今朝、

吉本の宮迫君が解雇されたと報道。

いわゆる「闇営業」の問題。

 

2014年ごろに反社の主催するパーティーに呼ばれ、

ギャラまでもらったのに、最初ウソついてた、という。

 

で、解雇。

テレビに出ることはまず、ないだろう。

 

キッカケはフライデーの記事だ。

そこに写真や動画が載せられてたのだそうだ。

 

過去にやった事はしょうがないと思うし、一定のペナルティも

覚悟せねばなるまい。

 

が、この一連の騒動で、彼にユーモア溢れるトーク、

才能は封殺されることになる。

大きな才能を失った、と言えはしないか。

 

誰も見てないと思うから敢えて書くが、

これが社会正義なのか?

 

フライデーは正義を行使したと言えるのか?

ある才能を世論を作ることによって「封殺」することが、

はたして正義と言えるのか?

 

フライデーはネタ元を公開していないが、

そのネタはどうやって入手したのだろうか?

ネタの出所が反社の側だとすれば、

反社からそのネタを「買った」のかも知れぬ。

その行為は果たして「正義」なのか?

 

この世の中、デジタルデバイスがまん延した影響で、

どうにも二元論的な風潮が跋扈しているように思える。

 

正しいことは何がなんでも正しいし、

悪いことは何がなんでも悪い。

 

まぁ、「善悪の絶対値化」とも言えば良いだろうか。

これが我々の社会生活に何か潤いを与えるのであれば、

それも良い。

 

だけど、社会はそんなシンプルな構造にはなっていない。

ダイバーシティだ、LGBTだ、多様性だと言われている時代に、

正義だけは二元論で済ませるのは、どういうことなんだろう。

 

情報を伝える側のメディアに、特にそんな兆候が見られる。

私は、これがとても残念に思える。

 

世の中には、自分にとって「知るべき事実」もあれば、

「知らなくても良い事実」もある筈だ。

 

善悪織り交ぜて情報を垂れ流す、

情報が細ければ、関連するどうでも良い情報をひっつけて尺を埋め、

情報の受け手の快・不快も見ずに、

自分たちの創造したストーリーにハメこんでいくことが、

彼らメディアの言う「正義」ならば、

 

私はそんな正義の押し売りはゴメンだ。

 

最後に宮迫君。

 

いぜん、ほんの少しだけ一緒に仕事をした関係上、

応援になるかどうかは判らないけど、

東京でも苦労人だった彼が多彩ぶりを発揮してここまでのステータスに

登りつめたのは言うまでも無いが、

彼の才能まですべて否定されたのでは無い。

だから、放送作家や演出家、或いはナレーターとして、

どこかの世界で復帰して欲しい。

 

人生は何度でもリセットできます。