Are you okay?

 

通りがかりの白人の女性に声を掛けられた。“Okay”でないことは、自分が誰よりも解っていた。生まれてから今までの29年間、転んだことは何度もあったけれど、ここまで痛かったのは、正直初めてだったから。

 

必死の思いでBARTに乗って宿の最寄駅に着いた。ここから宿までは歩いて10分くらい。いや、急ぎ足で歩けば5分くらいかもしれない。けれども、その5分の徒歩でさえも気が乗らず、その場でUberを呼んだ。

 

宿に着くと、オリーブオイルの香りが2階から漂ってくる。昨日と同じように、キュートな見た目とは裏腹にあまり人懐っこくないヨークシャーテリアが、上から玄関の様子を覗いている。階段を登り、ホストのチャーミーとアーロンに足を怪我したことを伝え、少しばかりの氷を貰えないかと頼んだ。怪我をした経緯を伝えるのは恥ずかしかったけれど、この街のトイレ事情を二人から聞き、ちょっとだけ、救われたような気がした。

 

右足を氷で冷やしながら部屋で休んでいると、ドアをノックする音が聞こえる。着地するたびに痛む足を引きずりながらドアを開けると、「お腹空いてる?」とアーロンに尋ねられた。「外に食べに行くのも大変だろうし、簡単な夕食ならあるよ」と。お言葉に甘えて、リビングでサーモンとブロッコリーとポテトの夕食をご馳走になった。「アーロンがたくさん食べるからいっぱい盛ったけど、無理して全部食べなくていいからね」と気遣ってくれるチャーミー。同い年くらいかなと思っていたこの美男美女夫婦はやはり歳が近くて、僕の2歳上だった。

 

チャーミーとアーロンとは、いろんな話をした。二人ともフィリピン系だということ、ずっとフリーランスだったけれども最近企業に勤め始めたということ、仕事も住む場所も転々としてきたこと、数ヶ月前にインターンシップでここに泊まった女の子もランニング中に怪我したこと……足を冷やす氷が融けてくると替えのものを用意しながら、紅茶を淹れてくれた。

 

夕食を終えると、アーロンはMacBookを開いて仕事の続きをしている。どういう流れでこうなったのかは覚えていないけれども、僕の手元にはブラントがある。半年以上前に巻かれたものを、ずっとキャビネットにしまっていたのだそうだ。窓際のヨーキーは外を見ている。一緒にブラントを回した、すっぴんでメガネのチャーミーがなぜかとてもセクシーに見えたのは、ここだけの話にしておこうか。Netflixで観ている『ノーカントリー』の内容が頭に入ってこなくなるのを感じながらうとうとしていると、アーロンから「ほら、寝る時間だよ」と子供のように促され、寝室に入った。

 

翌朝になっても、やっぱり足は痛かった。宿は変わらずほんのりオリーブオイルの香りがして、窓際のヨーキーは相変わらず可愛くて少し無愛想だった。リビングにはチャーミーが居て、「ウィードのおかげで足は良くなった?」と尋ねてくる。「そうでもないかな」と正直に答えると、「でもぐっすり眠れたでしょ? 私は危うく仕事に行けないとこだったよ」と笑った。

 

この時期のバークリーは植物が綺麗だ。部屋の窓からは、少し色あせた緑の葉っぱが、淡青の空とのコントラストで美しく見える。一歩外に出ると、フーディ1枚でちょうどいいくらいの気温で、風が心地よい。痛めた足を引きずりながらオークランド市内を散策して宿に戻ると、仕事を終えて帰ってきた二人が夕食の準備をしていた。「明日午前4時くらいには出ちゃうから……」。想像以上の寂しさが募ることに驚きながら、二人に別れを告げた。「本当にありがとう」。翌日の午前3時半、二人とヨーキーを起こさないようにアラームをすぐに止めてシャワーを浴び、財布に入っていたなけなしの10ドル札を枕元に置いて、変わらず痛い足とスーツケースを引きずりながら空港へと向かった。

 

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足の骨が折れていることを知ったのは、帰国した翌日に病院に行ってからのことだった。そんな痛みも忘却の彼方へと消えた今年の8月、ふと二人のことを思い出してInstagramで名前を検索すると、11月に女の子が生まれる予定だということを知った。それから、あのヨーキーの名前がGonzoだということも。チャーミーのフィードには、赤ちゃんのエコー写真を持った二人の写真がある。それをスクリーンショットしてストーリーで二人をメンションすると、返信が返ってきた。「あの足を怪我した日本人」と憶えてくれていたみたいだ。もうあの家からは引っ越してサンフランシスコに住んでいるとも聞き、二人らしいなと思った。

 

足を怪我したあの夜、二人がもう住んでいないあの家のリビングで、チャーミーはこんなことを言ってくれた。「あなたがヒップホップに興味があるのと同じように、私たちも日本に興味津々なのよ」。そんな二人に「日本では酔っ払って路上で寝ちゃう人もいるんだよ」と伝えると、目を丸くして驚いていたのを思い出す。もうすぐ娘さんが生まれる二人が渋谷メルトダウンをその目で確かめに来てくれるのは、当分先のことだろう。少し寂しいけれど、仕方ない。

 

東京で金木犀の香りを嗅ぐとき、オークランドから帰国して足を引きずりながら歩いていた昨年の秋と、旅先で人の優しさに触れたあの夜を思い出す。バークリーやオークランドでは、今頃少し色あせた緑の葉っぱが綺麗なんだろうか。西陽が当たる室内は少し暑くて、窓を開けると風が気持ちいいのだろうか。あの二人の家は今もほんのりオリーブオイルの香りがするんだろうか。二人の間に生まれる女の子なら、きっと美人さんなんだろうな。そうだ、明日の夕飯は、オリーブオイルで焼いたサーモンとブロッコリーとポテトにしよう。食後の紅茶とウィードは、またいつか二人に、いや、3人と1匹に会える日までのお楽しみだ。

 

 

 

 

あとがき

昨日、「右脳を使って文章を書く」というワークショップに参加してきました。最後のワークで書きかけだった文章を家に帰ってから完成させたものが上の文章です。書きっぱなしにしておくのがなんとなくもったいなく感じて、ブログにアップしてみました。

ワークショップでは右脳から文章が泉のように湧き出る感覚を味わえたのですが、家に帰るといつもの左脳モードに戻ってしまったので、後半は少し不自然かもしれません。ご了承ください。

 

 

 

 

告知

オークランド出身のラッパー=Guapdad 4000のアルバム『Dior Deposits』より、チャンス・ザ・ラッパー(Chance The Rapper)とチャーリー・ウィルソン(Charlie Wilson)を客演に迎えた「Gucci Pajamas」の歌詞を、洋楽ラップを10倍楽しむマガジンさんで解読しています!

 

 

金品をむしり取られてしまうGuapdad 4000らの心情を読む。(Guapdad 4000 - "Gucci Pajamas" ft. Chance The Rapper & Charlie Wils|洋楽ラップを10倍楽しむノート|note

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奇しくも上の文章の舞台であるベイ・エリア出身のGuapdadですが、この人のアルバム、かなり個人的に気に入ってます。中でも「Gucci Pajamas」はウケるので、ぜひ騙されたと思って記事を読みながら聴いてみてください!