「人は人の神で有る。」
これは、巨万の富を築いた、ルネッサンス時代の商人の家訓である。



人に対し悪魔のような所業を行ったがために、
終始、妬まれたり、攻撃される人生も有れば、その逆に、
人に良き事を為し、嫉妬を受けぬ様に、慎ましく生きたがために、
神の如く信奉され、感謝される人生も有る・・・という戒め。



 
答え無き 問い(庶民的考察)-books





人は、他者から、いわれ無き、攻撃や嫌われ方をされる事が有る。
その原因は、千差万別で、
誤解・嫉妬・反発・自己保身・振って沸いた火の粉・責任転嫁・・などや、
単に秘密を知られてしまったから・・・という種類のモノまである。


また、他者の中に、まるで悪魔の如き一面を見る事も有る。
(その人からすれば、単に、刺激や緊張感を与えたかったという事も有る。)
その残忍性や攻撃性が、常軌を逸してる事も有る。
その根源は、拭い切れない不信感や猜疑心や、
長い苦難の人生から導き出した、曲折した感覚が基だったりする。



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また、攻撃を受けたからと言って、煮えたぎった気持ちのまま、
何万回も、同じ事を考えるような事は、止めとくのが賢明である。

どうせそのような、「チカラ」や「権力」しか信奉しない人間には、
いずれ、更なる上をいく強者が襲い掛かるようになっている。



また、ほんの少しでもチカラ(金・権力・有用な人材やネットワークなど)を削られると、
猛然と怒り、反抗したり、頑張る人が居る。
そうした気質は、成功者の条件となってる事が多いが、諸刃の剣とも言える。

そうした自信タップリに生きてきた人が、
罠や詐欺に掛けられたり、嘘の密告や、捏造記事を書かれて、
致命的な手傷を負う事も見られる。




答え無き 問い(庶民的考察)-dark suits




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どうせなら、人に信奉され、感謝される人生を目指すべきである。



また、「人に何か良き事をした事が有るか。」という様な事を問われ、
何も思いつかないような人間を見ると、何とも寂しい気持ちになってしまう。

おおよそ、その様な人間は、目や表情、着衣や気にしてる事などから、
うさん臭い雰囲気というか、鼻持ちなら無い腐臭が漂うものである。

古人の政治家の例では、そうした危険な匂いのする人物を、
時間をかけて、それとなく遠ざけていき、自らの身を守った例が有る。



答え無き 問い(庶民的考察)-降り注ぐ光と、暗い大地