去年の12月の事だけど、やっと前から考えていた勉強会を主催する事ができた。

『別居・離婚後の親子関係を考える勉強会』

 

これは以前から市議会議員に陳情をかさね、色々な市議会議員に話を聞いてもらい

 

その中でも特に理解をして頂いた中村市議に協力してもらい実現したものだ。

 

講師は弁護士でもあり衆議院議員のみたに先生。

 

連れ去りや親子問題について以前より国会でも質疑をして下さっていた方だ。

 

勉強会対象者は、神奈川県内の市町村議員

 

もっと行政にこの問題を理解して頂きたくて対象者は地方議員にしぼった。

 

神奈川県内の各議会事務局全部に案内状を出し、当日はなんと県外からの参加市議もいらしてくれた。

 

スタッフは、信頼のおける当事者仲間がボランティアで手伝ってくれた。

 

勉強会は20人以上の参加者が集まり、勉強会が終っても誰も帰る市議はいなく

 

勉強会終了後1時間は当事者に話を聞いてもらえるほど関心を持ってもらえた。

 

今までは当事者向け、所謂内側に向けた勉強会はあったけど、今回は非当事者向け

 

しかも、それが議員対象なのに意味があると思いずっと考えていたものだ。

 

その後も参加して下さった議員や当日参加できなかったと言う議員からも連絡があり

 

議会に持ち帰って他の議員と、この問題を考えてみるとたくさんの議員さんより連絡があった。

 

 

 

 

今月15日には上川法務大臣の閣議後記者会見で、2月の法制審議会総会に、家族法の見直しを諮問する事が明らかになった。

 

やっと法改正に向けた動きが出てきた。

 

そもそも両親が離婚しても親である事は自然の摂理で、普通に考えても生物学的に見ても親はずっと親なんだよ。

 

それが両親が離婚したからと言って親権がどちらか1人にしか認められない日本がおかしいのだ。

 

私は現在コロナを理由に数か月息子とまた会えていない。

 

その間も息子はどんどん成長している。

 

1日も早い法改正を望み、パパはもっともっと、がんばるからね!

今日は朝から日本維新の会の串田誠一衆議院議員の駅頭演説の応援に行ってきました。

 

串田議員と言えば、子に会えない親や子を連れ去られた当事者ならみな知っている議員さん

 

です。

 

国会の法務委員会などで、この問題の質疑を何回もしてくれ私達は勇気をもらいました。

 

私もその一人で、息子を連れ去られ会えず、もう生きていても意味がないのではと考えてしま

 

っていました。

 

そんな時にYouTubeで串田議員の国会での質疑を見て、生きる勇気をもらいました。

 

そんな串田議員は国会には無くてはならない存在です。

 

次の選挙も当選してもらいたいので、時間がある時は駅頭演説の応援に行ったり、ビラを配っ

 

たりしています。

 

今日の午後も串田議員のビラポスティングを1,200枚配ってきました。

 

いやあ、まさか俺が政治家の応援するとは思っていなかったなw

 

 

そうそう、当事者の間では共同親権の法改正が近いのではないかと盛り上がってきています

 

が、実際のところはどうなのでしょうね。

 

近い将来、日本も共同親権への法改正し、息子と当たり前に会えるようになるのかな。

 

そんな期待をしながら、これからもがんばっていきます。

9月21日(月)に大阪で開催されたウォーキングフェス

 

第3回オレンジパレードに参加してきました。

 

実は、第2回に引き続き第3回のフェスも運営に入れて頂き、がんばりました。

 

https://twitter.com/catbirdwindmoon/status/1307931265492942850?s=20

 

 

 

https://twitter.com/PaPaChan_41913/status/1308347215157407746?s=20

 

 

 

https://twitter.com/maechan12928/status/1308379906808578049?s=20

 

 

https://twitter.com/kotooyanosalon/status/1308239045340790789?s=20

 

 

 

別居や離婚で、思うように子どもに会えないパパやママ

 

親に会えない子どもが集まり参加者は200人となりました。

 

今、菅政権が発足し、新法務大臣に上川陽子さんが就任し

 

山下法務大臣時の当事者としては、少しずつ良い方向に動いているようにも思えます。

 

ブログで相互フォローの方とも初めてお会いして、お話しする事もできました。

 

みんな、がんばっている良いお父さん、お母さんばかりでした。

 

そんな人達が1日も早く、子どもに会いたい時に会える日本に変わるといいですね。

 

それまで、私はがんばります!

