危機を踏み台にする★ ドイツ語のインタビュー | OSHOヒューマニバーシティ・ジャパン

危機を踏み台にする★ ドイツ語のインタビュー

危機を踏み台にする

OSHOタイムズ ドイツ語版のインタビュー
ビレッシュは、人生の危機に対処するための革新的で慈愛にあふれたガイドで、多くの人たちを助けてきた知恵あるティーチャーであり、セラピストです。このインタビューの中で、彼は、たくさんの深い胸を打つ人生経験を分かち合っています。
インタビュアー:チャンドリカ

語源からたどる危機(crisis)の定義:ギリシャ語の「krisis」は、病におけるターニング・ポイントの意味。1627年に、医学用語以 外の意味にも使われるようになった。「中年期の危機」は、ドイツ語で「Torschlusspanik」であり、文字通りの意味は「ドアが閉ざされたこと へのパニック」、閉ざされた門の裏側に残される恐怖のことである。

ビレッシュ、危機とは何ですか?
言葉にするなら、ワォ!はポジティブなアファーメーションです。あるいは、人生にYES!というのもそうです。危機は、大きなブーイングのようなものです。人生にNo!を言うことです。
14歳から28歳まで、私はヘロイン中毒者でした。そして、7回のオーバードーズの経験があります。泡を吹いて、青い顔をして、顔中が腫れあが り、人は私を生き返らせようとして顔を平手打ちしました。チューブを鼻に通して、喉にも通して、腕には点滴が打たれることになってしまいました。それは生 命の危機でした。それが7回もあったのです!私の身体のシステム全体が止まってしまいました。そして、どういうわけか私は戻ってきたのです。1回目には、 こう考えます。この次はもっと気をつけないと、と。ところが2回目が起こります。3回目も・・・。この危機は、私の内側にいる自分が起こしました。私は本 当に惨めさの中にいました。私の外側の振る舞いは、内側のフィーリングの反映でした。すべてがどうでもいいと感じていました。まったくどうだってよかった のです。これが人生の危機です。
そして、他の種類の社会的、感情的危機もあります。誰かが亡くなって、完全に取り乱している時。あるいは、恋人が去ってしまって、世界の終わりだと感じている時・・・。

―あるいは、仕事を失った時もですね。

そうです。それは大きな問題です。もし家族がいて、仕事を失ったら、それは恐ろしい経験でしょう。離婚もそうです。両親にとっても、子どもたちにとっても。

―では、危機とは自分の基盤が粉々になってしまった不安定な状態ということですね?

まったく、そうです。

成長のために、危機は必要ですか?
もし危機が一つあれば、助けになります、とでも言っておきましょうか・・・(笑)でも、必要不可欠ではありません。私はそうは思いません。人生で たった一つの大きな危機を経験した人と、たくさんの危機があった人がいて、たくさん経験した人の方に価値があるのでしょうか?いいえ。私にとっては違いま す。危機を経験しなければいけないわけではありません。いつも恍惚とした至福を経験することもできるのです。それならばすごいワォ!です。だから私は、危 機が必要だとは思いません。

―しかし、危機を何か価値あるものに転じることもできますよね?大きなブーイングは、人びととワークする時とても助けになる道具になり得ます。

ええ、そうです!ロンドンで、ドラッグから回復するためのコミュニティーを運営していた時のことを思い出します。私は、誰かがそこを去ろうとした ら、本当に取り乱したものでした。その人がまっすぐドラッグに戻ってしまい、オーバードーズを起こして、死んでしまいかねないのを知っていたからです。そ のときは、本当にパニックになりました。その人はちょうど関係性の危機か何かを経験していました。だから、この人が自殺する可能性があると分かっていまし た。あれは、深刻な危機です。

サニヤシンとして、危機に対処する特別な方法がありますか?
サニヤシンとして・・・ 極端な例です。ある男性が私のグループに来たことが思い出されます。彼は、自分の子どもを肉体的に虐待してしまう、とシェアしました。私は、自分が、何て ことだ!この男は未来の怪物を作っているんだ!と思ったのを覚えています。非行少年や、犯罪者、未来に起こるであろう危機・・・このばかげた振る舞いのせ いで、自分の子どもに対して感情を行動で表して、虐待してしまうせいで。

私は彼に、次に子どもを殴りつけたいと思ったら、まずブロック塀を殴るという約束をしてくれるよう頼みました。彼からそのコミットメントを引き出しまし た。彼がそう言ってくれるのが聞きたかったのです。自分が何をしているのかということに、意識的になって欲しかったのです。

もう一つの例は、そんなに昔のことではありません。イタリアにいる私の友人が癌だということを聞きました。私はひどく気落ちし、自分を無力に感じ ました。周りを見渡して、「笑うブッダ」、“布袋”の小さな像を目に留めました。OSHOが私にくれたものです。一瞬、これをあげてしまうのは嫌だ、とい う風に感じました。本当に大切なものだったのです。しかしとにかく、私はそれを彼女にあげました。気持ちが落ち込んだ時、その布袋像を見て欲しい。そうし たら、彼が元気付けてくれるだろう。というメッセージを添えて。


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