(豊里町史下巻より)


前編より続き


 さあ友達は腰を抜かさんばかりにびっくりして大急ぎで荷物をとりまとめて浜に帰り、一部始終についてその女の主人に語った。

誰とかさんが・・・・・・・・・・

 

 こういうわけで沼に入ってしまって「おれはここの主にあるから帰られないということわりでがすと」


 なに!なに!そんなこたあ!あるもんだがあ!子供おいて、そんなざまあになられては困ると怒っては、みたものの、どうしても、もどれないものならば、せめて一目あって・・・・・・・・・・ということになり、夫が先に立って妻が常に可愛がっていた、あし毛の馬に妻の遺品をつんで子供を背負って沼にやって来た。


 呼んでみて浮きあがらなかったら仕方がないが、姿を一目みせられるなら会いたいものだ、とひとりごとをいいながら、「はかま」だの「笠」だのをもって、馬をひいてやって来てさて平筒のつつみの上に立って、妻の名を呼んだ。

二回、三回・・・・・、すると、ああ不思議、沼の中から上がってきたのは、まぎれもない妻の姿であるが、なんと腹の下方が蛇体になり頭の方も恐ろしい形に変わり出していました。


 曰く、よく尋ねて来てくれた。

私はもう二度と、対面も出来かねる姿になってしまった。

これからは、この沼の主になるからどうぞあきらめてくれよ。

子供の行末はきっと護るから、あそこの森に捨て子にしてくれろ。

それからその馬は私がこれまで、うんと可愛がって、あつかっていた馬だから、どうぞ私にくれて下されよ。

と云ったかと思ったら再び姿は沼の底にかしれてしまって、あし毛の馬までずぶずぶと沼に沈んで行ってしまった。

やがて何処からともなく声があり、云うには、私の霊魂はこの島に、弁天様としてまつってくれと云ったので、それからあの東の方の入り江のところの島を「弁天島」と呼ぶようになったという。


 子すて森嶋があり(上沼の平筒堤の下方)それが例の子供を棄てたところで、笠を置いたところは「笠森」といい、山田さんの後ろの山を「袴だて」と云って袴を置いたところであると云われている。