去年の9月に続き、今年の3月22日に渋谷でフェス(オレンジパレード)がありました。

 

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=_pRPoaYtAGI

 

パパはね、がんばって君に会いたいと必死に行動していたらね

 

このパレードの運営に入れてもらえたんだよ。

 

パレード当日は君を思い、必死に声をあげたよ。

 

 

 

どうか君と当たり前に会える世の中に変わってほしい。

 

そんな日になるまで、パパはまだがんばるよ。

私がいわゆる『連れ去り被害者』だと気づいたのは、最愛の息子を連れ去れてから3か月後

 

廃人の様に食事もとれず、それでも息子の事を諦めきれなくて、たまに起き上がれた時に

 

ネットで『離婚後も共同養育』や『連れ去り』などを調べている時に、この動画を観た時でした。

 

 

 

この動画を観て絶望したのを覚えています。

 

きちんと協議しての離婚なら、離婚後子どもの為に共同養育を目指せますが

 

初動が『連れ去り』だと、連れ去った方の親は安心してもう一方の親に子どもを預けられなく

 

なります。

そう、最初に強引に子どもを確保してしまった為相手に同じ事をされるのを恐れるのです。

 

現に私は相手方の監視下かそれに準じる条件でないと息子に会えません。

 

会わせてもらえないのです。

 

これでは、共同養育なんてできるはずがありません。

 

息子は交流のたびに、『パパのお家に行きたい』、『パパとお風呂に入りたい』と言って

 

くれますし、私も宿泊での交流を望んでいますが、相手方の反対でかないません。

 

親子でお互いに望んでいる事が、かなわないのです。

 

これが、子どもを強引に確保した方だけに決定権を与える『単独親権』なのです。

 

 

 

こんな思いを息子には絶対にさせたくないので、『単独親権』も『子の連れ去り』も、息子が

 

大人になり家庭を築き子どもを授かるまでには、なくさなくてはいけません。

今月の息子との親子交流無事実施された。

 

毎月、会えるのか会えないのか当日になってみないとわからないので精神的に安定しない。

今回の交流では、衝撃的な事が2つほどあった。

 

1つは、息子は相手方の旧姓で保育園に通っているという事。

 

私の苗字でフルネーム話かけても、ピンとしていなく、まさかと思い確認してみると

 

息子は相手方の旧姓で自分の名前を認識していた。

 

まだ婚姻中で、離婚していないにも関わらず。

 

当然途中で苗字を変えたのではなく、息子はまだ連れ去り前の同居中から私の知らない間に

 

保育園に通っていた事が調停で明らかになったので、当然その頃から相手方の旧姓で名前を

 

すり込んでいたのだろう。

 

悔しくて、たまらない気持ちになった。

 

君の名前は本当は違うんだよ。

 

まだ幼い息子にそう説明しても理解できるはずがなく、ただ戸惑わせてしまうだけなのでぐっと

 

耐えた。

 

2つ目は交流最後に、息子が『まだパパといたい、パパとまだ遊んでいたい』と言ってくれる

 

交流の終わり際に、いつも息子が言ってくれるうれしい言葉だ。

私もいつもこう返す。『パパもまだ一緒にいたいけど、無理なんだよごめんね』

 

いつもはここで終わりだが、めずらしく息子が『明日は?』と聞いてきたので

 

『明日会えるかな?会えるといいね』と答えると信じられない言葉を息子が言った。

 

『もう、おねえちゃんたちをたたかないでね』と

 

え!? ようするにパパになかなか会えない理由を息子には、私が同居中娘たちに暴力をふ

 

るっていたからと説明しているのか。

 

これにはさすがに、『パパはそんな事していないよ、信じて』と答えた。

 

怒りがこみ上げてきた。

 

むしろ、娘が悪い事をした時に手をあげていたのは相手方の方である。

 

