仕事や生活といった一挙手一投足、
つまり何らかの所作をしている間は、
神様でも仏様でも偉人でも天皇陛下でもいいので、
最も畏オソれ多い方が、静かに、
こちらを観察し続けていると仮想してみる。

 仕事や生活で社会とつながっている身なので、
ときには作務(作業労務--禅宗の言葉)において、
社会に対し、誠実に嘘の無い向き合い方をする。

 トイレ掃除や靴を揃えるレベルの事、
わずかの塵チリを掃除したり、字の一角を書く事まで、
視界に入った全ての事柄、手に触れる先の、
全ての所作を、無心に丁寧に行い続け、
とりあえず週に一日だけでも耐え抜いてみる。
(つまり、折角の休日の時間を、ほとんど拭き掃除や、
 整理整頓に費やし続けてみた。)
常に誠実に無心で居る事は、大変に息苦しかったり、
ため息が漏れるような、忍従の気持ちにもなる。





 普段の心掛けというのは、滲ニジみ出てくるもので、
人は見てないようで見てるモノで、
仕事が別の仕事を呼び込むような、
正のスパイラルを生む事も有る。
また、色々と心の螺子ネジが緩んでるのに気付いたりする。


別の話、無心とは真逆に心の底で、
「なんだツマラン、こんな事。」と思い続け、
そうした年月を重ねるならば、
確実にツマラナイ、ブスッとした顔になる。
その内、「まぁ、こんなん適当でエエやろ。」
と思い続ける様になり、
適当な鈍い感性の人間になる。
もっと酷ヒドくなると、周囲の人々を見て、
「こいつら、真面目にこんな事して、ほんとバ * 。」
と思う様になり、
感謝の念すら忘れた、 * カと化す。


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