臨時休業

 

31日金曜日 全休

4月1日 18時オープン

 

 

 

 

これを書いているのは

31日金曜日。

 

28日に亡くなった

音楽関係の仲間のお通夜に行っておりました。

 

この3年間、

近しい人、遠いところから憧れていた人。

そんな人たちの死が続いていた。

なんだか訃報が多かった3年間だった気がします。

 

訃報にふれる度に

死とはなんだろう?

って思うんです。

 

そして

世界は相変わらずですよね。

さらに悪化してるのかな。

死にあふれている。

 

ここから先は

死という概念に対して思うことです。

今回の仲間の死には当てはまりません。

 

 

彼にはもっと生きてほしかった。

 

そんな情緒的な思いしかありません。

 

そのうえで自身の死生観を書いてみようと思う。

 

 

死に対して悶々とした忌避的気詰まりがあった。

体系立てて整理してみようかと思う。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

死を前提に生きる。

これってネガティブな態度だろうか。

 

常に死を感じながら生きる。

 

幕末小説の影響があるかもしれませんが

死と隣り合わせの生に生き生きとした息づかいを感じてしまう悪癖が私にはあります。

 

自死を選択肢に持ってる人間の強さというか。

 

死を偶発的災厄とするか身体的契機と捉えるか。

 

そこには勇猛さもモノノフとしての覚悟、

そんな劇画調なものたちとも違う

穏やかな死生観があるんじゃないかって思うんですね。

 

もっと静かな個人的なもの。

私が葬儀を嫌う理由がここにあるのかも。

 

 

 

 

 遺書

 

これは人生設計の最終章。

これを書かない人が多いですよね。

私もそう。

死を忘れて、

もしくは

目を逸らして生きてるから。

 

実はこの最終章が周りの人たちのためにも必要なクダリじゃないか。

そこにネガティブさはないんじゃないか?

って思う。

終わりを見据えて生きる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう、

これぐらいにしときますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

未婚男性の平均寿命は65歳とか。

 

私も婚姻歴なし。

 

65歳か。

 

ちょうどいいかな。

 

 

その契機にに向かって生を燃やす。

 

この先何年生きるかわからなかったらスパートもかけられないよ。

 

もちろん

ご長寿を否定するものではありません。

 

 

 

 

遺書を作る。

そして

モノから解放されよう、

って思いを強くしました。

 

 

最後に私の嫌いなガンジーの言葉を。

明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