ひどい時には、鼻血がでるほど叩いていた時もあった位だ。それも1回だけではない

 

ただ、すぐに冷静になった。

 

私が怒りにまかせて猛抗議すれば、きっと相手方の機嫌を損ねて息子に会えなくなってしまう

 

だろう。

 

なんて卑怯なやり方だよ。

 

やっぱりダメだ、相手方1人に息子をまかせていたらどんな人間に育ってしまうのか心配だ。

 

なにがなんでも、例え月に1回2時間でも、親子交流していかねばと強く思った。

 

将来君が理解できる年齢になったら、全てを説明するからね。

 

どうか、その日まで何があってもパパを信じてほしい。

 

 

https://www.sharedcustody.me/2020-07-12-%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E8%AD%B0%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%AE%9F%E5%AD%90%E8%AA%98%E6%8B%90%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B1%BA%E8%AD%B0%E3%82%92%E7%BF%BB%E8%A8%B3%E3%83%BB%E8%A7%A3%E8%AA%AC-part-2/

 

 

https://www.sharedcustody.me/2020-07-09-%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E8%AD%B0%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%AE%9F%E5%AD%90%E8%AA%98%E6%8B%90%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B1%BA%E8%AD%B0%E3%82%92%E7%BF%BB%E8%A8%B3%E3%83%BB%E8%A7%A3%E8%AA%AC-part-1/

 

 

https://www.sankei.com/world/news/200709/wor2007090012-n1.html

 

 

https://www.tokyo-np.co.jp/amp/article/41246?__twitter_impression=true

 

 

https://this.kiji.is/653694244372382817?c=39550187727945729

 

コロナで緊急事態宣言が出て外出自粛のなか共同親権への法改正の活動ができない。

 

息子は1日1日成長している。

 

1日も早く息子との生活を取り戻したくて、それでも何もできなくて悶々としていた。

 

そんな中、地元市議会議員に手紙を出す事にした。

 

前に地元選挙区の参議院議員全員に手紙は書いたが返事は誰からもこなかった。

 

市会議員ならもしかしてと思い、とりあえず5人に手紙を書いてみた。

 

返事など来ないと思っていたのだけど以外にも3人の議員さんから連絡をもらい

 

話を聞いてもらえる事となった。

 

国会議員への陳情なら共同親権への法改正を訴えたかったが市議会議員だと行政

 

ちょうど兵庫県明石市が行政として面会交流支援をやっていたので、それを元に

 

資料を作ってみた。

 

行政として取り組んでもらいたかったのは

 

1、面会交流支援(主に子の引渡しや交流場所の提供できれば面会用宿泊施設と人員

  例えば保育士など

 

2.支援措置後の迅速なDV事実確認

 

3.保育園・幼稚園・小学校等のイベント参加補助と情報開示

 

4.離婚届受理時に未成年の子がいれば、共同養育計画提出の義務化

 

それから、連れ去りは日本以外だと誘拐・拉致として扱われる資料など

 

今日まで2人の議員さんに話を聞いてもらえたが、実態を知りみなびっくりしていた。

 

今日の議員さんは明石市とコンタクトを取り、この問題をもっと勉強して下さるとの事。

 

明日も議員さんに話に行く。

 

それが終ったら残りの市議会議員全員に手紙を書こう。

 

息子の為、やれる事は全部やってやる!

 

 

 

最近感情の浮き沈みがはげしい。

 

思うように感情をコントロールできないし、注意力が低下し物事の優先順位をつけられなく

 

なっている。

 

食欲もあまりなく、夜も眠れない日が多い。

 

 

パパはね弱い人間だから、君がいない現状に負けそうになる時がある

 

でもね、パパはそんな時君の事を思い、がんばるんだ

 

君が連れ去られた直後、君に誓ったんだ

 

必ずパパが迎えに行くからねと・・

1年前に息子を連れ去られた直後住民票を取るとそこには私だけの情報しかなかった。

 

用意周到に、連れ去り当日に私以外の家族が転居になっていた。

 

引越し先は記載されていなかった。

 

子供をある日突然連れ去られ、どこに行ったのかもわからない。

 

本当に連れ去りとは、拉致・誘拐だと思った。

 

