進路塞がれ停車、追突され夫婦死亡 6月の東名事故


こういう記事を目にすると
強い憤りが沸き起こります。

間違った人間を注意して
なぜ嫌がせを受け、
(結果、)殺されなくてはならないのでしょう。

だから下手に注意できない世の中になりました。



人間には本人の物差しがあり、
言い分があります。

故意にではなくても
迷惑をかけることは誰もがあります。


日本の子育ては
「人に迷惑をかけないようにしましょう」

インド人の子育ては
「生きていると必ず人に迷惑をかけるのだから、人のことも許してあげましょう」


だと言います。


私もやっぱり

「人に迷惑をかけてはいけない」

と思っているタイプです。
だから人にも厳しい気がします。汗


でも。
日本人ならではの心は美しいと思うけれど
おかしいことが多く、
今の時代に綻び(ほころび)が出てきたと感じます。



記事の中で、
嫌がらせをしたヒトは欠陥のあるヒトであることには間違いないと思うのですが、
注意の方法によっては、
もしかしたら、もしかしたらですが、
このような結果にならなかったかもしれません。


「そこに停まってたら出れないだろ!どけろ!」

「おにーちゃん(お兄さんなのか知らんけど)、悪いんだけど、出たいからちょっと車避けてもらえるかな?」


受け止める人の思いは違いますよね。
後者でキレるヒトはもうお手上げです。

馬鹿馬鹿しいけど、このように、
考えて発言しなくてはならない時代です。
でも受け身側として考えたら分かりやすいですよね。


「注意する」
「叱る」

っていうのは、すごく難しく、
心をすり減らします。

注意されたり叱られるほうが楽だと、
そう聞いてはいたけれど、理解できず
その立場になってようやく身に染みました。


叱るべきところでそれをしない(できない)

「ヤサシイ先生」
「ヤサシイ上司」

は人気があったりするけれど、
事なかれ主義なだけだと思います。

人を育てるって本当に難しい。



言葉が通じない
わけわかんないヒトも多いですから、
綻びが出た世界が、どうなっていくのか。。



この事件、
残された子供たちの心が心配です。。