った。
数年前にYoutubeで視聴した内容。
面白い話で仕事の小話で使えそうな内容だったので、再度視聴したくて、探してみたのですが、、、なかなか見つからず。
特に、元の動画を探す(切り抜き動画は見つかるのですが)のに苦労したので、備忘することにしました。
”無職は勝ち組”
この言葉を聞いて民衆はどう思うだろうか?
「働かない時点で負け組だ!」とか
「底辺の分際に何を言う」とか その程度であろう。
私は無職として、この愚鈍かつ浅ましい考えに真っ向から否定してみせよう。
否定するに足る理由は大きく二つある。
一つ目は「資本主義であるがゆえに無職は勝ち組」ということだ。
かの有名な経済主義者であるマルクス氏の本である「資本論」では資本主義社会をこう説いている。
「資本主義社会の中においては、人やお金に働かせる資本家と、労働力を商品として資本家に売るしかない労働者の二つに分けられる」
この論理からすれば、一般的に勝ち組とされる医者、弁護士、官僚など、これらすべては労働力を商品としている負け組へと成り下がる。
しかし、無職はどうだろうか。
国民に働かせる生活保護受給者、親に働かせるニート、金に働かせる投資家など、全て人や金に働かせている。
おお、なんということだ!
資本主義社会では無職は資本家階級であり勝ち組ということになる。
二つ目は「無職は足るを知っている」ということだ。
これを読んでいるあなたは「足るを知る者は富む」という言葉を知っているだろうか?
「足るを知る者は富む」は、古代中国の書物「老子」の第33章に収められている言葉だ。
この言葉が意味するのは、「満足することを知っている人は、たとえ貧しい状況にあっても精神的には豊かである」ということである。
これを踏まえ、労働者と無職を場合分けして考えてみる。
労働者は競争社会に生きなければならない。
それにより、人より良い給料、人より良いポスト、人より良いもの、人より良い女など、次から次へと欲しいものが出てきてしまうのだ。
競争社会に生きる限り”足るを知る”ということがなく、「もっと」「まだ 足りない」「さらに上に」と、際限なく欲してしまうのだ。
このように、労働者は永遠の渇望の中に生きている。
これを”苦痛”や”心の貧しさ”と言わずしてなんというのだろうか。
しかし無職には競争という概念すらない。
それにより人と比べることがなく、際限なく欲することもない。
”足るを知っている”のである。
これにより労働者が直面する”苦痛”や”心の貧しさ”は無職には一切ない。
ただ、存在するのは”現状に対する満足”と”心の豊かさ”である。
まさに「足るを知る者は富む」のである。
いかがだっただろうか。
ここまで無職は負け組という考えを否定してきたが、皆はご理解いただけただろうか?
理解できなかった人はそのまま労働者として我々に貢ぎ続けていて欲しい。
それもまた一つの生き方だ。
だが、私の考えを理解できた人はすぐさま仕事を辞めて無職という名の特権階級に来て欲しい。
私は”上”で待っている。
動画↓(Youtube ひろゆき, hiroyuki @hirox246)
https://www.youtube.com/live/rOGTkjrypG8?feature=share&t=4598