ネットで調べると戸籍の附票を取ると婚姻中なら別居家族の住所が記載される事がわかっ

 

た。

 

すぐに市役所へ行き戸籍の附票をとったが、そこには私の情報しか記載されていなかった。

 

不思議に思い調べると、妻には支援措置がかけられていて住所が記載されないらしい。

 

支援措置とは、

 

支援措置の対象者は、住民基本台帳に住所又は本市の戸籍を有する者であって次のいずれかに該当する方です。

 

(1) 配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律(平成13年法律第31号)第1条第2項に規定する被害者であり、かつ、更なる暴力によりその生命又は身体に危害を受けるおそれがあるもの

(2) ストーカー行為等の規制等に関する法律(平成12年法律第81号)第7条第1項に規定するストーカー行為等の被害者であり、かつ、更に反復してつきまとい等をされるおそれがあるもの

(3) 児童虐待の防止等に関する法律(平成12年法律第82号)第2条に規定する児童虐待を受けた児童である被害者であり、かつ、再び児童虐待を受けるおそれがあるもの又は監護等を受けることに支障が生じるおそれがあるもの

(4) 前3号に掲げる者のほか、特定の者からの暴力等により自己の生命又は身体に著しく危害を及ぼす行為を受けたものであって、かつ、更に当該行為を受けるおそれがあり、支援措置の必要があると認められるもの

 

後で調べてわかったのだが、連れ去り親や連れ去り指南弁護士がよく使う手法だった。

 

(1)は、昨日まで暴力もなく普通に暮らしていたのにありえない理由だ

 

(2)は、昨日まで一緒に住んでいたのにストーカーであるはずがない

 

(3)は、私は児相虐待などしていない

 

(4)も、(1)にしかりである

 

調べると嘘でもいいからDVがある事を警察に相談すると、その相談記録が出て

 

それを市役所に持って行くと簡単にできるらしい。

 

警察は本当にDVがあったかどうかなど確認しないのだ。

 

確かに本当に暴力等により自己の生命又は身体に著しく危害を及ぼす行為を受けたものは

 

守られなければいけないと思う。

 

だけど悪用しようとすると簡単に出来てしまうのだ。

 

なぜこれを連れ去り親がやるかと言うと、子供の親権者を家庭裁判所が判断する時に使う

 

『継続性の原則』というやつだ。

 

両親が親権を主張し合っていると裁判所は、現在子を監護している親に親権をあたえる。

 

現在特に問題なく生活しているのだから、問題が起きてしまうかもしれない同居していない親

 

に裁判所は親権をあたえない。

 

親権をまともに主張し合うと、親権を失うかもしれないから、連れ去りから支援措置にて

 

住所秘匿までして、監護実績の時間かせぎをするのだ。

 

なんと汚いやり方なのだろう。

 

 

最初にも書いたが、私が息子を連れ去られたのは1年前だった。

 

支援措置は、1年単位で措置の延長をしないと解除される事も知っていた。

 

※支援措置の実施期間は1年間です。支援が必要と認められた場合は本人及び関係市区町村へ決定通知を送付します。

 

息子を連れ去られ1年が経過したので、再度市役所に戸籍の附票を取りに行くと

 

相手や子供の住所の記載があった。

 

相手は措置延長しなかったのだ。

 

おかしいじゃないか、暴力等により自己の生命又は身体に著しく危害を及ぼす行為を

 

受ける危険は1年経つとなくなるものなのか?

本当に暴力の危険があるならしっかり延長するはずなのに、延長されていない。

 

つまりもう1年の監護実績が出来たから必ず親権は取れる。

 

延長の必要がなくなったのだ。

 

 

将来息子に事実を知ってもらいたい。

 

きっと相手から私がいかにダメな父親だったかをずっと聞かされていくだろう。

 

息子が成長した時に、このブログも読んでもらい、両方の親の意見を聞いて息子が判断すれ

 

ばいい。

 

その頃には、きっと日本も共同親権へと法改正されて、連れ去りや虚偽DV主張がどんな事か

 

息子が理解してくれる事を望む。

前回の息子との面会交流はコロナの影響もあり、調停でいつもの屋内の場所から屋外へと

 

