1995年、私は西野流呼吸法に入門しました。

以来、およそ15年間稽古を続け、その後は離れて約15年になります。しかし、今でも基本稽古の流れは身体が覚えています。

最近になって振り返ると、西野流で得たものは「気を感じた」という一言では到底表現できません。身体の使い方、呼吸、思考、人との接し方、そして仕事に至るまで、多くのことに影響を与えてくれました。

この記事では、私自身が15年間の実践で体験したことを、できるだけ事実に基づいて記録してみたいと思います。

西野流の基本稽古

西野流には独特の基本稽古があります。

まず、自分の身体の中心を捉えます。

そこから全身へ「緩み」を広げていきます。

十分に緩んでくると、指導員の先生方がよく使われていた言葉でいう「カオス状態」になります。

一般的な「混沌」という意味ではありません。

自分の身体と外界との境界が曖昧になり、身体全体が一つにつながっているような、不思議な感覚です。

その状態になってから、

  • 百会

  • 正中線

  • 丹田

  • 足芯

を改めて捉え直し、「足芯呼吸」へ移ります。

稽古中には、

「身体の内側は液体」

という言葉も繰り返し使われました。

これは解剖学の説明ではなく、身体を固いものとして扱わず、流動的なものとして感じるための身体イメージだったのでしょう。

今振り返ると、この考え方は西野流全体の身体観を象徴していたように思います。

初めての対気

入門して約1か月は、対気の列に並ぶことはできませんでした。

基礎ができてから、初めて対気を受けます。

最初は正直、

「こんなものかな」

という程度でした。

当時の感覚を言葉にすると、

「ゆっくりした動きでカウンターを当てられるような感じ」

です。

不思議ではあるものの、劇的な体験ではありませんでした。

しかし、その感覚は半年から一年ほどで大きく変わります。

丹田へ「ズドーン」と入る感覚

基本稽古を繰り返し、身体が十分に緩むようになると、対気の感覚が一変しました。

先生から気を受けると、

重たいものが丹田へ「ズドーン」と入ってくる。

そんな感覚になったのです。

今でも、その感覚を鮮明に覚えています。

大切なのは、身体が十分に緩んだ状態でなければ、この感覚にはならなかったことです。

だから私は、「気」というよりも、

「身体がどういう状態にあるか」

の方が重要なのではないかと考えるようになりました。

西野先生は何が違ったのか

他の指導員の先生方でも同じような感覚はありました。

しかし、西野先生だけは違いました。

感覚の種類ではなく、「強度」がまるで違うのです。

気が身体へ入ってくる深さ。

丹田へ届く感覚。

その力強さ。

これらは、西野先生が圧倒的でした。

もちろん、これは私個人の体験です。

しかし15年間稽古を続け、多くの先生方の対気を受けたからこそ感じた違いでもあります。

中国拳法との出会い

西野流を始めて約8年後、中国拳法も学び始めました。

その流派は、西野流にはやや批判的でした。

最初に先生から言われたのは、

「気の偏差には注意しなさい。」

という言葉です。

当時は意味がよく分かりませんでした。

今振り返ると、「気の偏差」とは単に身体のことだけではなく、心の偏りも含んでいたように思います。

例えば、

  • 頭や肩ばかりに力が集まる。

  • 身体の中心を失う。

  • 思い込みが強くなる。

  • 師や流派を絶対視する。

そうした身体と精神の両方を戒める言葉だったのではないでしょうか。

中国拳法で変わった対気

中国拳法を始めてから、不思議なことが起こりました。

西野先生の対気に対する自分の反応が変わったのです。

先生と向かい合い、

手を合わせようとした瞬間。

まだ触れていないにもかかわらず、

身体が後方へ押される。

その感覚は、

「磁石の反発」

に非常によく似ていました。

私は最初、本当に驚きました。

この現象が何だったのか、今でも断定はできません。

ただ一つ言えるのは、中国拳法によって私自身の身体の使い方が変わり、その結果として対気への反応も変わったという事実です。

西野流で私自身はどう変わったか

私にとって一番大きかったのは、「気」ではありません。

自分自身が変わったことです。

まず、お酒に酔いにくくなりました。

二日酔いは、ほとんどなくなりました。

これが西野流だけの効果だったのかは分かりません。

しかし、私自身が体験した変化でした。

さらに、心に余裕が生まれました。

以前より焦らなくなり、人の話を受け止められるようになりました。

そして何より、

身体を緩めることが、思考を柔軟にした。

これが私にとって最大の収穫でした。

身体は心と別ではありません。

身体が変わると、考え方まで変わる。

私はそのことを西野流で学びました。

仕事にも現れた変化

結果として、仕事にも変化が現れました。

私は、

28歳で次長。

32歳で部長。

という非常に早い昇進を経験しました。

もちろん、これは西野流だけのおかげとは言えません。

仕事には能力、努力、環境、運など、さまざまな要素があります。

しかし、身体が変わり、心に余裕が生まれ、柔軟に考えられるようになったことが、仕事に良い影響を与えたという実感はあります。

「細胞で考える」という発想

西野先生の著書に『細胞で考える』という本があります。

そこでは、人間は無数の細胞から成り、それぞれが有機的につながっているという身体観が語られています。

呼吸によって十分な酸素を取り込み、細胞内のミトコンドリアが活発に働くことで、身体全体が活性化するという考え方です。

現在の生理学でも、ミトコンドリアが酸素を利用してエネルギーを産生することは広く知られています。

一方で、西野流独自の呼吸法がどこまでその働きを高めるかについては、今後も科学的な検証が必要でしょう。

それでも私は、西野先生が「気」だけを語っていた人ではなく、「細胞」という視点から人間を見ようとしていたことに、大きな魅力を感じていました。

終わりに

私は今、「気はある」「気はない」という議論をしたいわけではありません。

15年間の実践を通して確かに言えるのは、

身体が変わると、心が変わる。

心が変わると、人生の景色まで変わる。

ということです。

西野流で経験した対気の感覚には、現在の科学で説明できる部分もあれば、まだ説明の難しい部分もあるでしょう。

だからこそ、私は断定はしません。

ただ、一人の実践者として体験したことを、そのまま記録しておきたいと思います。

もしこの記録が、呼吸法や身体の可能性に興味を持つ誰かの参考になれば、それ以上にうれしいことはありません。