Erykah Baduのミクステ、
すごく楽しみにしてたんですが
まだ1秒たりとも聴いてません。
Erykah Badu, But U Caint Use My Phone
代わりというわけではないですが
Breakfast Clubに出演した際のインタビューを観てたら
なかなか面白いことを言っていました。
ムダ毛処理をしばしば怠るという話や
正常位がいかに内臓に優しいかという話も
まぁ面白いんですが
それ以上になるほどと思ったのが
数年前に"Window Seat"のビデオを撮った時の話。
Erykah Badu - Window Seat
当時のエリカ・バドゥは、アーヴィング・ジャニスの
提唱した集団思考に強い関心を持っていたようで、
ビデオの終盤で服を脱ぎ捨てていくのには、
恐怖の「層」を剥がす意味があったんだとか。
そして、こう言っています。
「ショッキングなことがあると、それについて話したくなるでしょ。何のためにアートがあると思う?なぜ私たちは創作をするの?それは対話を生み出すためよ」
アートは対話を生み出すためにある…
言われてみればそうなのかもしれませんが、
むしろアートには自己表現の側面が強いと思っていて、
そんなことあまり考えたことがありませんでした。
「他人と違うことをしたい」という気持ちや
「普通な人生なんて嫌だ」という気持ちを
僕は十分に理解するけれど、
「他人と違うことをすること」や
「普通じゃない生き方をすること」自体が
目的と化したようなアーティストがなんか苦手でした。
でも、エリカ様の表現っていうのはそこに留まらず
人をインスパイアしようとしているところに惹かれます。
ただ、僕が思ったのはそれだけじゃなくて、
集団思考が危険な意思決定につながりうるのならば
そこに特段深い思慮が無かったとしても
突飛な考えや行動をとってみることはそれ自体
価値のあることなんじゃないかなということです。
なぜなら、それが他人同士の対話を生み出して
ひいては他人の行動を変えることにもつながるから。
エリカ・バドゥって本当に不思議な人で
彼女の言葉に耳を傾けていると
考えさせられるっていうよりも
脳がくすぐったくなるような感じになります。
それを言語化する過程でとても考えるんですが。
歌手としてだけでなく、人としてのエリカ・バドゥに
ハマってしまいそうです 笑