上越新幹線MAXが今日でラストランなんて知らなかったえーん

2階建て新幹線がMAXだけなんて知らなかった。

レアだとも知らず、当たり前のように使っていた。



上京した2001年から北陸新幹線が開通する2015年までは、東京から越後湯沢までMAXときで行って、

越後湯沢からは特急はくたかに乗換えて帰っていた。



2階のほうが予約埋まりやすいから、

いつも予約するのが遅かった私は、ほとんど1階を予約していた。

1階席の窓はホームの高さスレスレで、いつも見てる景色と違って不思議だった。

短いスカートの女性とか、大丈夫かなぁとか思ってたりニヤリ


予約取れなかったときは、

自由席争奪を早々に諦めて、

デッキにある壁に収納されている折りたたみ椅子を確保した。

お盆や年末のMAXは本当〜に混雑していた。

通路もデッキも人でいっぱいだった。


予約取れなかったときは、

越後湯沢に着いてからも乗換にダッシュした。

福男選びみたいに特急はくたかまで皆でダッシュしてた。笑


確か大学受験の帰り、

福男選びダッシュしてるとき、私のでっかいショルダーバッグがおじさんに当たって、おじさんがぶっ飛んでコケてしまったことがあった。。

おじさん、ものすごく飛んだ。

ひた謝りしたと思うけど、若い女の子にぶっ飛ばされたおじさんがやたら可愛そうで申し訳なかったショボーン


記憶から抹消させてしまって、怒られたかどうか覚えてない



そんな思い出深いMAXとき。



新しいモノが好きなわたしは、

2013年の北陸新幹線の開通に大喜びした。

だって、小学生の頃から楽しみだったから。

32歳なんだなぁ、何してるんだろうなぁ、って大人すぎて想像できなかった。


北陸新幹線は本当にキレイで、速くて、快適。


それがもう当たり前になってしまって、

MAXのことはほとんど忘れてしまっていた。




だけど、こうやって最後の日に初めて知って、いま悲しくなっている。

むしがいいよなあ、ずるいよなあ。



だけど、やっぱり感謝の気持ちだけは本物なのです。

ありがとう、MAX。

何年前に始めたかわかんないけど、

あまり貯まってない五百円玉貯金箱を今日オープンしました!





ちょっと百円玉入ってた滝汗



やめた理由は、

たくさんの硬貨を銀行に預け入れるとき手数料かかるようになってきたのは関係なくて、現金をほとんど使わなくなったためです。

99%、クレジットカードか電子マネーです。


元々ポイントほしいからクレカ型だったんですけど、個人商店みたいなとこもここ数年で一気に電子マネー使えるようになりましたからねウインク

ペイペイのおかげかな?



ますます五百円玉貯まらなくなったもんね。。



ついでに、硬貨の発行年を確認してみたら、

面白いことがわかりました。



平成11年 0

平成12年 0

平成13年 1

平成14年 1

平成15年 2

平成16年 2

平成17年 1

平成18年 1

平成19年 1

平成20年 3

平成21年 5

平成22年 5

平成23年 4

平成24年 5

平成25年 1

平成26年 0

平成27年 1

平成28年 2

平成29年 6

平成30年 6

平成31年 2

令和元年 1

令和2年 4

令和3年 2


多い年は異様に多いけど、平成26年は0。

平成31年って珍しいんじゃないかな〜とか思ったけど、2枚もありました。

そーんなに少ないわけじゃないようですね真顔


ソース

 




そして、平成12年以前の古い五百円玉はあまり流通してないと言えそうです。



10万円貯まる貯金箱ですが、

2万8千円でした〜。




ちなみに、

今年(2021年)の11月頃にまた新しい五百円玉になるそうですよウインク

ちょっと取っとこうかな〜


https://www.mof.go.jp/policy/currency/bill/20210816.html 




なぜ歳を重ねると図々しく(若い頃より主張ができるように)なるのかというと、


経験値が増えるからに他ならないのではないだろうか。


年々、会う人が増える。

有能な人もいるだろうし、

おかしな(こうはなりたくないという)人もいるだろう。

なんであれ、知識も増える。


なので、昔は形が定まっていなかった自分のものさしが完成形に近づいてくる。



自分のこれまでの経験から

「こうであるべき」

と測れるようになる。




会う人の多さや、

様々な経験の量や、

もちろん性格などにもよるけど、

あくまで同じ人の比較では、若いときより歳を重ねたときのほうが確かな目をしているのでしょう。



とはいえ、

実態を見ようとせず、

自分が絶対正しい!と人に押し付けたり、

周りの意見を聞かない人にはならないようにしたいものです。

そうなったら人間として寿命を迎えたということなのだと思います。

歳は関係なく、若くても年寄りでも、人生の終焉期かと。


逆に言うなら、

若くても年寄りでも、人から学ぶ姿勢があれば、

成長期と言えると思うのです。



さて、

今の日本の上の人たちは、

成長期でしょうか、寿命を迎えているのでしょうか。