変更してもらい、念の為子供用マスクと除菌シートも手に入れた。

 

屋外への変更で心配だったのは天候。

 

予報でもその日は曇りのち雨だったが、前日雨の為延期にして当日晴れるなんて可能性もあ


るので中止等の判断は当日の朝にしたい、休日の為弁護士経由での連絡ができない為、当

 

日直接連絡をしますので、相手方に伝えて下さいと調停の最後に調停員に申し出た。

 

この申し出は確かで、調停中の私のメモにも残っていた。

 

 

交流日当日、いつもより早く目が覚め外をみると雨だった。

 

しかも当日の天気予報では最高気温5℃、すぐに中止の判断をして相手にメールをする。

 

『雨のようなので、延期にして下さい』と

 

1時間待っても、2時間待っても相手からメールの返事はない。

 

仕事をしながらメールの返事を待つがいっこうに返事がなく、とうとう出発の時間になってしま

 

った。

 

返事がこないと言う事は中止ではなく実施すると言う事なんだろうか

 

またはメールを確認していないのか?

相手方から中止の同意が無い以上私がとる行動の選択肢は1つしかなかった。

 

一応相手に、『返事がないので向かいます』と再度メールを送り、待合せ場所へ向かった。

 

車で外気温を確認すると3℃だった。

 

待合せに来たら、この天候と気温での交流は息子がかわいそうなので延期してもらおうなどと

 

考えながら待合せ場所に到着。

 

何百台も停められる駐車場にある車は私の車を含め3台のみ。

 

施設の正門が待合せ場所だった為、車から降り正門へと向かった。

 

到着したのは待合せの15分前、いつも混んでいる正門前には人は誰もいない。

 

でも受付は確かにやっている。屋外施設でこの天候でも開園していると確認した。

 

待合せ時間が過ぎても来ない相手方にやっぱりなと言う気持ちが出てきた。

 

いや、可能性としては遅れて来るかもしれない。

 

現に、連れ去り後最初の交流は待合せから1時間待たされた。

 

しかたない、1時間だけ待つか・・・

 

途中から雨は雪に変わっていた。

 

結局1時間待っても相手方は来なかった。

 

雪の中1時間待たされたが、怒りや悲しみの感情はなく、やっぱりなと言う思いしかなかった。

 

 

後日この事を弁護士経由で説明し、相手方がなぜ連絡してこなかったのかを確認したところ

 

調停員からは当日直接連絡をとる事など聞いていない。

 

雨なので当然中止と判断した。

 

この2つの答えが返ってきた。

 

調停員へのお願いは私の記録にきちんと残っているので、調停員が伝え忘れたのか?

私が思ったのは、上記2つの理由が正当だとしても人として返事位できないものか。

 

結婚生活の中で感じていたものが、こういった事で明確になっていくものだな。

 

 

こんな事をされても、1週間後に無事息子に会えた私は別居親としてまだマシな方なのです。

 

ひどい人は日本が単独親権の為、連れ去られると婚姻中でも相手次第で子供に会わせて

 

もらえません。

 

私のまわりには離婚後何年も子供に会えない人達がたくさんいます。

 

単独親権の為、両親が両方子供思いの親だとしても、別居時に子供を監護していないと

 

この様な事が出来てしまうのです。

 

私は1日も早い共同親権への法改正を強く望みます。

 

監護していない親からも、たくさん愛されている事を両親が離婚した多くの子供は気づいてほ

 

しいです。

 

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今年は私にとって忘れられない年になった。

 

3月に息子を連れ去られ、離れて暮らす様になりもうすぐ9ヶ月が経つ。

 

息子にある日突然会えなくなり、何度死を考えたか・・


地獄の日々だった。

 

その地獄の日々の中、前から癌で闘病中だった父の様態が悪化

 

何度も夜中危篤になり、とうとう今年6月に他界した。

あの当時は息子を失い鬱に近い状態だった為、夜中何度も病院に行き

 

父を交代で看病しながら、寝不足で仕事に行くの繰り返しだった日々は

 

私の人生の中で1番きつく、辛い日々だった。

そんな状態なので、父の葬儀の時は母と弟にかなり頼ってしまった。


もちろん、その最中も離婚調停だの、婚姻費用調停だの調停は

 

ボロボロになりながらこなしていた。

 

そんなきつい状態でも、相手の主張している婚姻費用の支払いと額を
 

認め息子に約半年ぶりに会えてからは少し落ち着いてきた。

 

9月には浅草で行われた、子どもに会えない親のウォーキングフェスにも参加した。

 

司法や弁護士に理不尽に子どもと引き裂かれた親達のデモだった。

 

11月には、単独親権違憲訴訟、国賠原告の主催、当事者BBQに参加して

 

当事者仲間も増えた。

 

そして12月、婚姻費用を払っていくのに住んでいた3LDKからの引越しを決断した。

 

息子と暮らしていた、その家でまた一緒に風呂に入り、一緒に寝て、一緒に食事をする

それが夢でがんばってきたが、色々な事情が重なり引越しを決断する事となった。
 

息子がいなくなり、ボロボロになった思い出の家だけど最後位笑って過ごしたいと思い

当事者に声をかけ、我が家で忘年会を開いた。

 

 

参加者は東京・神奈川・埼玉・静岡から11人が参加してくれた。

 

そして引越し当日、息子と過ごした家とのお別れ。

 

朝、母から電話があり、父の兄が昨日亡くなったとの連絡だった。

 

引越し業者が来るのは午後からだった為、とりあえず叔父の家に線香をあげに行った。

 

急いで自宅に戻り最終的な梱包、なんとか業者がくるまでに終わらせた。

 

全ての家具がなくなり無機質な部屋を見ていると心が壊れそうになった。

 

それはあの連れ去り当日、何にも知らずその日も早く仕事を終わらし息子と風呂に入るのを

 

楽しみに帰宅し玄関を開けた次の瞬間に見た家具や荷物がなくなった暗く無機質な空間

 

そのものだった。

 

 

 

 

 

新居に荷物を運びこむと、また気分が落ちた。

 

息子との接点がまた1つ消えた事によるものだった。

 

気づかないうちに涙も出ていた。

 

新しい家に落ち着かなかったのか、その日はあまり眠れなかった。

 

そして次の日の深夜にまた母からの電話

 

もう悪い予感しかしなかった。

 

案の定、今度は父の妹の旦那さんが亡くなったと言う連絡だった。

 

自宅で少し前に息を引き取ったので、パニックになっているらしく

 

タクシーを呼び、向かう事になった。

 

その日もほとんど寝れなかった。

 

次の日は当事者仲間が企画した共同親権のビラ配りを渋谷までお手伝いに行ってきた。

 

渋谷の人並みが多い場所で声をあげて共同親権のビラを配った。

 

誰1人寒いとか恥ずかしいなんて言わない。

 

会えない子どもと会えるようになる為に必死な親達だった。

その後、東京の弁護士会館で行われる親権シンポジウムに参加した。

 

シンポジウム1時間前に当事者と待合せをして、弁護士会館前で横断幕を掲げた。

土曜日だった為、ほとんど通行人がいなくアピールがイマイチだったけど

 

周知するっていう当事者の行動が大事だよね。

 

 

 

シンポジウムの内容は思っていたより共同親権よりの内容だった。

 

幼児期は記憶の薄れるのが早い為、最低でも1週間に2回は会う事が望ましいと言う言葉に

 

月に1回も会えていない私にはうらやましい事だった。

 

その他の内容も共同親権に好意的な内容だったと思う。

 

たぶん日本は将来共同親権になる。

 

それをいかに早くするかは当事者の行動次第だと思った。

 

早く共同親権になってもらわないと息子にたくさん会えない。

 

いや、会うと言う言い方より一緒に過ごしたいの方が正解かな。

 

夜は出席した当事者と懇親会。

 

帰りはまた慣れない電車で慣れない新居に帰宅した。

 

もう今年も残り1週間、息子に会えなくなって9ヶ月、早いものだ。

 

来年は仕事を少しずつ元の量にもどし、共同親権への活動ももっとできたらいいと思う。

 

そして1番は、来年はもっと息子と過ごす時間が多くなる事を願う。